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罪を殺した夜

※少々残酷表現がございます(R15相当)。苦手な方はご注意ください。

 二人のメイドに再び女物の服を着せられた私は、ご主人さまが手配した馬車に揺られていた。

 ご主人さまが用意してくれたのは、私の体にぴったりと合わせられた喪服だった。最上質の絹で作られていることは触れただけでわかる。夜目にも少しだけ光沢があるそれはまるで婚姻衣装のようだ。手にはめた黒いレースの手袋と、まとめた髪に合わせてかぶせられた黒いヴェールつきの帽子。小物一式まで全てそろえて下さっている。

 私が普通の娘だったら、これらの贈り物に心を躍らせたのかもしれない。だけど私たちの関係は違う。主と贄の関係で、それ以外の何でもない。私から出てくるのはため息ばかりだ。

 遠雷が聞こえる馬車の中で、私は手のひらを握り締めるしかなかった。

 馬車を降りた途端に、長い裾のスカートがふわりとはためいた。湿り気を帯びた強風が吹いている。咄嗟に髪とスカートを両手で押さえて風をやりすごした。

 風が収まった頃に、私を降ろした馬車は静かにそばを離れていってしまった。ご主人さまは、徹底して私を一人にしたいらしい。私はそっと教会に足を向けた。

 こんな夜に墓参りをするような人は決していないから、門に鍵がかかっていたらどうしようかと思ったけれど、その心配は無かった。

 鉄の門に付けられた頑丈そうな鍵が、ぐちゃぐちゃに壊されていた。鍵を止めるための鎖は引きちぎられ、鍵も真っ二つに割れている。

 どういうことだ、そう思ったときに、何か妙な音が聞こえてきた。私は教会の壁に一旦身を隠して墓地の様子を伺った。

 そうして見えたものは、私の理性を焼いた。

 見えたのは一つの影。私と同じくらいの大きさ。何か道具を持っていて、振りかざしては土に突き立てる。そばにはもう土の山が出来上がっている。

 その場所は。

「お兄さまッ!」

 墓荒らし。他人の墓を土足で踏み荒らし、埋葬品や時には遺骸そのものを売りに出す。

 そしてあの人物が荒らしているのは、間違いなく私の兄の眠る場所。気付けば私は走り出していた。

「やめて! 今すぐ……」

 私はその人物の腕を取った。細い。私の力でもなんとか退けることができるかもしれない。そう思って相手の顔を見た瞬間、私は凍りついた。

「ティレイシア?」

 ぱさぱさの金の髪。いつか見たそのままの姿だが、血の臭いと土の臭いはいっそう濃いものをまとっている。

 彼女の口がぱかりと開いて、まずいと思った時、何か硬いものが首の後ろに叩きつけられた。体の奥まで響いたその音はどこか遠くから聞こえてきたような気がした。

 ティレイシアにばかり夢中だった私は、私の後ろにいた誰かに、気付くことさえできなかった。

(ああ、服が)

 せっかく頂いたばかりのものだったのに、このままだと私は土の山に倒れることになる。

(汚れ……)

 誰かの腕が私を抱きとめてくれたような気がしたけれど、その前に私の意識は完全に闇に堕ちていた。



 私が目を覚ますと、目の前に再び金の髪が現れた。ティレイシアの土気色の肌はぼろぼろで、肉が削げ落ちたかのようにこけていた。空の瞳は私を監視しているのか憐れんでいるのかわからない。ただじとりとこちらを見ていた。

「ッ」

 体を起こそうとして、両手両足が縛られていることに気が付いた。逃げられない、そう思ったとき制止の声があった。

「ダメだよ殺しちゃ」

 楽しそうなその声に、私は聞き覚えがあった。

「……うそ」

「や、ウェルノ」

 片手をひらりと上げて答えるアザヤ様は、いつもとなんら変わらぬ様子だった。それが逆に、空寒い。

「一体これはなんなんですか!?」

「あは。見られちゃったから人質? デュールに邪魔されちゃうと色々困るからさ。この間も集会にホントに来ちゃうなんて思わなかったし。っていうかどっから嗅ぎつけたんだい? びっくりしたよ」

