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悪魔の花嫁

 血に濡れた喪服と、汚れたままの顔。

 醜い醜い私の姿。だが、これが私。どうしようもないほどに愚かな私の姿だ。

 炎で焼いても風に晒しても私の罪は償いきれない。

 だけど、まだやらなければいけないことがあった。

 家中に隙間なく敷かれた絨毯を踏み締めて、母の部屋へと向かっていた。

 時折雷が鳴って、私の影を長く長く廊下へ伸ばす。ビリビリと震える雷鳴は、まるで罪を糾弾する群衆のようだった。

 その扉の前にたどり着いて、私は歩みを止めた。ひとつ呼吸をしてから、そっとノックをした。眠っていてもおかしくない時間だったけれど、すぐに返答があった。

「誰です?」

 扉越しに聞いていてもよく通る声だった。

 私はそっと扉を開いて、中へと進んだ。

 開けると、紅茶の残り香がした。確かこれは、お兄さまが一番好んだものだ。

 体がやけに冷えている。こんなに静かな気持ちであの人の前に立つのは、初めてかもしれない。

「お母さま」

 私の唇は澱みなくその人を呼ぶことが出来た。

「ロゼル……?」

 お母さまの声は掠れていた。それと同時に、黒一色の正装で私の横にいる御主人様に向かった。

「なんのつもりなの、デュール!」

 その叫び声で、私はまだお母さまには彼がお兄さまに見えていることに気付かされた。

「お母さ」

「お黙り、偽物」

 お母さまはぴしゃりと私の言葉を跳ね除けた。

「汚らしい。お前が私の娘であるはずないでしょう!」

 母の叫び声は、いつか聞いたそれによく似ていた。

 だけど、私の心はそんなことを聞いても、血を流したりしない。もう泣いたりしない。

「いいえ、あなたの娘です」

 私は、断言した。

 私によく似たうす茶の瞳が見開かれる。

「違うわ!」

 お母さまは黒髪をかきむしった。ぱらぱらと落ちた髪は、すぐに波打って広がった。伸ばせば伸ばすほど癖の強く出る髪も、私と似ている。

「違いません」

 私達はよく似た親子なのだ。

 だから憎悪し、だから拒絶した。

 そんな私の顔を撫でる手があった。悪魔は赤い目を勝ち誇ったように細めると、私の顎に長い指を絡ませた。

「そう。これは貴様の娘にして、我が新しき契約者。そして可哀い贄だ」

「デュール……?」

「残念ながら契約破棄だ。契約者アルディナ=サーシェット」

 そうして、美しい顔は私の目の前にあった。

 慄然とするほど冷たい唇が、私の唇に重ねられていた。

「さぁ、新たな契約者よ。私に命じろ」

 契約の名残を唇から舐め取り、私の悪魔は耳元で囁いた。

「命じます。……お母さまの、幻惑を解いてください」

「いいだろう」

 悪魔の瞳は、闇の中で美しく赤く輝いた。

 一度だけ目を剥きふらついたお母さまは、よろよろとそばの椅子に崩れるように座り込んだ。

「あぁ、……そうね、そうだった。私の可愛いデュールは死んだんだったわ」

 ただ美しいだけの幻想から醒めたお母さまは、うまく泣けなくなっていた。ふ、と漏れたそれは湿っているのに、口許は笑っていた。

「そしてお前が残ったのよ。家督の継げないお前が!!」

「家督など、私は興味ありません。私は……私はあなたと静かに過ごせれば、それで充分だった」

 私は精一杯の願いを口にした。

 本当にそれでいいと思った。

 だが、お母さまは私を睨みつけた。

「……冗談じゃない」

 お母さまの頬は怒りに赤く染まっていった。

「女である私達が、それでどうやって生活していけると思っているの。女は家督を継げないのよ。自由に外を出ることもままならない。男に支えられねば……、道具にならなければ私達は生きることさえ不可能なのよ!」

