孝子(五) 覚悟
村での自活は難しいため、住人は当面のあいだ街にいる信徒の家に分かれて逗留することになった。自分もそちらに混ざるべきなのかもしれない。――孤児として。
村人たちが荷車に乗り込んでいくのをぼんやりと眺めていると、すでに騎乗していた男が
「行くぞ」
と言って四児を馬に引き上げた。四児の戸惑いを正確に理解していたのかもしれない。
ここに来ている帯刀の一団は街の住人ではなく、用が済んだら拠点に帰るという。街で一泊し、翌日、朝食を済ませて出発した。
何もない平原を行く。乾いた風が顔をかすめていく。最初から気になっていることだが、男の馬の扱い方が不思議である。手綱は握っているが使っている様子が見られない。脚で合図を送っているのだろうか。
村でためらっていた時に手を引いてくれたことには感謝している。だが子供扱いされて誘導されただけではないのか。郊外へ出てだいぶ経ってから、四児は馬上の後ろにおずおずと言った。
「まだ仲間になるって言ってないんだけど」
「うん。どうする?」
「……太平道って、どんな教えなの?」
「道に従って生き、世界に調和をもたらす教えだ」
「誰も道に従ってないし調和もないな」
「そのとおりだ」
特に言葉を続ける様子はない。説明する気はないようだ。
小休止が入る。この一団は軍隊のように統率されている。男が指揮をとっている。部隊長かなにかのようだ。部隊長かなにかのようなのに自分で馬の世話をしている。羊の革袋に入った水を桶に注いで馬に飲ませている。人間の荷物より馬のための荷物のほうが多いようだ。馬の蹄の点検を始めた男にたずねる。
「太平道の教えを信じてないんだろ」
「人聞きの悪いこと言うなよ」
「なんで信徒をやってるんだ」
「役に立つからだ」
四つの蹄の点検を終えて四児のほうに向き直ると、語を継いだ。
「太平道の教えは役に立つ」
男に促されて向かい合って座る。
「根本的にはめずらしい教えじゃないんだ。一人一人が誠実に自分の役割を果たせば世の中は良くなるという思想だ。天が人の努力に報いてくれるという信仰なんだが、それを信じることで行いを正せるならいいことだ」
「放火するのは大丈夫なの」
「徳に欠けている人たちに行いを正してもらうための行為は天意にかなうという説明がされている」
「じゃあ悪党みたいな顔する必要ないじゃないか」
「そんな天意は信じてねえ」
「やっぱり悪党なのか」
「そのとおりだ」
天意を信じてしまえばいいのに、自分の選択でやっているのだ。
「まじないで病気を治せるっていうのは本当なの」
「治ることもあれば治らないこともある」
「じゃあ、まじないをしなくても同じじゃないか」
「まじないは大事だぜ。自分の力ではどうにもならないことがあった時に、誰かが親身になって一生懸命なにかやってくれれば、それだけでも救われる。見捨てられていないという感覚は大事だ。誰だっていつかは死ぬが、誰も助けてくれなかったと思って恨みを抱きながら死ぬのと、みんなに感謝しながら死ぬのとでは、大きな違いだ」
「太平道が役に立つのは分かったけど、それだけで入信したんじゃないんだろ」
「世の中を良くしたい。人間の力だけでできることは限られているが、せめて人間同士で助け合える世の中にしたい。そうならないと救われないんだ、俺が」
男の言っていることはよく分からない。でも、とてもよく分かる。
街道を過ぎて隘路に入る。左右に山、正面に湖という地形で、両側の山に柵や物見台が立ち並んでいる。ここが太平道教団の拠点のようだ。点呼や荷物の検査を終え一つ目の柵の中に入る。しばらく登り、二つ目の柵の前で男が言った。
「ここから先は信者とこれから入信するやつしか入れない」
「入信する」
四児はきっぱりと言った。
いくつかの検問を経て、山の中の開けた台地にある大きな建物に入る。儀式に使う音楽だろうか。古風な調べの曲が演奏されている。壁に次のような四句が大書してある。
