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聖火の灯火

賢帝の手記

作者: 江崎涙奈

 

 



【私が生を受けてから、もう何年と経ったのだろうか。


 私は早くに父を亡くし、母は皇后として父の代わりを立派に努めた。だが、それに比例して私はいつも独りだった。


 皇子としての道を敷かれ、ただ流されるまま生きて来た私に最初に手を差し伸べたのは、君だった。


 王宮の隅の箱庭。そこは限られた者しか立ち入れぬ私の生まれた場所だった。婚約者候補として連れてこられた子が今までいなかったわけじゃない。


 だが、どれも代わり映えのしないお人形のような少女ばかりで、周りに置かれるだけで使われない調度品と何一つ変わらなかった。


 そんな中、君は違った。


 空になった部屋。外へと続くガラス扉は半開きになっていて、焦る従者の声すら聞こえない程に心は変化の兆しにざわめいた。透明な誰かの影を追うように、緑の迷路の奥へと足を進めた。


 真っ赤に揺らめく髪に星を携えた夜を思わせる紺色の瞳。苛烈な印象に反して、その顔から覗かせた笑顔は柔らかいものだった。】



 書いていた手を止めた。握り占めた手の中でみしみしとペンが悲鳴を上げる。ペン先から溢れて滴り落ちたインクで紙が滲むのも気にならなかった。ただ、今更どうしようもない焦燥が胸を差す。


 どうして。


 恩を感じるべき彼女にすら見当違いな苛立ちをぶつけたくてたまらなかった。そうでもしないとこの行き場のない悲しみと苦しみに、どう耐えろというんだ。いっそ、プライドも立場も何もかもかなぐり捨てて喚き散らせれば楽なのに。


 インクに汚れた紙を除け、新しい紙を取り出す。書かねばならない。自ら隠蔽した真実とこの罪を、なかったことにする訳にはいかないのだから。



【この時、輝くばかりの笑顔で私を慕う君の存在が私にとっては唯一の救いだった。その時の私は、君とただ幸せに生きていく細やかな未来を信じて疑わなかった。


 だが、それは所詮箱庭の中の話。王国との終わらぬ戦争に喘ぐ民の姿を見たのは7つの時だった。


 私はそこで何も出来ない自分の無力さを呪い、君は力を持ちながら目を背け続けた自分の愚かさを悔やんで泣いていた。今になって思い返せば、泣き虫だった君の涙を見たのはこれで最後だったのかもしれない。


 平和を掴むこと。


 ただひたすらその為に私たちは全てを捨てのめり込んだ。


 甘さを捨て、自らの幸せを捨て、友を捨て、最後には心を捨てた。


 ただ平和のためだけに。


 その内、君は烈火の名を頂いた。敵も味方も関係なしに燃やし尽くした戦場から帰ってくる君の顔から感情が消えていたのは平和のためだと、平和が訪れれば全てが終わると信じて見ないふりをした。】



 私が誤ったのはいつだったのだろうか。


 君と戦場を見たことか。平和を目指したことか。あらゆるものを捨てたことか。その綺麗な手を血で汚す君を、見て見ぬ振りしたことか。


 …どれもある意味そうであり、ある意味そうではないのだろう。だが、決定的に誤ったのは、きっとあの時だ。



【王国との戦争に変化が生じたのは彼女の存在だった。君とは正反対の青を讃えて夢に溢れた少女。彼女は一笑したくなる程の夢を抱えて、それでも叶える為に足掻き、その理想を諦めなかった。諦めと確実さに囚われた君と私とは全くの正反対の彼女の理想に夢を馳せた。


 敵同士にも関わらず彼女と話を出来たのは奇跡だった。そこから失った心を取り戻し、無くした友を得て、忘れた自分の幸せを思い出し、消した筈の甘さを再び携えた。


 君を置き去りにしたまま。】



 あの時の私は浮かれていたのかもしれない。ある意味恋に近く、救いに等しいそれに。だから共に戦い苦しんだ君の事を忘れていた。


 いや、彼女が君も助けてくれるだろうと何処かで思っていたのかもしれない。自分ではどうにもならないと言い訳して、忘れてしまった君との距離に怯えて逃げたのだ。



【君は誰より人が死ぬのを嫌い、誰より平和を願っていた。私はそのことを誰よりも知っていた筈だったのに。


 そんな事も忘れた私を責めるでもなく彼女は約束を果たし続けた。


 何の為に願った平和だったのか、何の為に得ると誓った力だったのか。それを全て思い出したのは君が死に、平和を手にした時だった。


『この様な手紙を貰うのは、きっと貴方にとっては不本意なことかもしれません。ですが、どうしても一つお願いしたいことがありましたので、筆をとらせていただきました。


 この度の私に纏わること全て、私一人で考え行ってきたものです。私の部下や従者もそうですが、父や母といった私の生家は全く関わりがございません。私一人の罪であり、彼らには何の罪もございません。


