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忠臣(四) 白起(はっき)

翌年、事件が起こった。叔父の皇甫規が讒言(ざんげん)により労役刑を科された。


本来は功を賞されるはずだったという。叔父の功績を確認するために宦官から使者が送られてきたのだが、その際に賄賂を要求され、叔父はそれを相手にしなかったそうである。宦官側は、賄賂をくれれば良く書いてあげるよという趣旨だったのだろう。叔父の態度に腹を立てた宦官が、叔父の過去の行状に疑義を申し立て、調査は官吏に委ねられた。そこでも財貨を収めることでの免罪を提案されたが断ったため、職務怠慢の(とが)で有罪になったのである。


()(こう)という、土木作業などを行う部署での労役刑である。教養も功績もある人が誰でもできる単純作業に従事させられるという恥辱である。齢六十近い叔父がきつい肉体労働に従事することも心配である。功を賞されるはずだったのに賄賂を断ったために罪人にされたことにも納得がいかない。黙っていていいことではない。


こういう時のために人脈が必要だったのかもしれない。皇甫嵩には相談できる人が一人しかいない。


叔父の有罪の報を聞いた日は眠れなかったので、城門が開くと同時に太学へ行った。寒い朝である。力のない陽光が砂を橙色に染めている。書庫のほうへ向かうと、聞いたこともない扇情的な演奏の琴の音が聞こえてきた。異民族の進軍の舞踊で打ち鳴らされる太鼓のような力強い音色である。演奏を聴く人垣ができている。その中心にいるのは張鳳だ。皇甫嵩が唖然としながら人垣に加わると、こちらに気付いた張鳳は演奏をやめた。


「はい、おしまい。散った散った」


張鳳が手で追い払うしぐさをするが、聴衆は演奏に興奮した様子でざわざわとしてその場にとどまっている。張鳳は聴衆にかまうことなく琴をかかえて立ち上がり皇甫嵩の前に来た。


「今の、何の曲?」


「即興だよ」


即興であんなものを弾くのか。変わったやつだと思っていたが、やはり変わっている。


「どうしてこの寒い中、朝っぱらから書庫の前で琴を弾いていたんだ?」


「ちょっと練習しておこうと思ってね。君が来るんじゃないかと思って書庫の近くにいることにしたんだ。叔父さん、大変なことになったね」


皇甫嵩は黙ってうなずいた。


「どうする?」


「黙っているわけにはいかない」


「じゃあどうするんだい?」


「……」


「君はどうしたい?」


冤罪(えんざい)を晴らして、叔父の名誉を回復したい」


「冤罪を晴らす方法は?」


「宦官の不正を糾弾して、訴える」


「それは危険だね。今の皇帝は宦官への弾劾はほとんど取り上げないし、弾劾した人のほうが罪に落とされることも多い。他に方法は?」


「……太学の学生に呼びかけて、皇帝に圧力をかける」


数年前、朱穆(しゅぼく)という人が宦官を糾弾し、逆に朱穆のほうが労役刑に処されたことがある。その時は太学生が数千人で宮城の門前に押しかけ、朱穆の代わりに自分が刑につくと訴えて、皇帝から朱穆の赦免を勝ち取ったのだ。張鳳は眉をひそめた。


「他に方法は?」


「……」


「それくらいしかないだろうね。僕の嫌いなやり方だ。叔父さんが宦官に賄賂を贈ることを潔しとしなかったのはもっともなことだけど、審理の過程で財貨を収めることによる免罪を請うのは不法行為でもないのに、叔父さんはそれも断って刑を受けたんだよね。ご本人は納得ずくで刑を受けたんだろうから、そのままにしておくという選択肢もあるんじゃないか? 君はどうしても冤罪を晴らしたいのかい?」


「何もしないわけにはいかない」


「どんな手を使ってでもやるのかい?」


「やらないわけにはいかない」


「わかった。じゃあ僕がやるよ。君は動かないほうがいい。身内が動くと、皇帝の逆鱗に触れた時に族滅されかねないからね」


「危険じゃないか」


「どんな手を使ってでもやるんだろう?」


(ちょう)の捕虜四十万人を生き埋めにする決断をした瞬間の(はっ)()を思わせるような表情だった。張鳳の琴の音が進軍の太鼓のような禍禍しさを帯びていたのは、危険に足を踏み入れる覚悟をしていたからかもしれない。


「自分でなんとかする。巻き込めない」


「巻き込みなよ」


「相談したかっただけなんだ」


「……これから僕のすることを許してほしい」


「何をするんだ」


「君に一つ頼み事をするよ」


張鳳は封緘(ふうかん)された小さな包みを懐から取り出した。


(えん)に知り合いがいるんだけど、この書簡をその人に届けてほしいんだ。叔父さんのことが心配な時に悪いけど、君にしか頼めない」


届け先が書いてある。張鳳の筆跡を見たのはこの時が初めてだった。ほんの数文字なのに目を奪われるような、情熱的で力強くかつ爽やかな筆致だった。


「今じゃなきゃだめなのかい」


「うん。これを届けてもらったら叔父さんのことにも協力できると思う」


「それは自分でなんとかするよ。これ何が書いてあるんだ?」


張鳳はくすくすと笑い出した。


「学資返済のこと。万が一のことがあった場合に悪いからね。でもそんなに危ないことにはならないと思うよ」


皇甫嵩が口を開こうとすると、張鳳は笑いをおさめ、断固とした口調でこう言った。


「君の問題は僕の問題でもある。つべこべ言わずにさっさと行ってくれ」

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