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【拾弐】


「――そういえばおまえ、わりとたいそうな名をもっているのだな?」


 ちいさな社の台にだらしなく腰かけ、やぶれ団扇をあおぎつつ、貧乏神が問う。

 さきほど人間の青年が発した台詞を、聞いていたらしい。

 ふたたびふたりきりとなった空間で、男のまえに正座する童形の狐神は、居心地悪そうにもぞもぞと尻をうごかした。


「たいそうな名ではありませぬが」

「〝命(みこと)〟とつくくらいだから、たいしたもんだろう。名づけたのは、前の主か」

「さようでございます」


 こんのいらえ・・・に、郭公はざんばらな前髪のしたから、紙垂の下がる縄の巻かれた大銀杏を見やった。その足もとで寄り添うように、おなじ白い紙の葉をまとう大岩は、仲むつまじいようでいて、おたがいを牽制しているようでもあった。

 幹や枝葉の失せた木の名残は、深ぶかと大地に根をおろしているものの、中はがらんどうだ。腐ったから切りたおされたのか、切りたおされたから腐ったのか。どちらかは知らぬが、そのころに宿っていた〝神〟が還ったのだろうと郭公は思う。


 祠を建てても神は宿らぬ。祈りにこそ、神は招きよせられるのだ。


 おそらくこの大銀杏は、よい依り代であったのだろう。いまだ神薙(ひもろぎ)としての清涼たる場が名残となってただよっている。そしてそれは、目のまえの童神にも血肉のように染みわたっていた。


「……よきかたで、あったのだろうな」


 思いのほかやさしい声音に、こんは気恥ずかしげに、にっこりとうなずいた。


「はい。こんなわたくしを……導いてくださいました」

「よほどに暇だったのだな」

「……よい歳月(としつき)でございました」


 皮肉になれたものか、こんはさらりとそう応じた。両ひざの上にそろえた指さきに、ぼんやりと目を落とす。


「あやかしでも神になれると。ひとの祈りを聞けると、そう教えていただきました」

「ひとであっても物であっても、神にはなれる。大事なのは、もとの形ではない。そうで在りつづけることだ」

「はい」

「だが同時に、おれは、永久(とわ)というものを畏ろしく思う」


 さまざまに揺れるまるい瞳が、年かさの神を真摯に見上げた。


「ひとも、変わる。自然も、神も、ひとつの姿にはとどまれぬ。おまえも……今のままのおのれでは満足せぬだろう?」

「……はい」

「変わるのさ。変わらねばならん。それが善いものを引き寄せるか、悪しきことを招くかはわからぬ。変化をとめることなど、神にもできんさ。

 変わりながら、在りつづける。それがいちばん、むずかしい」


 ぱたり、と痩せた男の胸で、やぶれ団扇のさきが止まった。


「おまえは……それでも、神で在りたいか?」


 少しのあいだ、こんは黙って郭公をあおぎ、ひとつ大きくうなずいた。


「はい。こんなわたくしでも……いえ。こんなわたくしだからこそ、今のひとびとに添うことができるのではないかと思うのです」

「……」

「わたくしは、天より見守るのではなく、地にあってひととともに歩む神(もの)で在りたいです」


 目を閉じ、その言葉を聞いていた貧乏神は、やがてまぶたを持ちあげて呼びかけた。


「――なあ。こん、よ」

「はい」


「おい、こん」

「……は、はいっ」


「こぉんっ!!」

「はいぃ……っ!!」


 つづけざまに呼ばわれ、しまいには叫ぶように返事をかえす狐神に、貧乏神はさもうれしげに、くくっと喉を鳴らした。


「金毛九尾御氣津之命(こんもうここのおみけつのみこと)なんざ、おまえにはまだ早ぇよ」

「……は、はい」

「白面金毛九尾の狐(はくめんこんもうきゅうびのきつね)も、長すぎる」

「…………はい」

「おまえは〝こん〟だ。しばらくは、それで居るがいいさ」

「……はい」

「おれが弟子のあいだは、な」


 その言葉に、童形の狐神は、それこそ狐につままれたような顔をして。

 ――――そして、ちいさな体ぜんぶに、きらきらと笑みを溢れさせた。


「はいっ!!!!」



 * * *



 夏の陽はまだ、たかだかと天にあって、灼熱の光を地に山に川に降りそそいでいる。

 郭公はやぶれ団扇をかざして、空をあおいだ。今しばらく、この夏日は終わりそうにない。

 しかし、いずれ陽はかたむいて夜が来るように、かならず実りの秋はおとずれ、閉ざされた冬がやってくる。いかに天候が変化しようと、うつろいを感じるものがいなくなろうと、時はめぐることを止めぬのだ。

 

 唐突に、どこからか蝉が鳴きはじめた。まるで今まで音が消されていたかのごとく、突然はじまった大規模な唱和は、まるで大地にはじき返された陽光のようにでたらめで生き生きとしている。

 社のまえに座りこんだまま、童形の狐神もまた、しゃわしゃわと響くその音色に、けものの耳をかたむけた。

 ひとのいない地を埋める緑、空の青、こもる熱気、鳴り止まぬ蝉の音。


(――どうやら、ながい夏になりそうだ)


 神の目には、またたきでしかない時間は、それでもたしかに未来につながっていく。〝ひととき〟と〝ひととき〟の先にあるもの。それこそが永久と呼べるのだろう。

 未来は視えぬ。だが創れる。それが、どれほど素晴らしいことか。


(まあ、たまにはこんなのもよいだろうさ)


 胸のうちでちいさく笑うと、郭公はふたたび、ゆっくりとやぶれ団扇を前後にうちふるう。そうして、夏のぬるい空気をひとすじ、けものの耳の生えたひくい頭へと送ってやった。




【完】




   

このあと、蛇足的おまけをあげます。

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