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謀と紅茶

「やー、昨日は参ったねぇ」

 アザヤ様は明るく言った。傍から見ると全く『参った』ように見えないけれど、これは彼なりの気遣いだ。なるべく暗い雰囲気にならないようにしてくれているのだとわかる。

「そうだな」

 ご主人さまはやれやれと言わんばかりに頷いた。

 昨日はあれから警察による取り調べでほぼ一日を潰してしまった。

 ご主人さまのもとにふらふらと戻った僕が中の様子を伝えると、ご主人さまとアザヤは手際よく警察に通報した。ご主人さま達は身分ゆえに自宅に帰されたけれど、警察官がすぐにやってきて、ケルファー家を訪れたきた経緯やら忍び込んだ理由やらを事細かに調査していった。

「俺んちにも警官がたくさん来ちゃってさ。俺が知ってるのはほんとにちょっとだったんだけどね」

 アザヤ様は僕の淹れた紅茶に口をつけた。

「ウェルノの紅茶はいつも美味しいね。ありがと」

 ご主人さま達の会話の邪魔にならない位置に控えていた僕にアザヤ様は笑いかけてくださった。

「恐れ入ります」

 僕は静かに答えた。その様子を見て、アザヤ様は間延びした声を上げた。

「いーいなぁーウェルノみたいな子ー。紅茶美味しいし、物腰は丁寧だし」

「やらんぞ」

「違うわ! 普通に褒めてんの。そーいう意味じゃねーっつーの」

 ご主人さまが間髪入れずに釘をさしたのを、アザヤ様は呆れた目で見て、手をひらひらと振った。

「俺には専属の従者いないからねぇ。いたら色々話せて楽しいかもなって思ったんだよ」

「お前六男だしな」

「そ。当主代行サマとは身分が違うの。別に気にしてないけど」

 アザヤ様はリーガー家の六男だ。家督を継げる可能性はかなり低い。こういう場合大概は教会入りしたり、もしくは立身出世目指して軍に入ったりする。けれど、アザヤ様に限ってはその必要がない。

「今度また本国に戻るのだろう?」

「あれ? もう知ってんの?」

 アザヤ様の瞳がくるりと丸くなった。

「ああ」

 ご主人さまも紅茶をすすりながら答えた。

 リーガー家は代々魔術師を多く輩出する一族だが、アザヤ様は当代きっての魔術素質の高い方だと言われている。魔力をよく貯める金の髪と、時としてその力の流れをも見ることが出来ると言われる翡翠の瞳。

