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紅、藍、碧、黄、紫、茶――色の名を持ち、各地を治める彼らは色家と呼ばれる。色家の繋がりは強く、互いに支え合いながら各地を治めてきた。
そして、この東の地は紅家がその役目を担っている。東で最も栄えた里に居を構え、武術に長ける一族として人々に知られている。
しかし、ほんの五十年ほど前まで紅家の立場は、その地を治める一族の"補佐"に過ぎなかった。
紅家を武術の象徴とするのなら、その一族は智――ありとあらゆる知識に長けた一族だった。それが、藍家である。
その藍家が滅んだことにより、現在の東の地は紅家によって治められているのだ。
当時、突然の藍家の滅びに各地は騒然とした。紅家とともに平穏を与えてくれた藍家の滅びは、東の地に深い悲しみをもたらした。
しかし、一夜にして一つの里ごと滅んだその真実は語られることはなく、「賊の仕業」という情報のみが人々の間を駆け抜けた。
そして、それはまた、色家にも同様だった。だが、色家はそれを信じるほど単純ではなかった。
「表向きには賊による襲撃、ということになってますが本当のところはどうなんですか? 彼らの頭脳と武力を凌ぐほどの人間が、賊の中にいたとは思えません」
賢者の一族と名高き藍家は、他の追随を許さない卓越した頭脳、知識を持っていた。そして、同時に紅家に次ぐ武力を持ち合わせていた。それが簡単に崩れたことに、色家は動揺を隠せなかった。
しかし、その動揺を収めたのは当時の色家の当主たちだった。
「いい加減、彼らに何があったのか教えてくれませんか、父上」
あの日、藍家に最初に駆けつけたのは梨淑だった。まだ当主になる前の彼は、当時当主だった父、長春の命で藍家に向かった。
「あの時、藍家で何があったのか、何を見てきたのか、父上はいくら聞いても答えてくれませんでした。祖父様を始めとした先代たちも。……だから俺たちは、色家は、憶測を受け入れるしかなかった」
「憶測、か」
梨淑は息子の表情からかすかな不安を感じ取った。次男は次男で顔をしかめている。藍家に対する彼らの思いは、やはりその憶測以上に厳しいらしい。
「……確か、権力欲しさに自滅した、だったな」
一族の中で始まった権力争いに、翻弄され正気を失い彼らは滅びた。色家の間で生まれた憶測は、ほとんど事実として定着している。
――それもある意味、正しいのかもしれないな。
梨淑は小さくため息をついた。
長い間蓄積してきたあの知識と頭脳を持ってすれば、彼らは天下をも取れたはずだ。
藍家を頭とするならば、紅家は身体だ。昔誰かがそう言った。武術を修める人間の中でも精鋭が集まる紅家は、藍家と同じく他の追随を許さなかった。
だが、紅家の望みは権力などではなかった。藍家もまた然り。しかし、事態はそううまく進まなかったのだ。
「確かに、最期の彼らは力を欲していたかもしれない。だが、先代までは確かに上手くいっていた。そう見えただけかもしれないが、先代は見事にあの藍家を抑えていた」
「……あの藍家を抑えるって、祖父様もよく言ってましたけど、何か意味があるのですか?」
「言わなかったか? 彼らは膨大な知識をその身に溜め込む反動に、精神的にひどく脆い」
「聞きましたけど……」
いまいちその言葉の真意がわからない。
李遊は父の曇った表情に、言葉を詰まらせた。いつもながらに、何を考えているのか判別がつかない。ただ、少しだけ悲しみのようなものが見て取れた。一体、何を思い出しているのだろうか。
気になりつつも、李遊にははっきりさせなければならないことがある。
「何故、今になって彼らのことを蒸し返すのですか。藍家はあの日、その歩みを止めました。確かに真実を知りたいとは思いましたが、俺は自分の守りたいものを守ることができるなら、知らなくてもかまいません。話す気がないならこれ以上聞きません」
「お前はそう言うだろうと思っていた。だが、まだ話は終わっていない」
暗に、守るためならばどんな犠牲も厭わないと告げている兄に、李絳は思い切り顔をしかめた。それを、梨淑は目を細めるようにして見た後、小さく息をついた。
「実のところ、私も彼らの真相を知っているわけではない」
「……はぁ?」
あっさりと告げられた言葉に反応があったのは、たっぷり一拍置いた後だった。それも李絳の間抜けとも言える、怪訝そうな呟き。
「李絳。――父上、意味がわかりません」
嗜めるように李絳を睨んで、李遊はできるだけ落ち着きを持って訊き返した。だが、やはり返ってくるのは彼らが求めた答えではなかった。
「彼らの真実を知っているのは先代たちだけだろうな。……まぁ真実と相違ない事実を、というだけかもしれんがな」
「意味がわからないんですけど……。ーーじゃあ、父上があの日見てきたのはなんなわけ?」
「何も。正確に言えば至る所に転がされた屍、だな。私が駆け付けた時には、すべてが終わっていた」
梨淑は目を伏せて、昔を思い出すように言った。
新鮮な赤、黒く濁った赤。むせかえるほどの空気とともにそこにあったのは、ひとつの人影。
言葉を交わしたのは初めてではなかったし、最後でもなかった。
それなのにいつも一番に思い浮かぶのは、同じ光景ばかり。
ーーすべてを知るのは彼女のみ、か。
梨淑は小さく息を吐いたのだった。。そして、顔をしかめている息子たちに向き直る。
「五十年も口開かないと思ったら、なんだよそれ……」
「お前も李遊も直接訊いてきたことなど、一度もなかっただろう。他の者が訊いてくるのを見ていただけで」
訊かれなかったから答えなかった。彼らにはそう聞こえた。
李絳は、散々焦らして知らされた事実と梨淑のそれに、耐えられずに苛立ちを乗せて叫んだ。
「あんた俺らが訊いて答える気あったのかよ!」
梨淑は冷静に李絳を見つめると、やがて不遜に微笑んだ。それが、さらに李絳の癪に障り、頭を抱えさせる。
李遊は、溜息をついて父を見た。わざと、李絳を挑発するような態度を取るのは祖父と変わらない。李遊はもう一度溜息をつくと、気を取り直したように口を開いた。
だがそれは、追い打ちをかけるかのような父の言葉によって、遮られるのだった。
「さて、本題だ。藍家の時は止まってなどいない。ある意味止まってはいるが、終わってはいない」