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忠臣(二) 眠れる鳳

講堂の横には書庫があった。これも大きな建物で、二棟に分かれている。講義では(きん)(ぶん)と古文の読み比べをしているようだったが、皇甫嵩は古文のほうには馴染みがない。書庫で閲覧しようと思い立った。


さすがは最高学府の書庫である。天井までつながっている書棚に経典から諸子、実用書にいたるまで、ぎっしりと積んである。貴重な本もあるようだ。経典の棚で古文尚書を見つけた。現代の文字に転記されたものが一式あるだけである。「舜典」の巻だけが見当たらない。誰かが閲覧しているのだろう。


窓辺の明るい場所に閲覧者用の席があり、そこで巻物を広げている学生たちの手元にある本を順に覗いていく。十巻以上もの巻物を自分の周りに転がし何巻かをばらばらと広げているけしからん学生がおり、その手元に皇甫嵩が探している「舜典」はあった。周りに転がっている巻物なら借りて行ってもよかろうが、唯一まともに手に取って読んでいる最中の巻物が「舜典」であったので、読み終わるまで待つことにした。


書庫の中をゆっくりと眺めて回り、閲覧者席に戻ると、さっきの男はまだ「舜典」を眺めている。もう一棟のほうの書庫も回り、『三略(さんりゃく)』を少し立ち読みしてから先ほどの学生のところへ戻ると、まだ「舜典」を眺めていた。そんなに考え込むような内容なのだろうか。そっと表情を伺ってみると、目を閉じて居眠りをしているだけだった。声をかけてみる。


「すみません」


起きる気配はない。肩に手を置いてみた。


「すみません、それ、ちょっと借りていいですか」


「え、なに?」


男は驚いたように目を開けた。


「それ、ちょっと借りていいですか」


「あ、うん。どうぞ」


悪びれる様子もなく手渡してくる。あまつさえ、くすくすと笑い始めた。


「寝ちゃってた。ごめんなさい、これ待ってました?」


「はあ」


「あー……、ごめんなさい」


謝っているくせに笑っている。殴ってやろうか。「舜典」に目を通すが、頭に入らない。読むのを諦めて居眠り男に巻物を返そうとすると、居眠り男は広げっぱなしにしていた巻物をせっせと巻いているところだった。


「もう片付けるの?」


「うん。何を調べていたんだか忘れちゃった」


彼が寝ている間ずっとここに巻物が展開されていたのはまったくの資源の無駄だったわけだ。


書物を巻き終えると、胸に抱えて立ち上がろうとするのだが、抱えきれない様子で二、三巻ずつぽろぽろと落ちている。見かねて皇甫嵩も数巻持ってやった。感謝する様子もなく


「それあっちの棚だからこれと交換しよう」


などと言いながら皇甫嵩の手から巻物を抜き差しする。そのまま流れで巻物を棚に戻す作業を手伝った。経典だけでなく、算術から農業から法律から、統一感のない内容である。一体何を調べていたのだろうか。


「この『(ほう)()養性』というのはどこにしまうんだ?」


「それ房中術だから一番上なんだ。はしごを持って来る」


歩いて行くところをあらためて見ると、背が高い人である。だが偉丈夫という感じではなく、俗に「ひょろりとした」という言葉で表現されそうな、優しげな風貌だ。両手ではしごを抱えて戻って来た。


「悪いけど押さえててくれる?」


皇甫嵩にはしごを支えさせ、上段に本を戻しに行く。


「ここが房中術で、隣が仙人になれるかもしれない薬物の棚だよ」


学生が健全な利用法をするかどうか心許ない書物は一人では取れない場所に置いてあるようだ。


「助かるよ。さっきは一人で命がけで登ったんだ」


命がけで一人で取りに行く学生もいるから高所に置く効果は限定的だ。


「誰かに素直に助けを求めればよかったのに」


皇甫嵩がこういう余計な言葉を口に出すことは珍しい。口に出すと同時に、その言葉は自分に突き付けられたような気がした。はしごから降りてきた男に尋ねた。


「……みんな、普段どんなところで食事をしてるの?」


「学生宿舎に住んでる人は自炊が多いけど、外食の店を探してる?」


「うん。城内に下宿してるんだ」


「じゃあ(かい)(よう)(もん)内の大通りを北に進んで……何本目だったかな。嘘を教えたらいけないから案内するよ。ちょうど城内に買い物に行こうと思ってたところだし」


「それは助かる。昨日着いたばかりなんだ。(あん)(てい)の皇甫嵩、(あざな)()(しん)だ」


「僕は張鳳(ちょうほう)、字は(こう)()


「どこの張氏?」


「どこの張氏というほどの家でもないよ。(へい)(げん)(こく)から来たんだ」


「学力で推薦されて来たのか。すごいな」


「こういう時、返事のしかたに悩むね。そうだよ僕すごいんだ、と言うわけにも行かないし」


くすくすと笑っている。おかしな返事だが全く嫌みな感じはしなかった。素直で健全な自信を持っているようだ。


書物の片付けが終わり、連れだって外へ出る。いい天気である。白い雲がゆっくりと流れている。思えば、河の近くの空にはいつも小さな雲が出ているようだ。洛陽も河に挟まれているからそうなのだろう。ここに着いてから初めて空を見た気がする。


「午前なのによく寝てたな。古文尚書の舜典はそんなに眠くなる内容なのかい」


「昨日からいたんだよ。書庫は常時開放されているから。下宿に帰るのが面倒な時は書庫で夜を明かせるよ。夜中になるとよく分からない連中が(こう)()(ほう)(ぎん)していてうるさいけどね」


「じゃあもう寝たいんじゃないか」


「さっき寝てすっきりしたから問題ないよ。ちょっと部屋に寄ってお金持って来たいな。ついでに学生宿舎を見学する?」


「そうしたい」


「すごく汚いんだよ。空気もこもっているし。見て驚くといいよ」

張鳳は正史『後漢書』皇甫規伝に記載のある人物です。

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