「今度は前よりは短いよ。タダの祈祷の人数合わせだから」

「人数合わせ?」

「そ。……いいか、他には絶っ対言うなよ」

 アザヤ様は声をひそめた。

「国王がヤバいらしい」

 その一言で、場に緊張が走った。

「この町で去年流行った病が、今は本国で流行ってるらしいね。噂じゃ王もご多分に漏れなかったらしいよ」

「それは気の毒に」

 全く『気の毒』そうに聞こえないご主人さまの言い方だが、アザヤ様と違って本気でそう思っているのだからタチが悪い。

「ねー。挙句皇太子は王弟だけど、噂じゃこっちもだって。直系だと姫だけだし、万が一の時はどうなるんだかねぇ」

「女王はあり得ないのか?」

「んー、何せ前例がないからね」

 アザヤ様は肩をすくめた。

「ま、俺にしてみれば仕える相手が変わるだけだから、なんでもいいけどね」

 アザヤ様はそうして紅茶の残りを全て飲み干した。無防備に燕下する喉元を眺めながら、ご主人さまが笑った。

「不敬罪とやらで捕まるぞ」

「俺の心は大事な人にしかあげないって決めてんの。王が男でも女でも、いいと思えたらちゃんと仕えるよ。お鉢が俺まで回ってくればね」

 諦めたような笑いを見せた後、アザヤ様が立ち上がった。僕はアザヤ様の分のコートや杖を用意した。

「そうだ。警官から変なコト聞いたからお前にも伝えとくよ」

「何だ?」

 僕がコートを広げて、アザヤ様が袖を通した。

「ありがと。……で、デュッシの奴が、最近妙な集会に出入りしてたらしいんだよね」

「集会?」

 ご主人さまは自分の紅茶をまだ飲みながら聞き返した。

「そ。しかも禁術のだよ。しかも警察や軍がアタリをつけるくらいヤバいやつ」

 コートを羽織ったアザヤ様は、じっとご主人さまに正面から向かい合った。

「デュール。頼むから、妙な真似はすんなよ?」

 アザヤ様の言葉に、ご主人さまは鼻で笑って答えた。

「お前こそ」

 ご主人さまは組んだ足に手を置いた。

「本国で妙なものは拾ってくるなよ?」

「どーも」

 アザヤ様はくすくすと笑いながらご主人さまに手を振った。


 御主人様の部屋を出てから、僕はアザヤ様の帰りの馬車の手配を御者に頼みつつ、門まで送っていた。サーシェットの家の庭はあまり広くは無いけれど、第一婦人の奥様の趣味もあって、隅々まで手が行き渡っている。アザヤ様が帰りに少しだけ、と所望されたので寄ることにした。

「いつ来てもここの庭はいいよね。俺すごく好き」

「ありがとうございます」

 アザヤ様は子どものようにはしゃぎながら言う。

「あ」

 アザヤ様は急にしゃがみこんだ。

 アザヤ様の視線は足元の小さな白薔薇に向けられていた。まだ咲きかけのそれをそっと撫でて、アザヤ様はさびしそうに笑った。

「人って変わるもんだよね」

「え?」

「ウェルノは知らないだろうけど、デュールすごい変わったよ。昔は体弱かったせいもあるだろうけど」

 アザヤ様の言葉に僕はどきりとした。

 この人はもしかして、覚えているのかもしれない。

 一瞬そんな思いがよぎった。

「アザヤ様……」

「もちろん今のあいつが嫌いなわけじゃないけどね」

 アザヤ様の声だけは明るい。けれどそれを信じるほど、僕も馬鹿じゃない。

「ウェルノ。きみだから言っとく」

「はい」

「あいつがなんか妙な真似したら、俺に伝えて」

 アザヤ様の言ったことを逡巡して、その意味に気が付いた。

「……そういうことですか」

 それはつまり、僕に密偵行動をしろということだ。ご主人さまがそれだけ疑われているということにもなる。

(ごめんなさい)

 胸のうちで詫びて、僕は腹の底に力を入れた。

「残念ながらそれは、お受け出来ません」

 精一杯の矜持で以て、アザヤ様に対峙した。

「僕の主はあの方です。死後もあの方にお仕えする覚悟です」

 ウェルノ=クランバーとして、この答え以外のものを僕は持ち合わせていない。

「……参ったなぁ」

 アザヤ様はぱりぱりと照れたように髪をかきあげた。その言葉に含まれる感情はあまりにも複雑で、僕には読み取りきれなかった。

 アザヤ様はどうしてか悲しそうで、だけど、笑っていた。

「初めて会った時は、もっと違う理由かと思ってたんだ。あいつがいきなり従者つけるとか、ちょっと予想外だったし、きみは……あんまりにも、そっくりだったから」

 だから、とアザヤ様は続けた。

「あいつのこと、頼むね」

 まぶしいくらいの笑顔を浮かべたアザヤ様は、僕を置いて庭から門へと歩いていってしまった。

 それを僕は慌てて追ったけれど、僕が追い付くよりも先に、アザヤ様は馬車にひょいと乗り込んでしまった。

「またねー、ウェルノー!」

 馬車からひらひらと手を振っている間、思わず呆然としてしまっていた。

 従者らしくきちんと振舞えていたかさえ、僕にはわからない。

「……ごめんなさい、アザヤ様」

 最初に口をついて出たのは謝罪だった。

 小さくなっていく馬車を見送りながら、立ち尽くしていた。



 僕がご主人さまの部屋に戻ると、ご主人さまは既に何冊かの本を広げていらっしゃった。

「な、何ですか、これ」

「歴史書が半分だな。内容はこのアスタヴィラの異端について、だ」

 ぺらぺらと貴重な本を無造作にめくりながらご主人さまは答えた。

 普通、こういう書斎に置いてある本は本に見せかけた偽物であることが多い。紙はとんでもない貴重品だからだ。けれどこの部屋にあるものは恐ろしいことにほとんどが本物だ。ご主人さまがこの部屋に入り浸る理由の一端にこれも含まれている。

