無知
外ではますます吹雪が猛威を振るっている。窓ガラスについた雪が凍り付いて、外の様子をうかがえない。それでも窓の向こうから聞こえてくる燃え盛る炎のような音。例え防寒具を着ていたとしても、外に出れば無事では済まないだろう。
外がこんな状況では、当然建物内の温度も低くなる。電気が通っていない為、暖房類は機能しない。ストーブを見つけたが、肝心の灯油が空で役に立たない。このままでは明日を迎えずに凍え死ぬ。病院内に残された毛布を被っているが、焼け石に水。
しかし、本当にマズいのはアメリアだ。彼女は裸の上に毛布を纏ってるだけ。実際さっきから寒そうにしている。
今の時刻が何時何分なのかは分からない。もしかしたら既に午後五時近くかもしれないし、まだ午前中なのかもしれない。いずれにせよ、アメリアはまた化け物に変わってしまう。
僕は考えた。今の内にアメリアを殺すべきなのかどうかを。今のアメリアなら、僕でも殺せる。僕が手を汚さずとも、外に放り出せば十分もしない内に凍え死ぬだろう。化け物になれば正気を失い、今度こそ僕を殺すかもしれない。例え僕を殺さなくても、この吹雪の中を突っ切って、この街の人間を殺しに行くかもしれない。その前に彼女を始末すべき、というのが客観的な答えだろう。
ただ僕個人としては、アメリアを殺したくない。化け物の姿ならともかく、人間の姿をしてる今のアメリアを殺す気にはなれない。だって可哀想じゃないか。自分の意志でやっていないのに責任を押し付けられ、理不尽にも罰を受ける。これまで殺された人間も憐れだが、知らぬ間に人殺しの罪を負った彼女も憐れだ。
「あぅあー」
奇声を発しながら、アメリアが背中から抱きしめてきた。僕が寒そうにしてたから、温めてくれてるのだろうか。あるいは自分が寒いから、僕に引っ付いて少しでも温まろうとしているのか。
どちらにせよ、血生臭くて鼻がひん曲がりそうだが、さっきよりも温かい。
「そりゃ、死にたくないよな……」
どんな危険な生き物も、どんな弱い生き物も、置かれた環境に適応しようとする。生き延びる為に。以前までは当たり前の事だと思っていたが、鶴と別れた後の数ヵ月の間に気付いた。生きる事は辛く苦しい。頑張って生きても、良い事なんか一つも無い。それならばいっそ死んで楽になった方が良い。辛く苦しいと分かっていながら生き続けるのは愚かだ。
それでも生き続けるのは、死ぬのが怖いからだ。生きるのが辛く苦しいのは自ずと理解出来るが、死は分からない。
果たして死ねば痛みも苦しみも無くなるのだろうか。次の人生に生まれ変わるのか。天国という場所に至れるのか。
本や教示では死んだ後を教える。だがそれらは生きている人間が創った嘘っぱちだ。死んだ後の真実を知る者はこの世界の何処にもいない。人間に化ける動物も、化け物に変わってしまう人間にも、宇宙に行ったって分かりはしない。
一つ確かなのは、理解出来ないもの程、恐ろしいものはない。それでいけば、死は最も恐ろしい概念である。そもそも生と死は正しいのかも分からない。何をもって生きていて、何をもって死ぬのか。長い年月を経て進化し続ける知識人の人間は、この分野に敢えて触れず、探ろうものなら変人扱い。
だから僕達は過去の人間に騙され続けている。命というものには始まりと終わりがあり、それは生と死であり、これが絶対であると言い伝えられてきた。死んだ後の事には様々な意見があるが、この生と死の関係については誰も異論を唱えない。
「……なぁ、アメリア。僕達は一体何なんだろう? 夢と現実のどちらに存在してるんだろう?」
「ああー」
「……僕も頭空っぽにしたいよ」
目を閉じ、暗闇の中で吹雪が立ち去るのを待った。背後にいるアメリアが今この瞬間に化け物に変わってしまうかもしれないと分かっていながら。僕は暗闇の中でジッと待った。
すると、大きな物音を耳にした。外の吹雪の音でもなければ、背後にいるアメリアから発したものでもない。閉ざされた何かが無理矢理こじ開けられたような音。
誰かがこの廃病院に入ってきた。