 アザヤ様は部屋の隅においてあったものを私に見せてくれた。それを慣れた手つきで身につけて、アザヤ様は私を振り返った。

「ようこそ、招かざれるお客様」

 宝石をちりばめられた仮面を被ったアザヤ様は、そういって私を歓迎した。あの場では声がよく響いたし、おそらくアザヤ様も声音を変えるくらいはしていたのだろう。

「驚いた?」

 絶句している私を見て、仮面を外したアザヤ様は、悪戯を成功させた子どものように笑った。

「でも俺だって驚いたんだよ。きみ女の子だったんだね。なんで男装してたの? もったいない」

「それは……」

 私は口ごもった。契約の内容は他言無用。それ以前に、こんな状況のアザヤ様にそれを教えるわけにはいかない。

「まるで、ロゼルの代わりにされてるみたいだ」

 代わり。

 その言葉は私の中でひっかかった。

「……代わりなんかじゃ、ありません」

 ただの贄だ。

 それ以外の何者でもない。

「そう。ならいいよ。それ以上は聞かない」

 私があまりにきっぱりと断言したせいなのか、アザヤ様はそれ以上聞かなかった。

「とりあえず、きみは俺が術を終わらせるまではそこにいてね。下手なことすればティラがきみの首を飛ばすよ」

「やっぱり彼女は、ティレイシア……なんですか?」

「うん。デュッシもある程度の魔術扱えたからね。俺が教えたんだ。よく働いてくれるよ?」

 ね、と彼女を愛玩動物か何かのように髪を撫でた。

「デュッシは逃げられちゃったけど、俺が捕まえたんだよ」

 ティレイシアはおとなしく彼に撫でられている。

 私は何も言えなかった。もはやアザヤ様はティレイシアを人間扱いしていない。ティラという名前の別の生き物として扱っているし、彼女ももはやそれ以外の何物でもなかった。

 見ていられなくなった私は二人から目をそらした。そらした先の床に、見た覚えのある円陣の一端が見えた。

「この円陣を使って、悪魔でも召喚()ぶつもりですか?」

 皮肉のつもりで私はそう言った。だがアザヤ様のそれは以前見たものよりずっと凶悪で醜悪な円陣だった。ほとんどの部分に刻まれているのは私の知らない魔術文字だし、うねり狂うその文字は呪いのようにしか見えなかった。

「違うよ」

 そのとき初めてアザヤ様は気分を害したようだった。拗ねたような低い声で、見れば本当に眉間に皺を寄せている。

「これは、ロゼルを呼び戻すためのものだよ」

 その、言葉の意味が、わからなかった。

 今この人は、この円陣を指差して、誰を呼び戻すためのものだと言った?

「本土で見つけてきた魔術と、俺の知識をいろいろ合わせてみたんだよね。その人の体の一部を使って、もう一度その人を呼び戻すんだ」

 見れば円陣の中央に、白くて丸いものがころりと置かれていた。白い布の上に大切そうに置かれているそれは人の頭の形をしていた。まるで今にも砕けて消えてしまいそうなくらい、儚い白骨だった。