「道具でも構わない!」

 とっさに私は言い放った。

「きっと、アザヤは愛してくれた」

 私を好きになりたいと言ってくれた人。

 そんなことを初めて言われた。

 もしかしたら、私もその思いを返すことができたかもしれない、最初でさいごの人。

「アザヤに、罪を負わせました」

「アザヤ様……?」

 母は不審そうな目を私に向けた。

 けれど私は言わなくてはいけなかった。

「私が死んだと思ったアザヤ様は、ロゼルの復活の儀式の贄として、デュッシ様や他の家の方々を殺したんですよ」

「な……っ、でたらめを」

「でたらめなんかじゃありません。この血、誰の血だと思ってます?」

 私は自分の真っ赤に染まった手のひらをお母さまに突きつけた。

「ティレイシア=ケルファーの血です」

 お母さまは絶句した。

 わなわなと震え、その目は私の手に釘付けになっていた。震えはやがて恐怖にすり替わった。

「……全て、私達の契約が原因です。だからお母さま、一緒に罪を償いましょう?」

 血に汚れた手のひらを、私はお母さまに差し出した。

「いや」

 お母さまは椅子から立ち上がると、私に背を向けた。

 もつれながらお母さまは逃げ場を探す。その目に入ったのはバルコニーへと通じる大きな窓だった。

「お母さま、危ない戻って!」

 私も慌てて追った。窓の外には叩きつける雨と、闇を割る雷がすぐそばにあった。そんな中を飛び出していくお母さまは酷く細く、頼りなく見えた。

「嫌よ!!」

 お母さまは子どものようにそう叫んだ。だけどそのとき、ひときわ大きな光が私達の間を切り裂いた。

「きゃああ!」

 腕で目をかばっていた私に、お母さまの声が聞こえた。

 慌てて顔を上げると、バルコニーにあったはずのお母さまの姿が消えていた。

「お母さま!」

 私は慌ててバルコニーから身を乗り出した。

 ここは一体何階だったのか。今一体何が起きたのか。私は一瞬で理解して、絶望が胸を浸していった。


 咲きかけの蕾を幾つも残した庭園。黒髪を晒したお母さまは、その上に倒れていた。

 白い蕾は、雨の中でも鮮やかな血の色に染まっていった。


 ※


 午後の光は、その部屋をやわらかく照らしていた。

「あら、いらっしゃい」

 椅子の上でくつろいでいたお母さまはやわらかく笑って、ひざ掛けの上に縫いかけの刺繍を置いた。少しだけ開けてあった窓から風が舞い込んで、ひざ掛けが揺れる。そこから下には、何も無い。

 私はそっと窓をしめた。窓に幾重にも絡められた格子、頑丈な鍵。けれどお母さまは、なんの疑問も持たずにそこで生活している。

「会いにきてくれて嬉しいわ」

 美しかった黒髪から、いつの間にか艶が消えていて白いものも混じっていた。

「ね、デュール」

 痩せた指が伸びてきて、頬を撫でる。涙が出そうなくらい、その手はやさしかった。

「私もです、お母さま」

 黒い髪を後ろで結んで、服は男物を身につけて。兄さまのような心地よい低い声を持っていないし、お兄さまのような金の髪でもない。

 それでも私は、震える声を隠して微笑んだ。


 私が一歩建物から離れると、門番は表情を全く動かさないで扉を閉めた。黒々とした門は離別の音を私の胸に落とす。

 私は首の後ろの紐を解いた。短くなった髪は小さな音を立てて私の肩を打った。男物の服を身につけてはいるけれど、そうすると少女に見えなくも無い。

「ロゼル嬢」

「お帰りなさいませ、ロゼルお嬢様」

 顔を上げると、そこには金の髪のご主人さまが立っていた。その横には目深に帽子を被る御者の姿もあった。いつかの傷痕がこめかみに少し残ってしまっていて、それを隠すためだ。

「お二人とも、お待たせしました」

「とんでもない。……奥様はいかがでした?」

「相変わらず、です」

「そうでしたか……」

 御者はしょんぼりと肩を落とした。何か言わなくては、そう思った時に、ご主人さまが馬車の扉を開いた。

「行くぞ」

「はい」

 ご主人さまはそっと手を差し出してきた。その様子を見て御者も気を取り直したようで、ぎゅっと手綱を握り締める音が聞こえてきた。

 私はご主人さまの手を握り返して、馬車に乗り込んだ。



 一度家に戻って着替えた後、私達は再び馬車に乗り込んでいた。

 がたがたと馬車が心地よく揺れる。スピードを出しすぎることなく優雅に進む馬車の中、ご主人さまがつぶやいた。

「人質、か」

「はい」

 火炙りも絞首も覚悟の上だった。けれど、現実はもっともっと苦しかった。

「私の罪もお母さまの罪もアザヤの罪も、……なかったことにされてしまった、から……」

 馬車の小さな窓から町を見渡すと、真っ黒な喪章が至る所で目についた。

『国王がヤバいらしい』

 そんな、アザヤの声が耳の奥で微かに響く。

 王が亡くなったせいで、全ての刑の執行が禁止された。私たちの事件はそのどさくさに紛れて、綺麗に闇に葬られてしまったのだ。

「召喚術を知るものを、生かす筈がないと思っていたがな」

「私もです。でも私たちを見せしめに殺せば、術があることの、証明になってしまう」

 たとえ偽の復活術でも、その実在は隠さなければならない。それが第二、第三の事件を呼ぶ引き金になってしまうから。

 この国の歴史に残るのは、奇妙な貴族の死亡事件と、謎の連続惨殺事件だけ。犯人の姿も闇に紛れて消されてしまった。

「人間は私以上に悪知恵を持っているのだな」

 クッとご主人さまは喉の奥で笑った。

「今は私がウェルノ=クランバーで、かつ当主代行の座はそのままでいいとは恐れ入る」

「でなければつじつまが合いませんから。それに、女は家督の管理が出来ません」

 息子を失って気の触れた母親を哀れに思った娘は、家が経営する孤児院に赴いた。そこで院長に相談し、兄と同じ髪と目の色を持つ同じ年頃の青年を探した。すると、なんと兄と瓜二つの青年が存在していた。そこで娘は青年に頼み込み、兄の役目を負わせた。その上で世間には娘が死亡したと伝え、自らは男装し従者に身を落とした。

