Ep3 私があの子の代わりに来てあげた
──タオル姿でゆっくりと出てきた玲子を目にした瞬間、健司の視線が露骨に吸い寄せられ、呼吸が浅くなる。
理性より先に反射が動く、典型的な反応だった。
玲子はその変化を、まるで温度計を読むかのように正確に捉え、ふわりと微笑む。
「ねえ……私、もう我慢できないの」
声は甘く震えているのに、瞳だけは澄んだ氷のよう。
健司はその矛盾に気づくこともなく、ソファからわずかに前のめりになり、玲子の一言に全身の力を吸われたかのように動けなくなる。
玲子はそっと健司の肩に触れ、優しく押す。
「だから……あなたも早くシャワー浴びてきて。その方が……もっと気持ちよく始められるでしょ?」
囁きは完璧な“誘い”であり、健司の欲望のスイッチを正確に押すトリガーだった。
そして同時に──玲子が仕掛けた計画の“処刑ボタン”でもあった。
健司は抑えきれない期待を抱えたまま、小さく頷き、そそくさと消え去っていた。
軽い足取りを隠し、余裕を装うようにバスルームへ向かう。
バスルームの扉が閉まり、ロック音が部屋に響く。
──その瞬間、玲子の表情が一切消えた。
タオルをひらりと床に落とし、迷いも焦りもなく、手早く黒のワンピースへ体を収める。
まるで“本来の自分”に戻るための儀式のように、動きは正確で静かだった。
「さて、と」
玲子は部屋の空気を一度だけ吸い込み、
健司が“巧妙に隠したつもり”になっていたカメラへ向かう。
探す素振りなど一切なく、一直線に、正確な位置へ手を伸ばす。
完全に把握していた。
健司の能力も癖も、そして“浅さ”も。
玲子は小型カメラを指先でつまみ上げ、中の記憶メディアを抜き取りながら、低く笑う。
「こんな安い玩具で……私を縛れると思ったの?」
冷たい刃を引くような笑みが口元に滲む。
さらにもう一つ。
健司が“絶対気づかない位置”と信じて配置した第二、第三のカメラも、玲子は迷うことなく順番に回収する。
動きには一分の無駄もなかった。
一度も視線を泳がせず、まるでそれらを自分で設置したかのような正確さで処理した。
玲子は椅子の背に腰掛け、取り出したデバイスをスマホへ接続し、中身を素早く抽出する。
画面に浮かんだファイル名を見た瞬間、鼻で小さく笑った。
「“MADOKA.MP4”……?
あなた、本当にセキュリティの責任者?
愚かすぎて可哀想になってくるわ」
言葉よりも先に、玲子の瞳が勝利を語っていた。
そこにはもはや健司を“対等な相手”と見る気配すらない。
獲物が罠にかかった瞬間の、捕食者の静かな確信だけがあった。
──バスルームの扉が開き、白い蒸気がゆっくりと流れ出た。
「早く来て。もう我慢できないの」
甘いはずの声は、氷の刃のように冷たかった。
健司はバスタオルを腰に巻いた姿で立ち尽くす。
その表情には、欲望と困惑と恐怖が同時に浮かんでいた。
「……な、なんだ、それは」
玲子は濡れた髪を軽く指で払う。
その仕草だけなら優雅な女そのもの――しかしスマホを無言で健司へ向け、首を小さく傾けながら微笑んでいた。
それはまるで、“可愛い玩具を見つけてしまった子供”のような笑みだった。
「早く来てって言ったのに……どうしてそんなに驚いてるの?」
健司の視線が、
スマホのレンズ → シャワールームのガラス → そこに映る自分の裸体
へと流れ、顔が強張る。
「撮ってるのか……?」
声は完全に震えていた。
玲子は唇に人差し指を当て、静かに囁く。
「ふふ……あなたのほうこそ、ずいぶん積極的だったじゃない。
あんな“おもちゃ”まで仕込んでおいて」
健司の顔色がぶわっと青ざめる。
「……な、なんのことだ」
玲子はため息をひとつ落とし、左手をゆっくり健司に差し出す。
その手のひらには――
三つの隠しカメラ。
「これね?
位置、すごく下品だったわよ。
これで脅すつもりだったの?」
健司は一歩、反射的に後ずさる。
玲子は逆に、ゆっくりと歩み寄る。
ヒールが絨毯を沈め、その静かな足音がかえって恐怖を際立たせた。
「安心して。まだ誰にも送ってないわ――まだ、ね?」
その一言で、健司の喉が大きく震える。
冷や汗が背中を伝い、タオルの端をつまむ指先がわずかに痙攣していた。
玲子は冷ややかな顔で健司を射抜く。
「確認したわ」
低く、研ぎ澄まされた声。
健司は本能で“逃げられない”と悟る。
「……な、何を確認したんだ……」
玲子は手にしたカメラを軽く揺らし、健司の目を真っ直ぐに射抜いたまま囁く。
「私以外の女の子を可愛がるなんて……あなたのことずっと“特別”って思ってたのに」
その言葉に、健司の顔が引きつる。
咳払いをして平静を装おうとするが、声は震え、視線は逸らせない。
「ま、待て……」
玲子は微笑む。だがその目は完全な無音の刃だ。
「ねえ……どうしようか?」
健司の喉が大きく鳴る。
逃げ道を探すように視線が泳ぎ、呼吸が細くなる。
その様子を玲子は、獲物が弱る瞬間を観察する捕食者の楽しさで見つめていた。
そして、健司の目の前に立ち、わざとゆっくりと瞬きをする。
「あ……ひとつ言い忘れていたわ」
健司はビクリと体を震わせる。
その反応を見て、玲子は淡々と言葉を紡ぐ。
「私ね――あなたが“可愛がっていたあの子”から依頼を受けたの」
健司の表情が崩れる。
音が聞こえそうなほど、顔が引きつった。
「……は……? 依頼……?」
玲子は小さくうなずく。
「ええ。あの子、とても怯えていたわ。あなたが何をしたのか、全部教えてくれた」
玲子はスマホを健司の胸元に向けながら、軽い会話をするかのように穏やかに続ける。
「“記念になるようなもの”を撮ろうとしたんでしょ? だから――私があの子の代わりに来てあげた」
玲子は、にこりと笑う。
その笑みは、最高の仕事に取りかかった職人の笑みだった。
「嬉しいでしょ?」