「なんで……」

「俺は、あの子に聞きたいことがあるんだ」

 円陣を見下ろす透き通った瞳は、いつか見たものと同じさびしそうな色をしていた。


『はじめまして、ロゼラディナ様』

 お兄さまのご友人の一人が、私の婚約者に決まったと聞いたときは本当に驚いた。

『アザヤ=リーガーと申します。以後お見知りおきを』

 人懐っこい笑顔を浮かべて私の手を取った人。同席していたお兄さまはとても嬉しそうだった。

『俺とデュールが兄弟になっちゃうわけねぇ。そしたら俺のほうが兄だよな!?』

 庭園で、お兄さまとアザヤ様と三人でテーブルを囲んだこともあった。アザヤ様はいつも色んな冗談を言ってくださった。

『私はそれで構わないよ』

 日にとけてしまいそうなくらい儚い金の髪をしたお兄さまは、くすくすと笑ってそれに答えていた。だけど私はうまく笑えなくて、それが恥ずかしくて下を向いてばかりだった。

『だが、お前今度本土に行くことが決まったそうじゃないか。人の妹と婚約を決めておいて、それはないんじゃないか?』

 その言葉に私は酷く驚いて、けれどやっぱり何も言えなかった。

 その日の帰り際、お兄さまは先に屋敷に戻ってしまっていて、アザヤ様のお見送りは私一人だった。

『ごめんね、ロゼル』

 夕方の庭で、アザヤ様は私にそう謝った。

『本家の都合で、急に行かなきゃいけなくなったんだ』

 わかっている。

 婚約が家の都合ならば、留学も家の都合だ。世の中はそういう仕組みになっていて、私たちはそこからそう簡単には抜け出せない。胸のうちにならたくさん言葉があったけれど、結局私は頷くことしかできなかった。

『ロゼル』

 アザヤ様に呼ばれて、私は顔を上げた。

『俺のこと好き?』

 唐突な問いに、私はただただ驚くことしか出来なかった。

『えっ……?』

『俺はね、きみを好きになりたいって思う。出来るなら幸せにしたいって思う。家の都合だろうとなんだろうと、せっかくこういう関係になれたんだしさ』

 アザヤ様は屈託無くそういった。

『私、は』

 そんなこと考えたことも無かった。

 家の都合ならそれに従う。そういう決まりを小さな頃から叩き込まれてきた。夫婦の間に愛情とかそういうものが存在するのか、私にはわからない。

 今どう答えていいのかも、わからない。頭の中はあっという間に真っ白に染まってしまった。

 私が答えられずにいると、アザヤ様の透明な目は少しだけ伏せられた。その色はさびしそうで、私の態度によってアザヤ様が傷ついたことがわかった。

『答え、考えといてね。楽しみにしてるから』

 それだけ言い残して、アザヤ様は門前に停められていた馬車に乗り込んでしまった。


 あの時の答えを、私はまだ見つけていない。


 過去が私の脳裏をよぎっていったのはほんの一瞬だったように思う。けれどいつの間にかアザヤ様は何かの本を手にして、恐ろしい魔術の言葉を口にしていた。

 お母さまがいつか口にしていたものとは違う。初めから速い口調で述べられるそれは私の耳ではただの呪いの歌にしか聞こえなかった。

「アザヤ様、待って、その人は」

 暴れる私をティラが押さえ込むのを無我夢中でまた暴れ返す。だが、私の声は届かなかった。ティラの手が私の頬を殴りつけた。

「あっ」

 アザヤ様に容赦するよう言いつけられていたのか、倒れ込むだけで済んだ。だがそれと同時にアザヤの最後の詠唱が終わり、閃光が部屋を突き刺した。


 目の前で天の太陽が爆ぜてしまったのかと思うくらいだ。私はその光を痛いとすら思った。直前にティラに殴られていなければ、光は私の目を焼いてしまっていたかもしれない。ただ倒れた衝撃で腕の縄が少しだけ緩んでいた。

 光はゆるゆるとおさまっていった。光をまともに当たってしまったらしいアザヤ様は、私から少しはなれた場所で昏倒していた。

 思い出して、私は円陣の中央を見た。

 何かが、いた。

 思わず私が上げた声は、歓喜だったのかもしれない。だとしたら、私の顔はきっと歪んだ笑みを浮かべていたに違いない。

「う……」

 アザヤ様がうめきながら体を起こすのが視界の隅で見えた。

「アザヤ様」

「ん、ウェ、ルノ……?」

 私がなんとかしてアザヤ様のところへ向かおうとすると、私のそばに倒れていたはずのティラがそれより先に体を起こした。一回の跳躍だけで音も無くアザヤ様のそばに近寄った彼女は、アザヤ様が自分で体を起こすのをぎこちない動きで補助していた。その動きは、いつか私の首を絞めていたときとは比べ物にならないほどやさしかった。

