明君(四) 鉅鹿の野人(きょろくのやじん)
熹平二年に何氏との間に男児が生まれた。心から好もしく思う人から生まれた自分の血を引く赤子を抱くのは奇妙な感覚だった。面差しが何氏に似ているようである。小さな手である。どういう脈絡かは分からないが、冬の初めの河間の夕陽の中を走り去っていく子供の後ろ姿を思い出した。十歳の頃に一緒に遊んでいたあの女の子だ。二度と繰り返してはならないと思った。端的に言えば、母子を守らなければと思った。
そこで宮中で育てず道士に養育させることにした。当時、何氏は皇后でも貴人でもなく、皇后は他にいたからだ。皇后より先に男児を産むのは危険なことである。道士のところに出してしまえば、俗世との繋がりを半ば放棄したような扱いになるため周囲からの目が和らぐ。そうして育ててきたのが長子劉弁である。
張角とは書面でやりとりを続けている。熹平六年の末に来た書簡で、流民の組織化が軌道に乗ったので受け入れ準備をしておくようにと指示があった。具体的には、清廉な官僚の配置である。流民を帰農させても従来の体制のままでは地方の豪族の食い物になるだけなので、まずは弾劾が通るようにする必要がある。
弾劾が通るようにする、と言うのは簡単だが実際にどう進めればいいか分からない。会って教えを請いたいと伝えたが、張角が首都洛陽に入ることはできないという返事だった。劉宏は徒党を組んで国政を牛耳ろうとする名士たちを「党人」と呼んで禁錮や流罪にしているが、張角は交友関係のしがらみでそれに連座しているのだという。実は前回宮中で会った時もすでに「党人」の身であったそうだが、当時は張角がまだ有名になっていなかったため自由に行動できたそうだ。
張角の代わりに一番弟子を派遣すると言われ、馬元義という者が洛陽に来た。その男の名乗り方は珍しいものだった。
「鉅鹿の野人、馬元義が陛下に拝謁いたします」
野人とは、とりたてて名乗るべき肩書きのない郊外の人、という意味だ。肩書きがないだけでなく、なんとも名状しがたい雰囲気の人物である。二十歳そこそこのようにも見えるが、五十近いような老練さも感じる。おっとりとした貴公子のようでありながら博徒か侠客のようでもある。
「私的な場である。楽にするがよい」
こう言ってやると、恐れ入る様子もなくすっと顔を上げる。権威からの自由さを感じる。まるでどこか遠い異国から来た王のようだ。
「流民の組織化が軌道に乗ったと聞いている。どのような状況か」
「新規加入者を教化する手順と規範が整い、入信と同時に教団の規律に沿って行動できるようになっています。県単位で指導者がおり、上部組織と連絡を取り合っています。国家の州郡県の関係と変わりません」
「それを国家で受け入れるのだな」
「はい」
「清廉な官僚を準備しておくようにとのことだが、師から方法は聞いているか」
「太学に代わる機関を設立し、誠実に実務を執る人材を育てるようにとのことです」
目下、太学は「党人」の子分どもの巣窟である。
「新しい機関を作っても、しがらみを抱えた人物を入れてしまっては太学と同じこととなろう。人を選別する方法はないか」
「各地の信徒の目を通して実態を把握できますので、人物照会に利用できる名簿を用意いたします。こちらは南陽郡の名簿です」
馬元義が持参した絹が気になっていた。盆の上に三巻載せてあり、ささやかな献上品のような雰囲気だが一向に渡して来ないのでいぶかしく思っていた。その中の一巻を手に取ると、馬元義はするすると開いていった。外側はただの布だが途中からびっしりと文字が書いてある。勢族の力関係の概説に続いて人物名が列挙されており、出身県、人間関係、過去の行状が書き添えられている。
「本日は見本として南陽、潁川、汝南の名簿を持参しました」
残りの二巻が潁川と汝南なのだろう。いずれも人材を多く出してきた郡である。劉宏は名簿を眺めながら言う。
「ここまで把握できるのなら、直接徴召すれば済むのではないか」
「名声のない者を官に就けると、推挙を経た官僚たちから対等な相手とみなされず貶められますので、箔を付ける必要があります」
「それで太学に代わる機関か。……ふふ」
想像すると愉快である。名声を高め合っている党人たちは儒学に至高の価値を置いているが、新しく設立する教育機関で学生たちに党人を凌ぐ学識を授けたらどうなるであろう。そこの出身の官僚に対して党人が嫌がらせを言ってきた時に、易でも礼でもなんでもよいが、何か高い教養で論破してやれば、党人も沈黙せざるを得ないだろう。いや、経典のようなものは万巻の書を蔵している家の出身者が有利になるから、個人の才覚で勝負できるものがよい。辞賦でも流行らせるとしよう。
一人でほくそ笑む劉宏を馬元義が面白そうに眺めていた。同い年かもしれない。
翌年、新たな学館を鴻都門に設置した。また、人事の刷新のために「売官」を拡張した。「売官」とは文字通り、官職を銭で売るのである。昔から行われていたことだが三公の職まで売ることにした。高潔ぶっている名士を駆逐するには効果的だ。彼らは銭で官職を買うことを潔しとしないからだ。
劉宏は名士というものを信用していない。王朝の長い歴史の中で儒教が重んじられるようになったから、儒教的価値観に合致するように振る舞っているだけの名声の亡者である。例えば、清貧で声望が高い劉虞という者がいる。彼は外に対しては冠が壊れても繕って使い続けるような倹約ぶりを見せつけていながら、家の中では妾を囲い、贅をつくした飾りのついた絹の衣装をまとわせている。袁紹という男は、日頃は豪勢な車列で移動しているくせに、人物評で名高い許劭に出くわしそうな時はその目を気にして車一台だけにしたという。名士の実態はこんなものだ。こうして互いに名声を高め合い、政治を壟断し、民を踏みにじり名士同士で利権を分け合うのだ。名士のやり口は巧妙で、名士自身は手を汚さない。一族の他の者が民から銭を絞り、そこから援助を受けて「名士」として活動し、自分は霞を食って生きているような顔をしているのだ。




