貧乏神さまとネギ坊主 【壹】
ふっくらと満ち足りた月が、こうこうと空にみずからを主張している。
秋といえば月のうつくしさを讃えられるが、それは宵の大気の清涼さゆえんだろう。そんな澄んだ秋の夜空に、おおきな影がひとつ飛びゆく。
皮膜の翼をもつものに似たそれは、ばさりと音をたててはためくと、やがて地面に降りた。
「おひさしぶりでございます、するすみの神」
「……おまえか」
このところ、ねぐらをちいさな社にさだめた貧窮の神が、板張りのへりにだらしなく寝そべったまま、眠たげな目でかれを見あげる。
丈長の漆黒の衣服をまとうひとの青年は、社とその背後の大岩に一瞥をなげると、にこりとほほ笑んでかかえていた風呂敷づつみを差しだした。
するりとほどけば、透きとおった光をたたえた清酒の大びんが一本。
眠たげな目をかがやかせ、貧乏神がむくりと起きあがる。
「つまみはないのか、つまみは」
「神が供物に文句を云うものではありません」
云いかえしつつ、青年はふところから別のちいさなつつみをとり出す。開けていると、ふたりの会話が聴こえたのか、白い狩衣を着た童子神が、ぽふんと姿をあらわした。
「あ、ネギ坊主どの!」
「…………おひさしぶりです、命婦どの」
妙な間をあけて挨拶する青年を、童子神は、けものの耳のついた頭をかたむけて見やる。
「ネギどの?」
「あなたさままで、その呼びかたなのですね……」
「間違えておりますか?」
「ええ……まあ」
ひとの呼び名が野菜であるのはおかしい。というのは、ひとの理屈だ。
青年は、元あやかしでもある狐神に説明をこころみようと口をひらき、苦笑にかえて首をふった。
「まあ、まるで間違っているわけでもありませんが」
「そのままであろうに。ネギで坊主だから、ネギ坊主」
「僕は僧ではありませんよ?」
かたわらから口をはさんできた貧乏神をちらりと睨む。
うすよごれた単衣の帯のうしろにやぶれ団扇をさし、男は変わらずに寝そべったまま、さっそく欠けた猪口(ちょこ)に透明な酒をそそいで口をつけた。
「似たようなもんだろう」
「教義が違います」
「面倒だな、ひとは。突きつめれば求めるものは変わらぬのに、やたら理屈をこねたがる」
「ひとから面倒なところをのぞいたら、ひとではなくなってしまいますよ?」
くすりと笑い、指摘する。
「そうなれば、あなたも困るでしょう?」
「さて、な」
「わ、わたくしは困ります!」
不安そうに両手を組み、つぶらな瞳でこちらを仰ぐ童形の狐神に、青年はやわらかな笑みをかえした。
「さようでしょうとも。……さ、あなたさまにはこれを」
目のまえの紙づつみを開けば、狐神の口から「おお!」とも「ふおぅ!」ともつかぬ声があがる。
きらきらとした両眸が、期待をこめて、それとかれとを往復する。
「こ、これを、わたくしに……?」
「はい。京は伏見の名水と国産大豆をもちい、ひとつひとつ丁寧に手揚げされました油揚げでございます」
「うおおおおぉぉ」
じょうぶな和紙と竹の皮でくるまれたなかには、油揚げが二枚。黄金色の布団のように、もったりとした照りをはなって鎮座している。
狐神は、興奮のあまり両手をわきわきさせると、神妙なしぐさで竹の皮ごと、そっと捧げもった。ちいさな鼻をひくつかせ、かぐわしい姿と香りに酔う。
「すばらしいものでございますねっ」
「え、ええ。ずいぶん熱心にお勉めされていると聞きおよびましたので、陣中見舞いになればと」
いささか腰をひきつつ青年がそう云うと、狐神は、にこりと無垢な笑顔をかえした。
「はいっ。本日はわたくし、ひとの集団思考と株式投資について学びましたっ!」
「…………するすみの神」
青年の双眸が、ほのかに、月夜にもわかる天藍の耀きをやどして社のまえに戻された。