 冗談のような筋書きだが、それが私達に課せられたものだった。

 町中にかけてあった幻惑を解いたときも、その情報も同時に流したためか、特に混乱は起こらなかった。裏で糸を引いていた軍がそうさせなかったのも大きいのかもしれない。

「お嬢様、着きましたよ」

「ありがとうございます」

 そうして私はご主人さまと共にその場所へ向かった。


 壊された鍵は更に頑丈なものへと替えられ、荒らされた場所はきちんと整備し直されている。その近くにいくつか増えた真新しい墓。ひとつひとつの名前を丁寧になぞってから、その全てに花を供えていく。

 いつ来ても、そこに吹いているのは乾いた風ばかりだ。私の目元を乾かして、泣けなくしてしまう。

 サーシェットの持つ土地の片隅で、常に監視の目の光る場所に住むお母さまを見舞った日は、必ずここにも寄るようにしている。

 ここは私達の罪の在り処だ。

「ご主人さま」

「……別に、今はそう呼ぶ必要などないのだがな」

 風に舞う金髪を押さえながら、ご主人さまはそう揶揄した。

「いいえ。……あなたに捧げられた贄として、それでもお願いしなければいけないことがあるんです」

 連綿と連なる墓から視線をはずし、私はご主人さまに向き直った。

「本来なら、私の命は、幻惑を解いた時点であなたに渡さなければいけなかった。でも、あなたはそれをしなかった」

「それは私が破棄した契約だからな。当然無効だ」

 ご主人さまは得意げにそういって、私を見下ろした。してやったりと言わんばかりの笑みは確かに少しいびつだけれど、この人なりのやさしさなのだと今はわかる。

「では、ここで内容を決めてもいいですか?」

「……いいだろう」

 ご主人さまはゆっくりとうなずいた。

「あの人を……、お兄さまを、死なせなかったこと。それが私の罪。ここが、その証です」

 振り返れば、そこにたくさんの人が眠っている。

 デュール=サーシェット。デュッシ=ケルファー。ティレイシア=ケルファー。そしてその家に仕えてきた人達。贄として捧げられたたくさんの人達。物言わぬ人達は、土の下から私達をのぞいている。

「私は、この罪を償わなければいけません。だけど、償いに死ぬことは許されなかった」

 なら、私の選ぶ道はひとつだけだ。

「……何としてでも、生きなきゃいけないんです」

 恨みの声は私の奥で今も響いている。罪の形は目の裏に焼きついている。生ぬるい血の香りは、洗っても落ちることは無い。

 アザヤが負った傷も消えない。負わせた罪も消えない。

 お母さまのずたずたになった心を、癒せるのかはわからない。

 血に汚れた醜い私は、だから、生きなければいけない。

「手伝って、もらえませんか?」

 私はご主人さまを見た。

 母が召喚し、私が利用した悪魔。

 そのやさしさをまた利用していることはわかっている。

 それでも、私の醜さを知っているこの人だから、頼めることもある。

「そして、もし私が逃げようとしたら、そのときは絶対に生かしてください」

 国中にはためく喪章は私の背中を見ている。

 そしてこの人も見ている。

「……いいだろう」

 ご主人さまは腕で髪を払った。すると金の髪は闇の色に戻り、赤々と燃える瞳が私を見据えた。

「契約期間は死が私達を分かつまで、だ」

 ご主人さまはにやりと笑った。

 ここは教会の裏。二人が共に在ることを誓い合うには絶好の場所だ。だが私がまとっているのは純黒に染め上げられた喪服に、同じ色をしたヴェール。

「ふふ」

 くすぐったくて、私は笑ってしまった。悪魔の花嫁となるならば、この服とこの場所は本当によく似合う。

 ご主人さまもそんな私を見て満足そうに目を細めた。そうして私の笑いが収まるまで待っていてくれた。

「さぁ、私に誓えるか? ロゼラディナ=サーシェット」

 ご主人さまは問いながら私のヴェールをずらして、私の頬を撫でた。

 赤い瞳は私の目の前にあった。その目の奥まで見据えて、私はうなずいた。

「誓います」

 そうして瞼を閉じると、ひやりとした唇が私の唇に重ねられた。



 誰からも祝福されない花嫁は、そのとき少しだけ涙を流した。

コミックマーケット74で発行した拙作の、本っ当ーーに誤字脱字や一部表現以外はほぼそのままに掲載させていただきました。

自分の中では随分古い作品ですが、コミケ以外で発行しておらず、もう少しだけ誰かに読んでいただけたらと思い、投稿させていただきました。

少しでも楽しんでいただけたなら、幸いです。

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