 何か声が聞こえて、私達は円陣の中央部に再び目をやった。

「ロゼル」

 アザヤ様がそれに呼び掛ける。だが、ずるりと起き上がったそれは金の髪をしていた。

「どういう……ことだ?」

 アザヤ様は目を見開いた。驚愕に満ちた表情は、目の前にあるモノが信じられないと言わんばかりだった。

「なんで……、どうしてロゼルじゃない!?」

 アザヤ様は絶叫した。

 私は思わず答えていた。

「あそこに眠っていたのは、ロゼルじゃないんです」

 アザヤ様は虚を突かれたようだった。

「どういうこと?」

 だけど私は何と答えたらいいのかわからなかった。

「それは……」

 私が口ごもっていると、這うような声が聞こえた。うつむいたまま、ぼうと立っているそれに見覚えがないわけではない。待ち望んでいたはずのものなのに、どうしてか違和感が拭い切れない。

「お兄、さま……?」

 私の言葉にぴくりとそれは反応した。フゥウ、と口から漏れ聞こえてくる呼吸音が返答のようにも思えた。

 ゆっくりとそれは顔をあげる。

「まずい」

 遠くの方で、アザヤ様が呟いたのが聞こえた。

「あそこにいたのが、ロゼルじゃないなら」

 ぐちゃ、と顔から何かが落ちて、床の上で水音を響かせる。なまぬるい臭いが一気に周囲に広がる。肺の中を撫で上げるそれに、喉がひくりと痙攣した。

「俺の術は」

 半ば崩れた左頬。笑みによく似た何かを浮かべていたのだとようやくわかる。文字通り肉が落ちた右の頬はかろうじて残った別の肉で繋がっているけれど、黄色く変色した歯が見えた。

 床に落ちた肉もまた、ブヨブヨと蠢いている。まるで主のもとへ戻ろうとしているように。ところどころに赤い筋が見えるその肉が通ると、何かとろりとした跡が糸を引いていた。だがその肉を踏み潰して、それは私に向かってきていた。

「あ。」

 気付けば目の前にそのひとがいた。振り上げた右腕も不自然に歪み、動かしただけでまた水音を響かせ崩れていった。

「にい、さま」

 呼び掛けた。

 だけど、目の前にあるものと記憶にあるものとがうまく結びつかない。唇が震えてうまく話せない。

「わた、し……」

「やめろ!」

 アザヤ様の怒号が聞こえた。

「え?」

 目の前に乾いた金色の何かが飛び込んできた。鼻先を掠めていったのは濃い土と血の香り。

 そうして私にぬるい液体が浴びせかけられた。同時に何かの凄まじい末期の声。だがそれさえもすぐに引き裂かれて、止まった。

「…………。」

 私が浴びた液体は、私の頬を伝って顎に流れ、そうしてぽたりと床に落ちた。目をそちらに向けると、そこにはひとしずくの赤い染みができていた。とん、と何かが私のそばに落ちて来た。二度、三度と跳ねたそれは、長い長い金の髪をしていた。

 拘束の結び目がするりとほどけたので、私は思わず手を伸ばした。金色の塊をこちらに転がした。長い髪が目元を隠していたが、それは。

「ティ……ラ……!?」

 私の目の前にまた何かが落ちてきた。何かを掴もうとしたのか、開きかけたままの人間の手首だった。

 なまぬるい血がまた背中にかかった。べしゃりと水音を立てる中に、ずるずると、まるで品の悪い食事の見本のような音が聞こえてきた。

 ――食事?

