Ep1 Sランク・玲子の品定め
深夜二時。
静まり返った部屋の中で、玲子は無機質に光るモニターを前に脚を組んでいた。
非合法クラブ《Black Well》のメンバーページ——一般人は存在すら知らない裏コミュニティサイト。特殊な経路からでなければアクセスすら不可能だ。
Sランク――このサイト内でも最上位の階級を持つ玲子は、掲示されるすべての依頼を見ることができる。
無表情のままスクロールする。
目は眠たげなのに、指先だけが妙に正確に動いていた。
依頼①:《暴力夫に殴られています》
依頼内容:暴力夫を黙らせてほしい
報酬:35万
添付資料:怪我の写真、泣き腫らした依頼者の自撮り
「……重いだけで面白くないわね。やるなら確実だけど、単調」
カップを軽く揺らしながら、画面をスクロールする。
依頼②:《取引先男性から裸動画で脅されています》
依頼内容:男性からの脅迫の停止、関係の解消
報酬:58万
添付資料:メッセージアプリのやり取りの記録、調査資料
玲子の目が、ほんの少しだけ止まる。
「ふぅん……脅迫。女を集めて支配してるタイプね。癖が悪い男をもてなすのは楽しいのよね」
指は止まったまま、じっくりと添付資料を読む。
室内の空気が一段冷たくなったように感じられた。
――
54歳、R&Lインベストメント株式会社取締役部長。
妻(39)、娘(20)。家庭の会話は極端に少ない。
脅している女性は複数名。
金曜夜はバー《ポルネイオン》に現れ、若い女性を連れて入ることが多い。
……
――
「……依頼者、かなり追い詰められてるわね」
玲子は目を細め、マグを口へ運ぶ。
冷めたコーヒーの湯気が、弱々しく揺れた。
依頼③:《浮気相手に仕返ししたい》
報酬:10万
添付資料:飲み屋の写真、自慢話の録音
「はい、つまんない」
即座にスキップ。カチ、というクリック音が冷たく響く。
依頼②へスクロールを戻し、詳細ページを開く。
「……この男、他にも何人か泣かせてる。ゲームの相手には悪くないかも」
口元にゆるく笑みが浮かぶ。
モニターに映る依頼文を、最後に流し読みする。
――
はじめまして。
手紙を書く手が震えています。
どうしたらいいのかわからなくて……それでも、誰かにすがりたくて、エージェントの方に、この手紙を託しました。
恥ずかしい話ですが、全部書きます。
どうか笑わないでください。
わたしは三ヶ月前から、取引先の男性に弱みを握られています。
「契約の最終確認をしたい」と言われて二人きりになり、気づいたら……ホテルの部屋にいました。
拒んだのに、あの人はわたしの“嫌がるところばかり”を執拗に撮りました。
その動画を盾にされて、
「バラされたくなかったら言うことを聞け」
と。
それから毎週、呼び出され続けています。
抵抗すると、スマホの画面を突きつけられました。
友達にも、家族にも、職場にも、送れるようにしてある……そうです。
今日、とうとう言われました。
「今度の週末は“記念になるようなもの”を撮る」
と。
意味は聞かされていません。
でも、もう限界です。
このままじゃ、わたしは壊れます。
どうか……お願いします。
わたしみたいな人間でも、助けてもらえるのでしょうか。
逃げ方もわからないし、証拠も取り返せません。
悪いのは、わたしなんでしょうか……。
それでも、助けてほしいんです。
どうか……助けてください。
――
玲子は口元だけで、かすかに笑った。
そこに同情の色は一滴もない。
「そう。悪いのはあなたよ……どうして、そんな簡単に言いなりになるのかしら?」
問いかけというより、感想に近い声だった。
他人の感情には、薄い興味しか湧かない。
そして、ページの情報を指先で軽く弾きながら、静かに続ける。
「でも……これは、私の好きな種類の依頼ね」
“受諾”ボタンを押した瞬間、画面が淡く点滅し、システムメッセージが流れた。
──案件を受諾しました。
ページを閉じ、ソファにもたれ直す。
モニターの光が玲子の瞳に細く映り込み、淡い影が頬を滑っていく。
*
バーの薄暗い照明の下、グラスに入った琥珀色の液体を男は煽った。液体がゆらりと揺れた。
