忠臣(三) 親友
同じ形の建物が並ぶ中を歩いて行く。一棟一棟に名前がついているようだ。張鳳は「非羆」と書いてある一棟に入って行く。
「見てごらんよ。食べ散らかした栗の殻と、どこかから剥がれて飛んで来た榜文の欠片と、演奏途中で飽きて放り出された琴が、一緒に砂まみれになって廊下に転がっているんだよ。ひどいよね」
面白そうに笑いながら琴をよけて歩いて行く。西側にある一室に入る。
「この部屋なんだけど、六人部屋を十人で使ってるんだ」
「おかえりー」
床の上に座って博奕に興じている四人が口々に張鳳に声をかけた。他には布団をかぶって熟睡している人が一人と、寝転がりながら焼き栗を食べ散らかしている人が一人いる。講義が行われている時間帯だとは思えない光景だ。
太学から出て、洛陽の城壁をめざして郊外を歩く。初対面以来ずっと笑っているような顔だった張鳳がめずらしく真面目な表情をしている。
「あの宿舎の荒れ方は世の中の縮図だと思うんだよね」
「散らかっているだけじゃないのか」
「みんなもっと綺麗にしたほうがいいと思っているのに、自分だけが気をつけてもしかたないと思って見て見ぬふりをしているんじゃないかな。僕もそうだけどさ」
政治腐敗の話をしているのだろうか。
「あれは、どうやったら改善できると思う?」
「李膺にでも演説してもらえばいいんじゃないか。身の回りの整理整頓ができることは素晴らしい、って」
「そうしたらみんなこれ見よがしに掃除を始めるかもしれないね。名声や人脈に頼らないと何もできない構造こそが堕落の元だと思うんだけどなあ。どうすればまともになるのかな」
会話が途切れてしまった。足元を見ながら足音を聞く。洛陽の砂の色は故郷よりも白っぽいように見える。
「掃除に関しては、陳蕃の悪い例があるのがいけないのかもしれないぞ」
「なにか掃除にまつわる逸話があるのかい?」
「陳蕃が十五歳の時に、家に来客があるから部屋を掃除するようにと父親から言われたそうなんだ。そのとき陳蕃は、大丈夫として世にあるからには天下を掃除するべきであって、部屋の掃除などするものではありませんと答えたそうだ。それを聞いた父親は息子の志の高さを知ったという……美談なのかな、これ?」
張鳳は声を立てて笑った。
「おかしい! 笑い話だよそれ! 掃除をするのが面倒だった陳蕃少年が屁理屈をこねたら子煩悩なお父さんが真に受けて、うちの息子は立派だって喜んじゃった話じゃないか。あははは、かわいい親子だね」
すると今度は眉をひそめてこう言う。
「僕が古いのかもしれないけど、身の回りのことをきちんとするのは大事だよ。天下を論ずるのはその後なんじゃないか。身修まりて后家斉い、家斉いて后国治まり、国治まりて后天下平らかなりと言うからね」
「天下太平のために宿舎を掃除しろと言ったら、通じるかな」
「どうだろう。『礼記』が頭に入ってない学生もけっこういるよね。そういう人ほどろくに勉強しないし、勉強する気になったとしても講堂は満杯で入れないし」
「人数が多すぎるな」
張鳳は真顔でなにか考え込んでいる。意外に表情豊かだ。
張鳳が案内してくれたのは開陽門内の大通りを北に進んで二つ目の辻を曲がった先だった。そこは学生向けの店が多い、安心できる一角だという。その通りから脇道に入った先にも店はあるのだが、そっちはやめたほうがいいとのことだった。二人とも朝食をとっていなかったので、おすすめの店に一緒に行く。じっくり煮込んだ汁物が人気の店でトロトロの汁と薄餅を頼んだ。張鳳が卵を付けようかどうしようかと悩んでいるので、案内してもらったからここでは奢ると言って卵の注文をうながしたところ、たくさん食べることに罪悪感があるから悩んでいるという返事だった。
「青州には河がたくさんあるんだけど、治水が全然だめでね」
青州は張鳳の故郷があるところだ。
「しょっちゅう洪水が起こって大変なんだ。それでも税はいろいろ取られるから、本当に大変でね。皇甫泰山は君のご親戚かな?」
叔父の皇甫規はこのとき泰山太守だった。
「僕の叔父だ」
「あの方がむかし遠征費用の話をした時に、青州と徐州に負担がかかっていることに言及してくれていたと知った時は嬉しかったよ。そういうことをちゃんと考えてくれる人もいるんだなって」
叔父の武勇伝はいろいろ聞いているが、青州と徐州に言及していたということは皇甫嵩の印象には残っていなかった。そういうことは当地の人のほうがよく覚えているのかもしれない。
穏やかに笑っている表情が地顔の張鳳は意外に表情豊かで苦労人で真面目だった。そして政治や太学のありかたに対して批判的で辛辣だった。なんの勉強をしているのかはよく分からないが勉強家でいつも書庫でたくさんの巻物を広げており、構内を歩いている時は親しげにあいさつを交わす学生が何人もいるが、飄飄としており誰ともつるまない。何かの仲間に入りたい時はいつでも入れてもらえるし、抜けるのも自由にできるようだった。
皇甫嵩もよく書庫へ行くので自然と親しくなった。皇甫嵩の食べたい食材を持って行って張鳳の自炊している鍋に放り込んだり、一緒に講堂の屋根に登って講義が聞こえるかどうか試していて叱られたり、連れだって嵩山に散策に行き追い剥ぎに遭ったりした仲だ。太学に李膺が訪ねて来た時に広い書庫に張鳳と皇甫嵩のたった二人しかいなかった時には互いに指さし合って大笑いした。李膺は学生への援助をしており、名士の人脈の中心人物だった。
一族から担わされている人脈作りは、学資を出してくれている父と叔父には申し訳ないが無視することにした。血が繋がっているから分かるのだが、父も叔父も皇甫嵩と同様に人付き合いは得意ではない。父も叔父も、自分の苦手なこと、また一族の中の大多数が苦手なことを、一族の中で比較的ましな皇甫嵩に担わせようとしていることを自覚しているはずだ。人脈は作れませんでした、と報告すれば、理解してくれるだろう。
皇甫嵩はそれまでの人生で、人と本音で話したことはなかったように思う。張鳳とは本音で話せた。




