喪失
屋上が開いてる。施錠されていた鎖などの散らかり具合からして、外からこじ開けられたようだ。
外からこじ開けた力からして人間ではない。
誰かがこの病院内に侵入してきた。
音は一階にいた時に聞こえた。
すれ違っている。
ここに来る道中、侵入者と鉢合わせなかった。
まだ病院内に潜んでいる。
身の危険を感じてか、ごちゃごちゃに思考が働く。だが何者かがこの病院内に今も潜んでいる事はハッキリと理解した。
アメリアの手を引き、すぐにこの場から立ち去った。どんな姿形をしているかは分からないが、力は人外の域。性格が温厚な事に期待するような博打は打てない。外の猛吹雪に耐えて別の場所へ移動する方が、遥かに生存への道だ。
階段を駆け下りて三階に来た時、奇妙な視線を感じた。足は止まり、胸をザワつかせる焦燥感が消え去った。暗い廊下の先。シンと静まった廊下に集中してしまった。
何処かに何かがいる。物も明かりも無い空っぽの暗い廊下の何処かに、何かがいる。
目に見えない幽霊ならば、恐怖だけを抱いていただろう。しかし、この視線だ。確かに廊下の全容を見れてるはずなのに、姿は無く、視線だけを感じる。それがたまらなく不気味だ。
「あ、あアァ……!?」
アメリアの様子がおかしくなったおかげで、廊下から視線を外す事が出来た。だが決して喜べるものじゃない。おそらくアメリアがまた人外に変わろうとしている。手を離そうにもその手は僕を離してくれず、繋いでいたはずの手が握られていく。生々しく痛々しい音が体内から届き、痛みで歯を強く噛み締めた。
「……グゥッ!?」
グシャリと潰れた右手に、痛みよりも衝撃で声を漏らした。歯を噛み締める力を緩めれば、大声で喚き散らすだろう。
口を開けて大声が出る寸前、背中から服を引っ張られて尻餅をついた。意外にも声は出なかった。顎が外れるくらい口を大きく開け、空気が抜けた風船のようになった右手を眺めた。少し涙が出てしまったが、泣いてる暇など無い。
体を起こしてアメリアの様子を見ると、左腕を無くしていた。自分の足元に目を移すと、アメリアの左腕はそこに転がっていた。
残された左腕を失い、両腕の無い状態になっても、依然としてアメリアは人外に変わりつつある。肥大化する肉は皮を内側から破り、瞳は元の青い瞳のままだが、その目はもはや生きた人間ではない。
そしてアメリアの後方。巨大化するアメリアに遮られてよく見えないが、人の形をした何かが立った状態で上半身が床にくっつく姿勢の低さで構えていた。離れた場所では見えなかったが、この距離でなら黒い毛並みをしているのが分かる。
クロ―――いや、清水さんか。
「逃げて!!!」
清水さんがそう叫ぶ前に、僕は階段に逃げ出していた。
階段を下りる瞬間、アメリアの背から突出した巨大な翼に突き飛ばされ、そのまま中間地点に落下した。
体の内側からハウリング音が鳴り響いている。体を動かすどころか、呼吸さえマトモに出来ない。十三階段上、三メートル近くから落下したんだ。意識を失わなかっただけ幸いだ。
階段の先に人外と化け猫がいる事実で体に鞭打ち、立ち上がった。ボヤけた視界で捉えたのは、完全に人外化したアメリアと正体を現した清水さんが争い合う光景。両腕を失ったとはいえ、その巨大な体に清水さんは苦戦しているようだ。
階段から転がり落ち、なんとか立ち上がって、また階段から転がり落ちる。そうやって一階まで降りると、入り口から誰かが駆け寄ってきた。視界がボヤけている所為でよく分からなかったが、すぐ目の前まで来て、その人物が桃姉さんだと判明した。
「信二君! しっかりして! どうしてこんな場所に!?」
「……なん、で」
「安心して! 私が安全な場所まで連れて行ってあげる!」
桃姉さんは僕を抱えると、入り口から病院を抜け出した。そうして外に停めてある車に僕を座らせると、急いで運転席に移動し、車のエンジンを点けた。
その瞬間、三階の窓を突き破って何かが落下した。猛吹雪の所為でハッキリと姿を捉えられなかったが、おそらく清水さんだろう。
急発進した車は吹雪を気にせず飛ばす。桃姉さんも焦っているのだろう。
そう思い、運転席の桃姉さんに顔を向けた。見えたのは、さっきまで僕を心配しきっていた桃姉さんではなく、まるで楽しみにしていた物を買いに行くような笑みを浮かべていた。
「寒かったでしょう? 車内は暖かいから、ゆっくり休みなさい」
その優し気な声色には、何らかの思惑が潜んでいた。




