【柒】
肌にささる青い風を避けようと、白装束が両うでを頭上に掲げる。その腕のすき間から、呪いを吐きすてるごとく悪態が洩れた。
「おのれ、人神風情が……!」
「ひとがみ?」
声をかえしたのは、ジャージ男である。白装束がまえに立つのをいいことに、その背中にひょろりとした身をうまく隠している。
「人神とは、死して神となった人間でございますぞ」
「え? で、では、この男……」
「さよう。ひとでありながらひとに仇なす、外道にございます……!」
たしかに、かれはかつて、ひとであった。
しかも、ただびとではない。階層にも加えられない、ひとに非ざるもの。
その生まれを恨んだことはなかった。しじゅう飢えて、学はなく、弁もたたず、力もなく見目もよくない。代わりに、そこから抜けてやるという気持ちばかりが強かった。
生きるためならなんでもした。盗みも嘘もたかりも、ときにはひとを傷つけ、奪い、そうこうしているうちに、飢えぬためにやっているのか奪うために飢えているのかわからぬようになった。あの男のしたことなど、かわいいものである。
ひとでないならひとでないなりに、世間の裏側から金をむしりとり、いつしか御殿のようなものを建ててもみた。ところが、だ。いくら食うても腹が満たされぬ。いくら名や財をなしても心もとない。躯体(からだ)の真芯が、あたかも闇を呑む洞であるように、さらさらと崩れる砂地であるように、飢えて乾いてしかたがないのだ。
そのうちに、妻が死んだ。今やもう名も顔も思い出せぬ女は、かれとの間の子とともに、やんごとなき方ののった馬に蹴られ、あっという間に死出の道に旅立ってしまった。
こんなことが許されるのか、とかれは神を呪った。もとより信心のあるほうではなかったが、呪うことでしか正気をたもてぬまま、妻と子を殺めた相手を手にかけ――――はた、と気づいた。
おれはいったいなにをしているのか。
そこからはもう、奈落に転げ落ちる日々だった。気がつくと、着の身着のままでひとり、道ばたに座り込んでいた。手元にあるのは、古ぼけた団扇が一枚。ほかにはなにもなかった。
幾日も水もものも口にしていないのに、不思議と辛くなかった。むしろ、あれほどあった飢餓感が嘘のように消えていた。
役に立ちそうにない団扇を手に、ふらりと足を向けたさきは、かつて家のあったところではなく、妻と子のために建てた墓。が、そこに墓石はなかった。かれの財を狙ったものが、石を倒し墓をあばいて、すべて奪っていったあとであった。
しめった土の穴に点てんとまき散らされた、白い骨。指で拾いあげようとしても、すでに朽ちてうまく掴めぬ。どうにか丸いしゃれこうべをふたつ両うでに抱え――かれは、哭いた。
なぜこんなことになったのか。
金さえあれば、〝ひとなみ〟になれるのではなかったのか。
飢える思いを抱かずに済んだのではなかったのか。
――こんなはずではなかった。こんなはずではなかった……!!!
それは、わが身に向かう呪詛であった。
ひとは弱い。弱いからすがりつきたくなる。そのすがりつこうとしたものの空虚さを――おのれの手が摑もうとしたものの真実を――かれはそのとき、ようやく知ったのだ。
金が、にくい。
ひとを惹きつけて止まぬ、財がにくい。
財に惹かれる、ひとの弱さがにくい。
にくい。
にくい。
そうしてかれは、〝鬼〟になった。