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【肆】


「さて、こんよ」

「は、はいっ」

「ひとの祈りを受けたからには、神もひとに返さねばならん」

「はいっ」


 鳥居に背をもたれ、だらしなく教授する貧乏神とは対照的に、童形の狐神はきっちりと地面に両ひざを地につけてかれを仰いでいる。

 貧乏神はたいぎそうな仏頂面のまま、だが引き受けたからには後戻りはできぬと、なかばあきらめのたたずまいで言葉をつづけた。


「返すとは、願いを叶えるわけではないぞ?」

「叶えぬのでございますか?」

「願いが叶うか叶わぬかは、ひとがやるべきことさ。神ができるのは〝言祝ぎ〟を与えることよ」

「ことほぎ……」

「おまえも〝神になる〟と決めたのは、おまえ自身だろう?」

「はい」

「〝神になる〟努力をするのもおまえだ。だが、ひとりで道を歩んでいくのはつらい」

「はい」

「その背を押してやるのが〝言祝ぎ〟だ」

 

 ほほう、と感心した声が小狐の口からあがった。ぺしり、と手のひらで膝がしらをたたく。


「さすがに郭公どの。すばらしい例えにございます!」

「褒めるのはいいから、やってみろ」

「〝言祝ぎ〟を、でございますか……?」

「ああ、そうだ。おまえはあの祈りを聞いてどう思った?」


 童神は、真摯な顔で首をかたむける。ふわもこの耳の先がむずかしげに下を向いた。


「わたくしにできるのなら……叶えてやりたいと思いました。ただ……」

「ただ?」

「あまりにおおまかな望みでしたゆえ、どうしてよいかわかりませぬ」

「ふむ」


 うなずく代わりに、やぶれ団扇が痩せた男の胸もとを行き来した。


「それもひとつの解であるな。漠然とした祈りには漠然としか応えられぬ」

「さようで……ございますか」

「ならば、祈りに漠然と〝声〟を返してみろ」


 地につけた両脚に腰を落とし、両ひざにきちんと手をのせたまま、小狐がかたまる。

 内緒事をささやくように、口元にやった団扇の陰から、低く、ふたたびの声がかかった。


「……まずは、〝祈りを聞いた〟と言ってやるのが良かろうな」

「は、はい!」


 両ひざをついた姿勢で胸のまえで指先を合わせ、こんは瞑目した。

 捧げられた祈りに、もういちど耳をすます。


『この土地が一日もはやくもとの姿をとり戻しますように』

 ――聞こえております。そなたの願いはここに届いておりますよ。

『みなが健やかにすごせますように』

 ――健やかであるよう、見守っております。

『このさき、みながこの土地で穏やかに暮らせますように』

 ――その想いがつづくかぎり、みな平穏でありましょう。


 ふわり。


 心の声を返すこんの体から、ちいさな、まるで昼間であるのに蛍が舞うような丸い輝きが、音もなく宙にのぼった。ひとつ、ふたつと数を増やし、あたりを明るく照らしていく。

 そのうちに、社のまえに置かれていた饐えかけた饅頭と牡丹の花からも、爪先ほどの光がたちのぼる。

 それは、こんの体から生じた光の珠と混ざり、競うように踊りながらつき抜けた青い夏空の彼方へ吸いこまれた。

 ほう、と吐息をついて、こんがまぶたを開ける。


「――なにやら不思議な心地がいたしました。あたたかいような、すがすがしいような風が、胸のここのところを透りぬけていったのです」


 ふっくらした頬を赤らめ、両手で狩衣の襟の下を押さえる。


「よき想いがよき風となって吹いたのさ。土地や水がつながるように、想いもまたつながるもの。祈りがおまえにつながって、それが天へとつながった。

 それが言祝ぎさ。おまえさんのは、ちょいとばかり長かったがな」


 苦言を呈するわけでもなく、郭公の声には微笑がにじんでいる。ぱたり、と調子をとるように団扇が鳴った。


「だが、悪くはない」

「郭公どののおかげにございまする」


 地べたに両手をそろえてつき、こんは、ふかぶかととけものの耳のついた頭を下げた。


「想いがつながるとは、心地よいことでございますね」

「よき想いであればな」

「……では、悪しき想いはどうなるのでございますか?」


 無垢な問いに、男のうすい唇のはしがひん曲がった。



「――おれの糧(かて)になるのさ」


 その返答に、童子のつぶらな瞳がまさにまんまるとなった。



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