「異端、ですか」

「まぁ召喚術のことだな。この土地に古くから住んでいた連中は、召喚術こそ至高の術だとほざいていた記憶があるが」

「そうなんですか?」

「ああ。だが、ここの本は召喚術など野蛮かつ不可能、一番傑作なのは幻覚だとまで言及しているものがあることだな」

 召喚術によってこの場所に呼ばれたご主人さまは、本をめくりながら皮肉ったように嗤う。

「昔は私たちを日常的に呼びつけていたくせに、今じゃ悪魔だなんだと勝手を言ってくれる」

 不満そうな言い方だけれど、怒っているわけではない。

 ほんの三十年ほど前の話だ。

 この土地は、かつて違う国の首都だった。

 けれどその国・デセルディナはもうどこにも存在していない。王族は皆殺しにされ、土地の貴族は死ぬか逃げるか服従するかのどれらかしか選べなかった。だから、この土地に残る黒髪の貴族の殆どが、デセルディナの名残といっても良い。

「土地の支配主が変わるとここまで変わるのだな」

 頬杖をつきながら本を眺めるご主人さまは、どこか知らない、僕が生まれていない過去を見ているようだった。

「おそらくアザヤが言っていた集会とやらも、召喚術関連なのだろうな」

「まだ関わる気なんですか? ご主人さま」

 僕はそっとご主人さまに尋ねた。

「当たり前だ。お前をキズモノにした相手に直接報復せねば気が済まん」

 ご主人さまは手元の本を閉じると、立ち上がった。

「……私たち悪魔にとっての贄はそれだけの価値あるものだ。前に説明しただろう?」

「はい」

 通常、悪魔はこの地に立つことすら敵わない。アスタヴィラに征服されてから、この土地にはそういう結界が人為的に張られてしまったから、だそうだ。だがそれでもご主人さまがこの地に存在できるのは、僕という贄を利用して繋ぎとめているからだ。

 つまり究極的なことを言うならば、僕が死ねばご主人さまはこの土地に存在できなくなる、そういうことらしい。契約の為にこの地にとどまることが必要なあの方にとって、僕を失うわけにはいかない。それに僕も、契約を中途破棄されてしまうわけにはいかない。

「贄がいなければ我々はここに存在出来ん。贄を傷つけられることは即ち私自身に対する挑発だ。それに応えないわけにはいかんだろう」

 とうに冷え切った紅茶をカップの中でくるくると回す。

「ご主人さまは彼女の主を見つけ出すだけでなく、その術を伝えた相手まで見つけ出すつもりなのですね」

「当たり前だ」

 ご主人さまがきっぱりと肯定して、僕は内心でほっとしていた。――私にとって好都合なことだった。死者を呼び戻す方法を知る絶好の好機ともいえる。

「わかりました。仰せのままに、ご主人さま」

 僕は従者として、そっと頭を下げた。

 コンコン、と軽やかに扉が叩かれた。僕が開くと、メイドが手紙を持ってきてくれていた。それを受け取って、裏を見て僕は目を丸くした。

「ご主人さま」

「なんだ?」

「軍からの御手紙が」

 封をする蝋に押された印章は軍のものだった。

「貸せ」

 物怖じという言葉を知らない僕の主人は手紙わ受け取ると、欠片のためらいもなく封を破いた。

 しばらく紙面に目を滑らせていたが、やがてご主人さまはにまりと笑った。その何とも分かりやすい笑みは、悪企みを考え付いたのだと嫌が応にもわかってしまった。

「好都合だな」

「……何だったんですか?」

 ものすごく聞きたくなかったが、聞かなければ仕事にならない。

「聞きたいことがあるから今度また伺う、だそうだ。それも、軍の魔術管轄部から」

 手紙を長い指先で挟んだご主人さまは、ひらひらとそれを振って見せた。

 魔術管轄部。その名のとおりこの国の魔術を規制し、異端を排除するためにつくられた特別な組織だ。

「いいだろう。利用できるだけ利用して情報を搾り取ってくれる」

 この上なく楽しそうに悪どいことを言ってしまうご主人さまに、僕はため息を吐くしかなかった。

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