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【陸】

   

 目をはなしたのは、ほんのひととき、ふたとき。

 その間に、郭公に貼りついていたはずの赤い光の網が消えている。わずかに、やぶれ団扇のばさばさの先が焦げていたが、それだけであった。

 ざんばらな風体は相変わらずざんばらで、その素っ気ないほどの飾りのなさが、かえってかれが異様な存在であることを大きくしていた。


 ずい、と貧乏神が一歩前に出る。

 骨のむき出しになった渋団扇のさきが、ぴたりとジャージ男に合った。


「――おまえ」

「ひ……っ!」

「おまえ、おれが憑いたやつだな? まだ生きていたのか」


 色を失くす男にたたみかけ、にまりと笑う。やさしい笑みではない。見るものの心をざわざわと揺さぶるような、もろもろを含んだ面持ちだ。

 白装束の似非法師の肩にすがり、ジャージ男が癇声をあげた。


「や、やっぱりおまえのせいなのか、貧乏神!」

「なにがだ」

「わ、わたしをこんな目に遭わせやがって……っ!」


 くくっと喉の奥で、貧乏神がまた笑う。


「こんな目? おまえ、おれがなにをしたか、本当に分かっているのか?」

「当たり前だ! とつぜん取引が切られたり、ものを盗られたり、変な記者に追いかけまわされて、どれもこれも坂道を転がるようにダメになっていったんだぞ! 仕事も家族も家も失くしたんだっ! おかしいと思って陰陽師さんにみてもらったら、ぜんぶおまえのせいだというじゃないか! おれの人生を返せっ!」

「ほう。おまえの人生、な」


 ぱしりと、郭公の手のうちで、やぶれ団扇がかたい音をたてた。ひ、と結界のなかで、こんが息を呑む。かれの苛立ちがわかったのだ。

 ひとには見えぬ、ほの青いゆらめきが、かれの両肩からたち昇る。


「それでは訊くが、おまえの人生とはいったいどのようなものだ?」

「そ、それは、いろいろと……」

「おまえが失ったという富は、本当におまえのものか?」

「あ、あたりまえだっ」

「ほう。おまえの仕事も、家族も、家も、おまえ自身の所有物であるのだな?」

「そうだ! わたしがゼロからこつこつとひとを騙して稼いだ――!」


 言いかけ、はっと男が手で口を押さえた。


「いや違う。こつこつと、全力で、融資者から巻き上げ――?!」

「せ、施主どの?」


 喉を両手でおさえ、目を白黒させる男に、白装束もあわてて後ろをかえりみる。

 泡を食った様子のふたりに、郭公が呵呵と声をあげて笑った。


「あっはっは! 神のおれのまえで嘘が吐けるものかよ」

「悪神め……奇怪な術を使いよって!」

「いかにも。おれは悪しき気を糧とするものさ」


 くくく、とまだ残る笑いを団扇の陰におさめ、貧乏神はざんばらな髪からのぞく目をすがめた。


「おれはひとに憑く。それは、ひとが他のものよりも悪しき気を放つからだ。恨み、妬み、嫉み……すべてはおれにとって心地よい、陰の風よ」

「そのために、ひとの富貴を奪うというのか!」

「違うな。おれが成すのは富を奪うことじゃない。溜めこんだものを、すこおし流してやるだけだ」

「なに……っ」

「そも、富とは溜めるものではない」


 ぱちり、とまた手のうちで団扇が鳴った。


「富とは、流れるものだ。流れ、それとともに善き思いが行きまじわって、豊かさが産まれる。おれは滞ったものを放ち、そこに溜まった悪しき気を喰らう。代わりに、憑いたやつにおのれ自身の影を見せてやるのさ」

「おのれ自身の影、だと……?」

「そうさ。物が周りにありすぎると、ひとはすぐに目を眩ませられる。それを少しばかりとり払って、本当のところを日向に引っぱり出してやるのよ」

「しかし、ひとがそれを望んだわけではあるまい!」

「そうさな。なかには、正気を失うものもいる」


 ざんばらな髪の向こうの眸が、ひたりと白装束の後ろに隠れるジャージ男を見た。


「しかし、それは本人の業の深さゆえのことであって、おれの神力のせいではない」

「あ、悪神の理屈をひとに押しつけるでない!」

「ならばひとも、神にひとの理屈を押しつけるなよ」


 ずい、とまた一歩。貧乏神の高下駄を履いた足が、ふたりに詰め寄った。


「なぜ富が必要だ?」

「それは、ひとの世で生きるために……」

「おまえはすべてを失ったと云ったな。では訊くが、おまえをそこに立たせている、その二本の足はなんだ? おれに云いかえす、その口はなんだ? その目は、手は、指は、考える頭はなんだというんだ?

 手も足も目も耳も口もあるのに、なぜおまえはそこで立ち止まっている? これほどまでに無くしたというのに、おまえは――まだ、見えていないのか」


 ごう、と青白く冷えきった風が一陣。その場にたゆたう暑熱を叩きふせて舞いあがった。



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