2-1
ここは東を治める紅の一族の本邸がある、紅の里。
本邸――紅家の片隅に、弓道場も併設された武道場がある。そこへ、一人の男が顔を出した。彼の名は、紅李遊。紅家当主の長男である。
李遊は弟、李絳の姿を探して屋敷中を歩き回っていた。
「――蘇芳、李絳知らないか?」
弟を見つける代わりに、弟の従者を見つける。
「李遊様、お疲れ様です。……李絳、ですか?」
蘇芳は李遊の姿に気付くと姿勢を正した。そして、呆れたように溜息をついた。
「また、ですか……」
「ああ。次の仕事を任せようとしたら、いなくなった」
肩をすくめて同じように溜息をついた李遊に同情の眼差しを返して、蘇芳は苦笑した。
「李絳なら離れにいると思いますが、連れてきましょうか?」
「……まだあそこを根城にしてるのか。――いや、いい。後はこっちでなんとかする。助かった。邪魔をしたな」
呆れて肩を落とした後、李遊は片手を上げて礼を言うと武道場を後にした。
軽く会釈をしてその後ろ姿を見送っていると、蘇芳は別の方向から歩いてくる父、晴燕の姿を見つけた。
「……父さん? 何してるのさ」
「おう、蘇芳。李絳は離れか?」
弾んだ声音に何やら嫌な予感を覚え、蘇芳は巻き込まれないよう手短に答えた。
「今、李遊様が呼びに行った」
「ほう」
にやりという表現が一番適しているだろう笑みを浮かべると、晴燕は踵を返した。
あっという間に歩いてきた方向へ消える父に、蘇芳は溜息をつくのだった。
その頃、李絳は離れの一室で、いつものように昼寝をしていた。
この離れは、当主を始め一族の人間が勤めている紅家の敷地に入ってすぐの建物から左回りに建つ道場などとは逆の場所に建ち、敷地の奥に建つ本家の母屋で遮られ見えなくなっている。そのため、仕事をサボるにはうってつけの場所なのである。
日当たりの一番いい部屋で熟睡している李絳は、部屋に入ってきた兄にも気付かない。
李遊は部屋に入った途端、いつもはあるはずのない荷に目を止めるが、とりあえずの目的である弟の傍に立った。
「おい、李絳。起きろ」
一度の呼び掛けでは起きない李絳に、李遊はその頭に拳骨を落とした。
「だっ………なに――げ、兄上」
「お前、ここへの立ち入り禁じられたばかりだろ。勝手に私物運び入れるな」
「はぁ? 最近は何も運んでない――ああ、あれのことですか」
怪訝そうに振り返った李絳が、李遊の視線を追って、大小様々な大きさの箱を見る。
「あれ今日俺が来たときから置いてあったけど、昨日まではなかった。なんか新しいものみたいだけど、普通この離れに運びますかね? ここと隣の部屋以外は荷物置き場だけど、こっちは使わないようにしてなかったっけ」
「お前のじゃないなら誰の私物だ?」
「は、まさか父上……母上以外のおーーだっ!!」
口を覆い真剣な表情をした李絳に、李遊は再び拳骨を落とした。
「縁起でもないこと言うな!」
「……っ、ただの冗談だろっ。それより、今後使う予定があるなら兄上の耳にも入ってるはずでしょ。どうなんですか」
頭を押さえたまま目を眇めた李絳に、溜息をついた。
「客人が来てもこの離れは使わねーだろ」
そういえばそうだった。李絳は改めて気付き言葉を詰まらせた。
「……じゃあ、なんなんだよ」
「……父上に聞いてみるか。ちょうどお前を連れてくるよう言われてたとこだ。行くぞ、李絳」
「いっそのこと開けてみれば誰のものか分かるんじゃないですか?」
二人は立ち上がるが、李絳の目的は部屋の片隅に置かれたその箱だった。箱の脇に膝をつくと、李絳は蓋に手を伸ばした。
「案外、なんかのお宝だったり――」
「おい、やめろ。勝手に――」
中を検めた瞬間、李絳とともに後ろから覗きこむように立っていた李遊も固まった。そして、次の瞬間李絳は思い切り蓋を閉めた。
「お、俺見なかったことに――」
「何故、見なかったことにするんだ?」
割り入ってきた第三者の声に、二人は反射的に振り返った。
「うげっ」
変な声を上げた李絳をよそに、李遊はその人物を冷静に見た。
「……父上、何故こんなとこにいらっしゃるんですか。執務中では?」
「雅楽に任せてある。安心しろ。執務が滞ることはない」
鷹揚に返した彼らの父は、名を梨淑という。彼は現在の紅の一族を率いている当主である。
梨淑は息子たちの顔を見て、不遜に笑う。普段、虫も殺さなそうな人の良い穏やかな空気を纏っている父は、息子たちに対してはがらりと態度が変わる。
「それで、何を見たと? 何故なかったことにする? まぁ、嫌でも関わることになるがな」
明らさまに嫌そうに顔をしかめている李絳と、仕事を気にしながらもうかがうように梨淑を見ている李遊に座るように促す。そして、自身も腰を下ろした。
「――さて、先にお前たちの話を聞こう」
「……なぜ、あんなものがこの紅家にあるのですか」
先に口を開いたのは李遊だった。
梨淑は小さく笑うと、とぼけて見せた。
「あんなもの、とは?」
「あの箱の中身です。あれは藍の着物ですね?」
「藍色の着物などどこにでもあるだろう」
「……藍家仕様の藍色の着物なんてここにはあるはずないでしょう。……何故、そんなものがこの紅家にあるのですか」
真剣な表情で言葉を返す李遊だが、梨淑はやはりまともに答える気がないようだった。
「ここは紅家です。そし何より、父上は知っているはずです。彼らの――藍家の最期を」