 まさか。

 私の体は勝手に振り返っていた。むっとする濃い肉の臭いが私を歓迎した。

 ――そうしてそこで見たものを、私は多分死ぬまで忘れられない。引きちぎられた首を。開かれた腹を。血に濡れた手が、更にその奥へと差し込まれることを。溢れ出す血肉を。それを貪るナニカを。あまりにもむごたらしいそれに対して、私の全ての感覚は停止してしまった。叫ぶことを忘れた。見たものを理解する力も絶えた。意識が吹き飛ばなかったのもただ出来なかっただけだ。

「ち、がう」

 呟きが、唇から漏れた。

 次の瞬間私は頭を振った。

「違う!」

 私のお兄さまはこんなことしない。

 違う。こんなものは、――コレは、お兄さまではありえない!

「……だから言っただろう。死者の復活など不可能だと」

 聞き慣れた声に、私は思わず安堵した。

「ご主人さま」

 だがそうやってそのひとを見て、その目のつめたさに体が冷えた。

 いつの間にか私のそばに姿を現していたご主人さまは、黒一色の衣装に、気に入りの黒杖を携えていた。

「……デュール?」

 アザヤ様が訝しげな声を上げた。

「なんでお前がここにいる?」

「返答は簡単だ。私はデュール=サーシェットではない」

 ご主人さまはきっぱりとそう答えた。それと同時に、金の髪は黒に、アイスブルーの瞳は血の色に塗り変わった。

「なん……何だお前、髪と目の色……!」

「貴様に聞きたいことがある」

 ご主人さまは驚くアザヤ様のことなど歯牙にもかけなかった。

「貴様この町の何人かを人柱にしたな?」

 ご主人さまはそういってアザヤ様を見下ろすと、ばさりとその前に新聞を放った。今朝渡したばかりのものだったが、そういえばご主人さまはやけに読み込んでいた。

「派手だったのはデュッシ=ケルファーだがな。それ以外でも新聞の片隅に載るくらいはしていた」

「あの、何の話ですか?」

 私はおそるおそる問いかけたがご主人さまは私を見なかった。

「お前も知っているだろう。デュッシの事件以降、いくつかの家で惨殺事件が起きている。……アレにやらせたな?」

 ご主人様の目は、形を崩されていくティレイシアに向けられていた。

「嘘でしょう?」

「ホントだよ。術の成功のための生贄」

 頭を片手で押さえたままアザヤ様は笑って答えた。見たことも無いくらい下卑た笑いだった。

「この家から均等に離れた家をいくつか狙った。あとは散歩に見せかけて円陣を描く順序と同じように歩いてきた」

「家の周辺に円陣を敷いたわけだな」

「そ。その上で中心になるこの部屋で、もう一度円陣を敷いた。成功率はそれだけで跳ね上がるからね」

 アザヤ様の告白に、ご主人さまは肩をすくめて嘆息した。

「全く。本国で無駄な知識を拾ってきたものだ」

 やれやれと言って、そのまま視線を円陣で食事中のそれに向ける。その目に警戒というほどの鋭さは無い。ただ無感動で、厭きれかえっているように見えた。

 私はアザヤ様に向き直った。

「アザヤ様」

「ん?」

 アザヤ様は目線と低い一言だけの返事をした。

「殺したんですか?」

 聞きたくない。

 聞いたらきっと戻れなくなる。

 わかっていたけれど、聞かないわけにはいかない。

 私には、聞く義務があった。

「ロゼラディナを復活させるために、殺したんですか?」

 否定を。お願いだから否定を。

 刹那に何度もそう祈った。


「そうだよ」


 それが答えだった。

 私の目から、今更涙が流れてきた。

「……ごめんなさい」

「何が」

 うっとおしいといわんばかりのその態度に、私の涙は余計止まらなくなった。ごめんなさいとただ繰り返すだけになった私を見かねたのか、ご主人さまがそばによってきた。

「アザヤ」

 ご主人さまはアザヤ様の胸元を掴んだ。その瞳の血の色は更に濃さを増した。

「何す……ッ」