 たった私一人の命で償える程度の罪ではないと知っております。ですが厚かましいとは思いますが彼らに罪が問われぬ様、取り計らうようお願いしたいのです。』


 薄っぺらい封筒に入っていたのは、一枚の便箋だった。その内容も便箋半分にも満たないもので、君の想いが一部も見当たらないどこか事務的で簡素な文章だった。


 この手紙を見た時、私は君の真意が分からず、文面道理の意味でしか捉えることが出来なかった。だが、その本当の意味を知るのはそう遠いことではなかった。


 帝国の事実上の敗北。所詮、王国との平和協定など彼女の意向によるものに過ぎず、|それ〈・・〉を意味するのは明白だった。だが、|それ〈・・〉すらも有耶無耶にする策があった。


 それは君を絶対悪とし、帝国側もまた被害者であるということ。


 家老達の悪魔のような策に目眩がした。共に平和の為に尽くした者を切り捨てただけでなく、その名誉すら奪うのか!


 怒りに我を忘れ怒鳴る私を鎮めたのは、昔から私と君の事を見守り続けてくれた宰相だった。彼女から手紙を読みましたか。そう、穏やかに発した言葉にはっとさせられた。


 一番上の引き出しに大切にしまった手紙を取り出す。再度その短い文章に目を通すと、愕然とさせられた。


 自分だけを悪にしろ。


 そう意図したものだったのだ。】



 君の意図した未来は、私に衝撃を与えるには十分だった。酷く呆然とする中、蝋燭だけが揺らめく部屋で一人、君からの便箋をただ握り締めていた。嘘だ、なんて譫言を吐いては、まだこれが夢であって欲しいなどと願っていた。現実逃避した頭は真っ白で、君がいる筈の部屋へと無我夢中で走った。


 忍び込んだ部屋は暗く、何も見えなかったが何処に何があるかは体が覚えていた。魔法書がずらりと並んだ本棚、清潔感のある白のベッド、真っ赤なドレスとローブの詰まったタンス、二つ並んだ椅子に沢山の思い出の詰まった机。あの頃から一部も変わりはしていないのに、君だけがいない。


 君が隠し物をする時は決まって引き出しの奥にある隠し棚だった。場所だけは知っていたけれど、その中身は教えてはくれなかった。昔から何度かこっそり開けようと試みたが、その度君の防衛魔法に弾かれたのを覚えている。


 引き出しの奥を手探りで探し当て、奥の鍵をなぞって手は止まった。ここの中に何かがあるかもしれないと期待が募ったが、開いてしまえばそれは君がもうこの世にいないことの証明でもあった。震える手で鍵を外す。


 カチっという音が静まる夜の部屋に響く。君はもうこの世にいないのだ。分かっていた筈だった。報告はもう既に聞いていた。だが、遺体も遺品の一つなく、残った灰だけで君が死んだなんて理解出来る訳もなかった。


 震える手で開いた隠し棚の中は、私があげたもので溢れていた。誕生日にあげたものから、子供の頃に一緒に集めたガラクタのようなものまで。一つ一つ手に取っては、それがどれだけ大切に扱われていたのかがよくわかった。机がそれらでいっぱいになった頃、隠し棚の底には見覚えのない分厚い封筒があった。


 封筒には宛先も何も書いていなかった。悪いとは思いつつも封を解く。封筒の中には何枚もの便箋が入っていた。そこに綴られていたのは恐らく誰にも教えるつもりのなかった君の想いだったのだ。



【宛名のない君の手紙を広げて夢中で読み耽った。懐かしい過去から君が悪となったその経緯に至るまで有り有りと記されていた。


 今ならもう思い出せる。忘れていた君との距離も、思い出も、そして想いも。


 愛していた。


 君との幸せを掴む為に欲しいと願った平和だった。


 君に泣いて欲しくなくて、あの輝くばかりの笑顔をずっとみていたいと願った。


 だから私は平和を望んだのだ。


 世間は私を賢帝と呼び、仮初めに得た平和をただ喜ぶ。


 これは彼女が生きている間のみのものだと知らずに。


 だが、例えこれが仮初めだとしても、君が残した平和を一秒でも続ける事こそが愚かな私の出来る全てなのだから。】



乙女ゲームの悪役と幼馴染であった攻略キャラ皇帝のサイドを書いたものです。


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