孝子(二) 役立たず
分厚い城壁をくぐり街に入った頃には薄暗くなっていた。埃まみれの頭をして襤褸をまとった子供や老人たちがいずこへとも知れず歩いていく。市街はどこを向いても殺風景な土の塀だ。
「……街も豊かじゃなかったんだな」
「何を見てそう思った?」
二人乗りの馬上の後ろから男がたずねた。
「食べていけてないような人たちがいた」
「あれは仕事でやっているんだ。家に帰ればきれいな服に着替えてそこそこのものを食ってる。あそこのひげの長いじいさんを見てみろ。杖を小脇にかかえてぴんぴん歩いてる」
「わざと哀れな様子を装って物乞いしてるってこと?」
「そう。そういう仕事だ。縄張りがあって、元締めがいる。上がりの一部を上納するかわりに安全を保障してもらってるんだ。ほんとうに食い詰めてるやつなんていない。豊かな街さ」
「でも豪邸なんて全然ないな」
男は体を揺すって笑った。
「どこに目をつけてるんだよ」
「豪華さのかけらもない土の塀ばかりだ」
「家の豪華さは塀の長さと門構えを見れば分かる。外部の者を寄せ付けない冷たい長い塀の中には感じのいい木が植わってきれいな花が咲いて綺羅をまとった美女たちが笑いさざめいているかもしれないぜ」
一見すると何も変わりのない土の塀が続くばかりのようだが、幅の狭い門もあれば広い門もある。庇や柱の意匠にも差があるようだ。通りに面して大小二つの門があるひときわ大きな屋敷の塀の前で男は馬を止めた。ここが目的地なのかと思ったが、馬を止めたきり動かない。四児は後ろを振り向いた。
「……今日ここへ来るのは俺が決めたことじゃないんだが、なかなかの巡り合わせだ」
何か話が始まるのだろうか。四児は続きを待った。
「ちょうど一周前の亥年にここへ来たことがある」
時の流れを干支で認識しているのか。
「当時この家には猟犬が何頭かいたんだが、今はもういない。年をとって役に立たなくなったら食われちまったかな」
なんの話だか分からない。
「……許せねえな」
「独り言?」
「おまえも聞け。……いや、おまえも聞け」
「やっぱり独り言だろ」
「聞けよ。十二年前だ。そこの塀にもたれて座っていたら、中から使用人が血相変えて出てきた。きたないガキがそんなところに座っているなってさ。俺は流れてきたばかりで腹が減って動けなかったから考えもなしにそこへ座ってた。使用人のなりからして裕福そうな家だと思ったから、何か食わせてくれればどっか行くと答えた。すると、役にも立たないやつに食わせるものはないってさ。塀の中からは何頭かの犬が暇そうにワンワン言っているのが聞こえていたんだが、ふと静かになった。餌やりをしているような物音や人間の声が聞こえてきた」
やっぱりなんの話か分からない。
「犬に食わせるものはあっても人間に食わせるものはないのか、ってたずねたら、あいつらは猟犬だ。役に立ってる。おまえはなんかの役に立つのかと言われた。もしそこで俺が、俺は役に立ちます! なんでもします! って熱弁すればもっと違う人生になっていたかもしれないが、そんなことよりも役立たずどもが許せなくてわめいたよ。どいつもこいつも役立たずじゃねえか、ってさ」
昔からわめいていたのか。
「ねえ、なんの話?」
「役立たずどもが許せねえって話だ」
男は馬を進めた。独り言だったようだ。
大通りから二本奥に入った通りの何の変哲もない門の前で男は馬を止めた。四児の両脇の下を手でつかんで馬から下ろし、自分も下馬して門を叩く。中から妙に満ち足りた表情の中年が顔を出してこう言った。
「いい月ですね」
「今宵こそ欠ける時だ」
「どうぞ」
中へ通される。目隠しの壁の後ろには意外にも広い中庭があり、奇妙な雰囲気の男ばかりがたむろしている。
「師兄、その子供は?」
「郊外で行き倒れそうだったから連れて来たんだが、どうするかな。事が済むまで軟禁しておくか」
「軟禁なんて聞いてないぞ」
「どうせ今日はもう飯食って寝るだけだろ。お粥持ってってやるからそれ食っておとなしく寝ろ」
「師兄って何?」
「同じ師についている同世代の先輩のことだ」
「なんの集まりか聞いてるんだよ」
「明日話す」
四児は敷地の端にある厠のそばの小さな部屋に一人で通された。半時ほどすると男が入ってきた。
「悪い。お粥って言ったけど、おもゆにした」
四児は奪い取るようにして飲み干した。喉をやけどしたかもしれない。
「あと、これを渡しておく。仲間の目印だ。何事もないと思うが念のために今夜はこれを頭に着けとけ」
こう言って男は黄色い布を四児に渡した。
「万が一、俺らが負けるようなことがあれば、これを捨てて逃げろよ」
「負けるって、何をやるんだ」
「明日になれば分かる。なにかあればそこのやつが起こしに来るから何も考えずに寝とけ」
腹に物が入ったら眠くなった。他にすることもない。寝よう。
久々にまともに眠る。冬になり食べ物がなくなってからはいつ寝ていつ起きたのか分からない毎日だった。たった一杯のおもゆだが。食べるとはこんなにいいものだったのか。
夢うつつの中に奇妙な音が聞こえる。変なにおいもする。このにおいは……たき火? いや待て、自分はいまどこにいる? 火事だ! 四児はにわかに飛び起きた。なにかあれば起こしに来る係は何事もないかのように部屋の前に座ってお湯を飲んでいる。四児は係に呼びかけた。
「ねえ、火事」
「あー、うん、どっか燃えてるね」
「どこで燃えてるの」
「心配しなくていいよ。ちゃんと風向きを計算してやってるから」
「放火したのかよ!」
「大丈夫だよ、話は通してあるから」
「え、誰と?」
「……」
「おまえら、なんなんだ」
「朝になれば分かるよ」