スマホを耳に当てていた男は、吐き捨てるように言う。
「……くそっ、逃げやがって。覚えていろよ」
その声は、怒りよりも焦りのほうが強かった。
──支配したがる弱い男ほど、よく吠える。
玲子はカウンターの端から歩み寄り、照明に瞳を滑らせながら、柔らかい微笑だけを口元に浮かべた。
「こんばんは。一人ですか?」
その声が落ちた瞬間、男の顔に花が咲いた。
自尊心をくすぐられたように、男は笑い、胸を張る。
「ええ、今日だけは一人です。君は?」
玲子はしなやかな所作でお辞儀をした。
動きの端々に“上質さ”をにじませる。
「はじめまして。白崎玲子と申します。今はフリーでセキュリティのコンサルをしているの」
「へぇ、それはまた……」
男──岡崎健司は、微妙に得意げな笑みを浮かべて答えた。
「私は岡崎健司といいます。仕事柄ね、少し立場が堅くて。フリーで動いている人を見ると、どうしても興味が湧くんですよ」
玲子はわずかに首を傾け、聞き手に回る。
こういう男は語らせるほど、自分の愚かさを晒していく。
「興味を持ってもらって嬉しいわ。岡崎さんは、どんなお仕事をなさっているの?」
健司はグラスを傾け、わざとらしく間を置いてから言った。
「私は……会社の重要情報を守る立場にいてね。
いわゆる“セキュリティ責任者”ってやつです。
普段は緊張感のある話ばかりだから……こうして気楽に話すのは久しぶりだ」
少し目を細め、玲子を値踏みするように眺めながら続ける。
「それに、こうして話していると、仕事の堅い話よりも……君みたいに美しい人との時間のほうが、ずっと楽しい。ところで君はどんな仕事を?」
玲子はただ微笑んだ。
「そう言ってくれて光栄だわ。仕事については……今は案件がなくて、少し困っているの」
健司の眉がわずかに跳ねる。
“自分が優位に立てる”と理解したときに出る反応だ。
「ほう……それは意外だな。
玲子さんみたいな人なら、いくらでも声がかかりそうなのに」
彼はグラスを指先で回しながら、
自尊心を満たすように、ゆっくりと言葉を繋ぐ。
「もし困っているなら……私のほうで“面白い話”を紹介できるかもしれませんよ」
愉悦の笑み。
それは、自分の権力を誇示できる相手を見つけた時のもの。
玲子は、その表情を静かに観察しながら、目だけで微かに笑った。
――“誘導開始”。
玲子は軽く微笑み、肘をカウンターに添えるように体を寄せた。
照明に切り取られた横顔は、やわらかくも計算された絵のようだ。
「本当? 嬉しいわ。でも……タダで紹介してもらうのも悪いわね。何かあなたの希望はあるかしら?」
“条件提示”。
その言葉に健司の喉が小さく動いた。
「私の希望を正直に言うと──」
彼はグラスのふちを指で軽く弾き、形だけ余裕の表情を作る。
「君みたいな女性と……情熱的な駆け引きを楽しみたい」
玲子の目が、わずかに笑った。
誘導に乗ったことを確認した。
「健司さんみたいな素敵な男性となら喜んで」
玲子はあえて一拍置き、声の温度を下げるように甘く囁く。
「それなら、仕事以外のことに……興味ある?」
健司の動きが止まった。
崩れないように保っていた“余裕”が、一瞬で揺らぐ。
「……それは本気かい?」
喉がわずかに震えた。
「あまり……からかってもらっても困るよ」
玲子はその反応を確認してから、
カードキーを指先でくるりと回し、男の視界にそっと差し出した。
「じゃあ……これが、私の“本気”ね。
セントラルシティホテルに泊まっているの。
お互いの時間を……もっと有意義にしない?」
セントラルシティホテル──
この地域で最上グレードのシティホテル。
キーの上品な輝きに、男の目が釘づけになる。
置いたグラスの底がわずかにテーブルを震わせた。
健司はゆっくり息を吸い、
理性と欲望が綱引きしている顔で、低く答えた。
「……君は、本当に危ない女性だよ」
その声には恐れと興奮が混ざっていた。
「でも、その誘惑に逆らえる気がしない。少しの間だけ……君に付き合うとしよう」
玲子は「それで充分」と言うように、静かに微笑んだ。
──そして獲物は、音もなく罠へと足を踏み入れた。




