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偶像(九) 勇気

洛陽で馬元義は捕まらなかった。翌日に(えい)(せん)で目撃された。そのまま南行して本拠地の揚州へ向かうかのように見える。だがおそらくそれは陽動だ。北行して黄河を渡るに違いない。官憲は主要な渡し場に捕り手を配置したが、そこにかかるとも思えない。唐周は東方はるか八百里、水運の()り組む山陽(さんよう)への配置を提案した。


六日後に馬元義は山陽に現れた。そこでも逃げられたが、革命推進派が独自に罠をもうけていた。郊外に困窮民を歩かせ(おとり)としたのである。馬元義はこの罠にかかった。馬元義は困っている人を素通りできないからだ。


馬元義は洛陽に送検された。捜査は()(れい)(こう)()に委ねられる。恐るべきことに、太平道は司隷校尉をも取り込んでいた。捜査は遅遅として進まない。物証はとうに葬られている。革命推進派が張譲と太平道が結託しているという怪文書を撒くと、ようやく皇帝が動き、司隷校尉が捜査に本腰を入れた。皇帝が太平道と結託していることが露見すれば皇帝の立場が危うくなるため、腹心の張譲に手が及んだ時点で皇帝は太平道の討伐に舵を切ったのだ。


皇帝だけが馬元義の死角だった。皇帝さえ太平道を裏切らなければ、洛陽は馬元義の庭だったはずだ。司隷校尉の捜査で、衛士、市民ら千人以上が逮捕された。


太平道の軍団は各地で一斉に蜂起した。これは本当は勅命を受けて起こすはずの軍だった。皇帝との繋がりが断たれたため反乱組織になった。革命推進派の目指していた革命が始まったのだ。(かん)()は焼かれ、地方長官は逃亡し、太平道が各地を席巻し、天下が呼応した。皇帝は有能な将軍たちに公車を発して討伐を命じたが、どちらが勝つかは分からない。


馬元義の死刑が確定した。執行前に、一度会っておきたいと思った。そうしないと一生会えないからだ。会って自分がどう思うかは分からない。それを確かめなければこのさき生きていけないと思った。確かめても生きていけないかもしれないが、確かめねばならぬ。


太平道の信徒はどこにでもいるのでいつでも面会の手引きはしてもらえる。暖かくなり、木蓮の花が盛りを過ぎた頃、唐周は馬元義の繋がれている獄に赴いた。


信徒のつてで良い扱いをされているのだろう。薄暗いながらも清潔な獄である。独房の前に立つ。馬元義は唐周の姿を認めるととても優しい表情をした。草原を吹き渡る強い風に圧されたようだ。立っていられない。唐周は膝をついた。馬元義は落ち着いた声でこう言った。


「勇気を出せ」


何を言っているのか分からない。


「過去は変えられない。過去の選択を、そうしてよかったんだと思えるように生きて行くのはこれからだ。勇気を出せ」


唐周が馬元義を陥れたことも、それを後悔するであろうことも、馬元義は分かっているのだ。


「俺は貧しい農村の出で、家族全員は生きられないという状況になった時に家族を見捨てて自分だけ逃げたんだ。それでよかったんだと思いたいためにいろいろやってきたんだが、自分なりによく頑張ったから悔いはない」


以前、自分が生きていてよかったのかとずっと思っていると馬元義は言っていたが、そういうことだったのか。


つながれている鎖の音をガチャガチャと立てながら馬元義が近づいて来た。唐周は逃げ出したい。馬元義は唐周の前にしゃがむと、(てら)いも屈託もない穏やかな中低音でこう言った。


「これからいろいろできるぞ。唐師弟、勇気を出せ」


馬元義は優しい。唐周を責めもせず、赦すとも言わず、ただ勇気を出せと言う。なんという呪いだ。


勇気など(はな)からない。


勇気がないからこうなった。


従姉妹に相手にされていなかったことを受け入れる勇気も、馬元義に特別視されないことに甘んじる勇気もないからこうなった。


この顛末を、最後までやり遂げねばならぬ。


刑が執行されるまで三か月もかかった。五月(いつ)(ぼう)、朝だというのに強い日差しが刑場に照り付けている。真夏のような熱気である。刑は車裂きだ。唐周は汗で全身濡れそぼっている。寒いくらいだ。湿る手を固く握る。冗談のように震えている。車裂きで人体がどのように損壊していくのか知らない。見届けねばならぬ。早朝から待機している。


百年に一度あるかないかという極刑である。辺りは見物人でごった返している。刑場に罪人が引かれてきた。群衆から怒号とも歓声ともつかないどよめきが上がる。馬元義はやつれた様子もなく、落ち着き払った表情で陽光に目を細めている。歩かされているだけなのに、周囲を圧するような威厳がある。神々しいほどだ。


手の届きそうなところにいる。しかし唐周には無限に遠い存在だ。


位置に付くと、刑の執行人たちが馬元義の四肢と首に厳重に縄を装着していく。これをそれぞれ別方向に引くのだ。()()(ぶん)()とも呼ばれている。唐周は早朝から心に決めていた通り、刑の顛末を見届けた。


どのくらい経ったろうか。日は中天を過ぎている。辺りにはとうに刑の痕跡もなく、買い物をする人々が賑やかに往来している。


取り返しのつかないことを、したと思った。


これからどうやって勇気を出して行くか、考えねばならぬ。


《「偶像」完。次話に続く》

この次からの「忠臣」で「鳳凰浴火」のタイトルが回収されます。

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