「やめて!」

 私の制止の声は再び届かなかった。

 ご主人さまの『眼』を真正面から見たアザヤ様の目が、ぐるりと白に反転した。

「アザヤ様!」

 アザヤ様の瞼がゆっくりと閉じられていく。

「ロ、ゼ……」

 私に呼びかける途中で、アザヤ様は倒れてしまった。――ご主人さまは、アザヤに対して、あの幻惑を解いたのだ。それが罰だと言わんばかりに。

「ごめんなさい。ごめんなさいアザヤ。お兄さま」

 ぐちゃ、と何かが滴り落ちる音が聞こえた。

 私はゆっくりと振り返る。私の醜く、見るに耐えない罪がそこにまだ居る。

 ティラの赤い血を啜った口元は真っ赤に染まっていた。私を見る眼は空ろで、何も見えていない。

 死者の復活なんて望んじゃいけなかった。

 私が、あの時お母さまを止めていれば、こんなことにはならなかった。

 だから、私は終わらせなければいけない。

「ご主人さま」

「何だ」

 言いながら、ご主人さまは手元の杖を持ち直す。

 ああ、この人は何でもわかっているのだと奇妙にも安心してしまった。

 涙で濡れた目元を拭い、足の拘束も解いた私は背を伸ばしてご主人さまに対峙した。


「……私の罪を、殺してください」


「いいだろう」

 ご主人さまは頷くと、魔術の言葉を口にしながら、黒杖を私の罪に向けた。

 シャン、と杖が軽やかな音を立てる。ご主人さまは普段はあの杖を杖としてしか使わないけれど、あの杖には本当は白鋼の刃が隠されている。まっすぐに向けられた刃を、罪は避け切れなかった。眉間の間に深く深く突き立てられた刃に咆哮を上げる。耳の奥に焼きつく怨嗟の声を、二度と忘れぬように私はしっかりと刻み込んだ。

 ご主人さまは更に何かを口にする。アザヤ様や、お母さまが使った術とは違う。水が流れるような、ころりと転がっていくような言葉だった。

 なんだろう、そう思った瞬間に、罪が私に呼びかけてきた。

「ロゼル」

 その声は、十五年聞きなれた声。私を呼ぶ、やさしい声。

「え……?」

「ロゼラディナ、答えてやれ。これが私の本来の能力だ。だがあまり長く保たん」

 ご主人さまは突き立てた黒杖から手は離さなかった。だが体を少しだけずらしてくれた。

 罪の顔に、見慣れた人の笑顔が垣間見えた。

「お兄、さま……?」

 私が呼びかけると、その顔は少しだけ苦しそうに歪んだ。

「すまない」

 一言そういって、また繰り返した。

「すまないね」

 何に対する謝罪なのか、言わなかったけれど。

 何に対する謝罪なのか、私にはわかってしまった。

「わ、私、こそ……」

 私はよろよろと近寄った。止まったはずの涙は溢れ出して、その人の姿がうまく見えなくなった。

「ごめんなさい。ごめんなさいお兄さま。お母さまと、アザヤに、私、罪を負わせてしまった……」

「すまない」

 謝罪に私は頭を振った。

 そんな言葉が聞きたかったんじゃなかった。

 こんな言葉を言わせるために、行動したわけじゃなかった。

 けれどそもそも、そんな思い自体が過ちなのだ。

「あなたは悪くないんです。私が……っ」

「すまな……」

 その人の目からも、一筋の涙が頬を伝っていった。

 けれど次の瞬間、土の色をした肌が真っ白に染まっていった。言葉も薄れていって、そして。

「待っ」

 砂に戻ってしまったその体は、ざらりと音を立てて崩れた。御主人様の杖の先に刺さっていた骨も、手を伸ばした瞬間砕けてしまった。

 慌てて受け止めようとしたけれど、更に細かく細かく崩れていったそれはあっという間に私の指先から零れ落ちていった。

「お兄さま!」

 叫んだ声も届かない。ただ夜陰の嵐だけがごうごうと断罪の声を上げていた。


 私の罪が、もう一つ増えた。

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