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忠臣(九) 符牒(ふちょう)

潁川、汝南、陳国(ちんこく)を奪還した。軍中は大勝に沸いている。この時にやっておきたいことがある。涼州の兵士を使って、軍中の特定の人物八十三名を一堂に集めさせた。名目はなんでもよかったが、涼州兵が言葉の壁に悩んでいるので勉強会をしたいということで、十人あたり一人くらいの割合で言葉を教えてくれそうな人を適当に選んで集まってもらう、という体にした。堂内には任意で選ばれたと思っている特定の八十三名と、帯刀した涼州兵二百名がいる。軍中であるから、涼州兵が帯刀していてもとりたてて不審には見えないだろう。堂の外にはさらに六百名が待機している。


皇甫嵩が堂内に入ると、八十三名が愉快そうにざわついた。将軍も言葉の壁に悩んでいるのかと微笑ましく思ったのかもしれない。注目が集まった頃合いを見計らって、皇甫嵩は親指と薬指の先を付けて輪を作るような形にしながら左の(びん)の毛を整えるしぐさをした。八十三名が一斉に左手の薬指だけを帯に差し込むようにしながら帯を直すしぐさをした。と同時に彼らの表情が凍り付いた。この八十三名がどういう共通点で集められたのかを悟ったようだ。皇甫嵩は鬢に当てた指をそのままにしながらおもむろに言った。


「教えてほしい。これはどういう意味だ」


八十三名はそっと帯から手を離して押し黙っている。


これは太平道の信者同士で交わしている符牒(ふちょう)だ。気付いたのは半月ほど前だ。身なりを気にかける様子もなさそうな兵士が繊細な手つきで鬢の毛を整えようとしているのが目についた。一人なら気にならないが、他にも見たので、各生活班に配置している涼州兵に班内を観察させて八十三名を特定したのだ。


「選んでくれ。ここで死ぬか、故郷に帰っておとなしく過ごすか」


全員が故郷に帰るほうを選択した。軍中の絹を分け与え、三日分の兵糧を持たせて追放した。慈悲の心でそうしたわけではない。敵との戦いがどうなるか分からない中で、味方の兵士を突然八十人も処刑すれば軍中が動揺するからである。殺すわけにはいかないので、絹を分けてやるから故郷でおとなしくしていろと言っているのだ。軍中から黄巾を排除できればそれでいい。


拷問にかければ符牒を把握できるかもしれないが、それも後方に任せる。洛陽では千人以上の信者が拘束されている。


 

馬元義からは何か聞き出せないのだろうか。宦官と連絡を取り合い洛陽攻略の準備を進めていたというから、謀反の計画の全容を知っているのではないか。何もしゃべらないのだろうか。それならそれで、なぜ早々に処刑しないのか。


皇帝の太平道への対応はどうも煮え切らない。何年も前から(よう)()をはじめとする官僚たちが太平道への警戒を促す進言をしてきた。そのたびに皇帝は無視してきた。近頃、宦官の(ちょう)(じょう)が太平道と通じていたことが発覚し、皇帝は激怒して叱責したそうだが、処罰はしなかったという。先帝の頃に襄楷(じょうかい)という人が『太平清領書』を勧める趣旨の上書をしていたのを今の皇帝が気に入り襄楷を招聘しようとしたという話もある。皇后の生んだ皇子を道士に養育させているが、その道士というのは太平道の道士なのではないか?


皇帝は、太平道の信者なのではないか?


しかしさすがに大々的に謀反を起こされれば討伐せざるを得ないだろう。まさか国を譲り渡すつもりではあるまい。現に、討伐にかかる軍資を惜しまないし、籠城中の皇甫嵩に援軍を送ってきた。討伐する腹が決まっているのなら、馬元義を極刑に処して見せしめにすればいいものを。


黄巾賊に勝てる確信が持てないから処刑をためらっているのかもしれない。万が一皇帝が賊に追い詰められた場合、馬元義の身柄を交渉材料にして命乞いをするつもりなのではないか。今回の大勝で皇帝が賊の討伐成功を確信すれば、処刑は行われるかもしれない。


ここで朱儁と曹操と別れることになった。朱儁はこのまま(えん)の攻略に向かい、曹操は都に帰る。皇甫嵩は勅命で東郡(とうぐん)に転戦する。離れがたい気持ちである。


朱儁とは二か月行動をともにしたが、籠城中も全く動じることがなく頼もしい人だった。経験豊富で、軍務に関しては余計なことを説明しなくても何でも分かってくれるので精神的にも助けられたように思う。曹操がどういう人であるかはまだよく分からないが、一昼夜で二百里も行軍させたのに彼の率いる歩兵がまだ軍隊の形を保っていたことに驚いた。暴動さえ起こらなければいい、半分も到着すれば上等だというつもりでいたのだが、八割弱が到着して、しかもすぐに行動できる状態であった。非凡である。


曹操にも西華まで来た兵士たちにも大変なことをさせた。命令を出した者としてしばらく一緒にいたほうがいいように思う。


――どんな手を使ってでもやるんだろう?


なんだろう。これは幻聴だ。こういうことが起こるのである、しばらく経ってから。この言葉を思い出す原因は自分で分かる。張角がその言葉を言った時の表情を、(ちょう)の捕虜四十万人を生き埋めにする決断をした瞬間の(はっ)()のようだと皇甫嵩は思ったのだ。そして西華で群衆を虐殺している時にも白起のことを思い出したのだ。


なぜこんなことになった。手段を選ばなかったのは君じゃないか。僕のせいなのか――

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