忠臣(六) 逆賊
このところ、毎年のようにどこかで疫病が起こっている。太平道は疫病の流行につけこんで信者を増やしているという。病気平癒のまじないを行っているからだ。皇甫嵩が書簡を受け取ってからわずか五年の間に大臣が危機感を抱くほどの勢力になった。貧困のために土地を捨てた流民が天下のいたるところから子供を負ぶって太平道の門を叩きに行くという。
太学時代の張角が琴を鳴らしただけで人垣を作ったこと、三百人もの学生をたやすく動員したことを思い出した。当時の張鳳は桐の木陰で羽を休めている鳳だったのだ。少し翼を震わせただけで、世間は驚く。ひとたび羽ばたけば、世界を変えてしまうかもしれない。
さらに五年が過ぎた。太平道は涼州には広がっていない様子だが、人口が多く文化の中心地でもある中原はほぼ制覇したようである。天下十三州のうちの八州に浸透しているという。残りの五州とは首都がある司隷の他、益州、涼州、并州、交州だ。非常に大雑把に言えば、首都と辺境以外は全部が太平道になびいた。数十万の信者を獲得しているという。
太平道を弱体化させるように進言する人もいるが、皇帝は取り上げない。各地の長官たちも問題視していないようである。太平道を「善道」だとみなしているのだろう。実際、太平道教団は「妖賊」だとしても、世に数ある妖賊の中では「ましな妖賊」だった。教祖が皇帝を名乗るわけでもなく、大きな暴動を起こすわけでもなかった。皇帝も地方長官たちも、流民を教化して治安維持ができるならいいことだと思っているのかもしれない。
勢力を拡大するためか、地方で時々荒事に及ぶこともあるようだった。信者が逮捕されることもあるが、毎年のように恩赦が出るので、太平道が萎縮することはない。本当に善道を以て天下を教化するだけが目的なのだろうか。勢力拡大にこだわる理由が分からない。二十年前あの寒い朝に、太学の書庫の前で「どんな手を使ってでもやるんだろう?」と言っていた張角の表情を思い出す。いまはどんな顔をして何十万もの信者を率いているのだろうか。
張角を最後に見た時から二十二年が経った。
太平道教団が謀反を起こした。
教団の重鎮の馬元義という者が荊州と揚州の信者数万人を動員して鄴の付近に待機し、宦官と連絡を取り合って、内外呼応して首都洛陽を落とそうと計画していたそうである。その計画は未然に防がれ、教団と通じていた宮城の衛士や市民千人あまりが処刑された。その報を受けて、教団は各地で一斉に蜂起した。
集団で強硬に物事を進めることを学生時代の張角は「僕の嫌いなやり方だ」と言っていたのではなかったか。「本当は忠臣になりたい」と言っていなかったか。太学を辞めて仕官の道が閉ざされ変わってしまったのか。
僕のせいなのか、と、張角に尋ねた時の痛みが蘇った。
逆賊になってしまったら、末路は極刑しかない。
張角は選択を誤った。
洛陽から会議の招集がかかった。都にいる群臣だけではどうにもならないのだろう。皇甫嵩が呼ばれるのは分かる。皇甫氏は代々羌族の鎮圧に当たってきたので戦い方に関しては蓄積がある。当代随一と言ってもいい。自分の手で張角を止めるつもりである。呼び出しがかからなければ自分から行こうと思っていた。
涇水渭水を下り黄河に入る。潼関を過ぎたあたりから不思議な光景を目にするようになった。黄色い布を掲げている船、家屋、黄色い頭巾をかぶっている人を時々見る。太平道の叛徒は目印として黄色の布を掲げていることから「黄巾賊」と呼ばれているそうだが、それだろう。白昼堂々と黄巾を掲げることを恐れないようだ。川沿いの要所には官軍が配置されているが、黄巾が歩いていても見ているだけだ。
孟津から洛陽までの街道沿いには二人連れで哨戒している黄巾もいた。軍隊のように組織だった行動をしている。黄巾賊が各地で官衙を焼き、集落を略取し、州や郡の長官がなすすべもなく逃亡していると聞いていたが、ここまで黄巾が跋扈しているとは思ってもみなかった。涼州にいては分からないことだった。
宮城に入る。行き過ぎる官僚たちの姿形が多様である。ずいぶんと変わったものだ。皇甫嵩が太学に通っていた頃には容姿が整った者ばかりだったのだ。
当時の官僚たちというのは、親も官僚であるか、地方で有力な家に生まれて地方での力関係によって推挙を得た者がほとんどだった。そのようにして仕官した者は、たいてい容姿が整っているのである。
いまは容姿が立派な者も、そうでない者もいる。近年の党錮と売官と鴻都門学が効いているのかもしれない。党錮とは、互いに名声を高め合い徒党を組む官僚たちを皇帝が政治から締め出した政策だ。人望のある立派な官僚とその取り巻きを根こそぎにしたので、従来の体制では仕官から漏れたような人も任官の機会を得たのだろう。売官は文字通り銭で官職を売ること、鴻都門学は主に文筆の才で人を選ぶ教育機関だ。
会議の場にもいろんな雰囲気の人がいた。育ってきた環境が全く違いそうである。しかしこの時、他の群臣のことは皇甫嵩の眼中になかった。黄巾討伐の任を得ることに集中している。
宦官の甲高い声が皇帝の来臨を告げる。衣擦れの音を立てながら議場に入ってきた。皇甫嵩の叔父が冤罪を被った時とは別の皇帝だ。平伏する群臣に、面を上げよとの声がかかる。この皇帝を見るのは初めてではないが、皇甫嵩が知っているのは十代の少年だった頃の彼だ。今はもう三十近い。知性はありそうだが頑なな面構えである。
「おのおの大儀である。太平道の蜂起は郡では抑えられず、国を挙げて鎮圧に当たらねばならぬ。思うところを述べよ」
群臣に発言が許されると、皇甫嵩は口火を切った。
「党錮を解除し、帝室の銭を供出し、御苑の馬を軍務に当てるべきです」
群臣がざわついた。前置きもなしに皇帝の嫌がることを言い放ったからだ。皇甫嵩は皇帝の覚悟のほどを試したのだ。もしこれが通るのであれば、討伐を命じられるのは皇甫嵩だ。
皇帝は建言を受け入れ、皇甫嵩を左中郎将に任じ、現場で皇帝と同等の権限を有することを示す「節」を授けた。




