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いずれ訪れる「死」について

作者: 明日朝明日
掲載日:2026/01/14

死とは生命の終わりであり、不可逆のものである。

この地球に生きるすべては、絶対に死を遂げる。

何をしても、何を成しても、絶対に死ぬ。


僕が「人は死ぬ」というルールに気がついたのは、

友人の母親の葬式である。


僕は当時、幼く、

死というものに深い理解があるわけではなかった。

それでも、参列者が悲しみ、

本人は眠ったまま、うんともすんとも言わない。

その光景を見て、

死は悲しいものであると思った。


そしてネットの発達で、

「死ぬ」ということを学ぶと、

自分というものが消えてしまう恐怖よりも、

家族や友だちが未来に死ぬ姿を想像して、

恐怖に陥った。


大切な人が死ぬことが、

果たして自分に耐えられるだろうか。

せめて僕が死んだあとに、

みんな死んでくれないだろうか。

そう思った。


そう。

当時、あまり自分の死について恐怖することがなかったので、

「死ぬのが怖い」と必要以上に唱える人が、

少し不思議だった。


いや、どうせ死ぬのだから、

生きているときに考えても意味がないのでは。

そう思っていた。


そして月日が流れて、二十歳になったとき、

かなり大きな風邪をこじらせることがあった。

だいたい十五日くらいは全快に時間がかかって、

そのあいだは、ほぼ毎日病院に通っていた。


そんなとき、病院で座っていたときに、

急に視界が暗くなりだして、

頭が霧がかったようになり、

何も考えられなくなった。


今思い返すと、

別に大したことではなく、

十数秒で落ち着いたのだが、

そうなった瞬間、僕は

「これは死ぬ」と思った。


死ぬ。


そう思ったときに、

僕は今までにないほど強く、こう思った。


死にたくない。

絶対に死にたくない。

まだやりたいことがたくさんあるのに、

死ぬのは嫌だ。


と。


驚いた。

今まで、死ぬことになっても、

それが運命だろう、などと考えていた僕が、

こんなにも、死を目前にすると、

怖がるのだと。


それからというもの、

僕は少し考えを変えた。


たぶん、百二十歳まで生きて、

夢をすべて叶えたとしても、

死の直前に、僕は

「まだ死にたくない」と思うのだろう。


ならば、どうせ恐れるのなら、

嫌だと思うのなら、

考える必要はない。


後悔なき死など、

絶対に迎えられないなら、

もう死について、あれこれ考える意味もない。

そう考えた。


これはまた変わるかもしれないし、

ずっとこのまま生きていくのかもしれないが、

これから僕が、

どんな人生を歩んで、

どう死ぬのか、期待している。

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