蒼天已死(蒼天已に死す)
黄天当立(黄天当に立つべし)
歲在甲子(歳は甲子に在り)
天下大吉(天下大吉なり)
「あの田んぼの田みたいなやつに子って書いてある二文字、犬がいたっていう屋敷の塀にも書いてあったけどなんなの」
「あれは甲子。六十年で一巡する干支の最初の年だ。今年は癸亥の亥年、来年が甲子の子年」
「この詩みたいなのには何が書いてあるんだ?」
「来年に世の中が良くなると書いてある」
「天と子と下と大だけ読める」
「最後の一文字も覚えろ。あれは吉だ。めでたいの吉」
天下大吉。最後の句が読めた。
「最初の二句は覚えるなよ。もし覚えたとしても、外部の人間から聞かれたら読めないから知らねえと答えろ」
「どうして?」
「あれはちょっと危ないことが書いてある。まあ、これは俺が外に出させないから気にするな」
「わめいて止めるの?」
「よく働いてるからわめかなくても話を聞いてもらえるんじゃねえかな。俺の役目は富豪をしめあげて暮らしに困っている人たちに財を配らせることじゃないんだ。目的は都市の掌握で、何かあった時には街をあげて教団に協力してくれる体制を作ってる。同時進行で流民を吸収する。それを荊州と揚州で終わらせて、最近こっちに帰ってきたところだ」
規模がよく分からない。
「ふうん」
「天下十三州のうち八州に太平道が浸透しているから、来年に世の中が変わるというのは絵空事じゃない」
「どう変わるんだ?」
「表面上は何も変わらないだろうな。昨日街でやったようなことを国という規模でやるだけだ。天子の政に力を取り戻し、官僚や地方の有力者たちが自分の果たすべき役割を誠実に果たすようになってくれればそれでいいのさ」
「もっと劇的に変えるのかと思った」
「劇的に変えることを主張している信徒もいる。教団の方針は劇的には変えない形での改革だから、このやり方でうまくいっているあいだはこのままだろう」
「劇的に変えるとしたらどうなるんだ」
「さあな。具体案を出してこねえんだよな」
男は壁に書かれた四句を睨んで舌打ちをした。
「最初の二句には劇的なことが書いてあるのか」
「蒼天が死んで黄天が立つと書いてあるだけなんだが、漢王朝をぶっ潰して太平道教団が天下を取ると言っているように受け取られかねない文言だ」
「劇的な人たちのほうが勢いがあるの?」
「一般の信徒の中では人気のある考えだが、中枢の幹部は誰も賛成してない」
「誰も賛成してないのにどうしてこんなに大きく書いてあるんだ」
「信徒を煽るのに都合がいいからだろうな。入信を決める前にこの話をできなくて悪かった。外部の人間にできる話じゃなかった」
「大丈夫。入信する」
「入信するとき名前が要るんだが、おまえ名前なんてあるのか」
「四児って呼ばれてる」
「それ名前じゃねえだろ」
「どうしよう」
「なんか適当につけとけ。あとで変えることもできる」
「あんたは自前の名前なんかあったのか」
「いや。適当につけた。馬義って名前にしようとしたんだ。馬は、馬が好きだから。義は、義人だから? ふふ。教祖が『義』の前に『元』を付けたほうがいいと言ったから馬元義になった」
「そんな適当でいいのか」
建物に入った時から音楽が気になっている。特に竹の管をいくつか並べた小さな笛の音が耳に心地いい。
「じゃあ、管亥にする。竹筒とかああいうやつの管と、亥年の亥。難しい字かな」
「いや、そうでもない。教えてやる」
馬元義は管亥を連れて外へ出て、土の上に棒で「管亥」と大書した。
最初に会ったときは「殺すぞ」と言っていたのに、面倒見がいい。
風が吹いている。
黒い雲が湧き上がっていた。
《「孝子」完。次話に続く》
馬元義:太平道の荊州・揚州方面統帥。黄巾の乱直前には河北と洛陽で活動
管亥:黄巾の乱から数年後に黄巾の将として歴史上に登場する
いずれも正史に登場する人物です。小説でこの先も登場します。




