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【壹】

  

 ひとことで云うなら、そこはあばら家だった。

 なにもない道添いに置き去りにされた一軒家。うすい壁板はひわって剥がれかけ、屋根も朽ちて、苔(こけ)のうえにペンペン草まで生えている。雨風をしのぐどころか、もう一押しつよい風が吹きつければたちまち倒れそうなその家裏から、のそり、と細く長い影があらわれた。

 影は、男である。

 白いもののまじる蓬髪(ほうはつ)。垢じみたよれよれの単衣(ひとえ)を着流しにして、足にはちびた高下駄。しかも鼻緒の色がちぐはぐだ。

 若いと云うにはくたびれすぎ、さりとて年寄りと呼ぶにはこなれていない渋紙のような顔をくしゃりとしかめ、男は左手のやぶれ団扇を昊天(こうてん)にさし上げた。


「――さて、ゆくか。ここにも飽いた」


 フーテンのようなことをつぶやき、右手を懐に、がらりぞろりと下駄を鳴らして高い空の下を歩きはじめる。

 オゾン層をつき抜ける夏の陽ざしと、これでもかとそれを照りかえすアスファルトからたち昇る熱気の板ばさみのなか、男はまるでそれらがないものであるかのように平然と足を運んだ。

 道の左右には、野原と化した休耕田がざっくばらんに広がる。のび放題の草ぐさが、手を入れることのできない土地主を笑いとばすように、生きいきと茂っていた。そのさきに、ひとむらのこぢんまりとした雑木林があった。

 蔦がのび、下草が道にはみ出した植物の無法地帯であるそこは、水たまりのような濃い蔭を地面に落としている。その蔭に爪先が触れたとたん、男の足がぴたりと止まった。が、また歩きだす。


 ぞろりがらり、ぴたり。

 がらりぞろり、ぴたり。

 ぞろりがらり、ぴたり。

 がろりぞろ、ぴた。…………ぽてん。


 数度のくり返しのあと、これまでのタイミングを外して止まった男のふくらはぎに、背後からやわらかいものがぶち当たった。

 やぶれ団扇を口元にのせ、まえを見据えたまま男が声を発する。


「なんだ、おまえは」

「――あう。い、痛とうございますぅ……」

「つけてくるやつに同情なんぞするものか」


 くるりとふり返れば、足元にうずくまるのはちいさな影。白い狩衣(かりぎぬ)を着た、三歳ばかりの童子であった。ぶつけたらしい頭をかかえているが、くるくるの茶色の髪のあいだから覗くのは、なんと、ほわほわとした和毛(にこげ)におおわれたふたつの大きな耳である。

 狩衣の後ろ裾にも、もさりとした太い尾を認め、団扇の下の男の口がへの字に曲がった。


「稲荷の眷属がなんの用だ」

「あ、ああっ! し、しつれいをいたしましたっ」


 額をおさえたまま、童子が二、三歩とび退る。ぺたりとアスファルトに両ひざをつき、つぶらな両眸(りょうめ)で男を仰いだ。


「じつはわたくし、狐神(きつねがみ)でございまして」

「見りゃわかる」

「なんとご慧眼! さすがわたくしが見込んだお方にございますっ」


 夏の陽ざしに負けぬきらきらとした視線をかわすように、男が団扇をうちふった。


「で?」

「わたくし、先だって明神さまより社(やしろ)をお預かりしたのですが、この見た目でお分かりになりますように、神力がないのでございます。お教えを請おうにも、土地神さまのほとんどが人界を去られてしまいまして」

「ふうん?」

「悩んだ挙句、今いちばんお力のある神さまのお教えを請おうかと、こうして後を付け回した次第でございます」


 口調は丁寧だが、云っている内容と行動はストーカーだ。

 男はしぶい表情で、手にした団扇をぱしりとおのれの胸に打ちつけた。


「なんでおれに?」

「今いちばんお力をふるってらっしゃいますし、なにより古きより人びとに親しまれておいででございましょう? 高位の神がみでもなかなかそうはまいりませぬ。わたくしもそのようになりたいのです」

「なるほどな。だが、ひとつ大きな問題がある」

「問題、でございますか?」


 かくん、と童子の首が横にかしぐ。


「おまえは狐神。稲荷の眷属だ。稲荷といえば、豊穣・商売繁盛の神。おれとはまったくそぐわんだろうが」

「そこをなんとか」

「無茶を云うなっ」


 童形の狐神は膝をつめよるが、男はかえって腰を引いた。


「あなたさまの御力ぞえで、なんとかわたくしを一人前の神にしていただきたく」



「――そんなわけできるかっ! おれは貧乏神だっ!!」


 さけぶ声が、夏の青空に小気味よく響きわたった。



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