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回想「喪失」

 怒号に反発する悲鳴。割れる食器の音と衝突音。


 何処の家庭でも聞く、何処の家庭にもある躾だ。


 巨大な男は少年を恫喝する「どうしてお前は目障りなのか?」と。それに対し、少年は表情を固めたまま、無言を貫いた。そんな少年の態度が巨大な男の琴線に触れ、物や床に叩きつけられた。


 二人がいるリビングの隅には、少年の母親がいる。母親は賢く、助けたいとも守りたいとも思わず、ただ巨大な男がリビングから立ち去るのを待ち続けていた。暴行を加えられている少年を見て、悲鳴を上げて心を痛めてはいるが、母親は自らの非力さを自覚し、決して隅から動こうとしない。


 玄関のチャイムが鳴った。誰かが訪ねてきた。この時、巨大な男は少年の父親に変貌し、人当たりの良い笑顔を客人を出迎えに玄関へと向かった。  


 今日は早めに終わった。そんな事を思いながら、母親は少年を立ち上がらせ、二階の少年の部屋へと向かわせた。少年は傍にいる母親には手を触れず、壁や階段の手すりに身を預けながら自室へと戻っていく。


 自室に戻った少年は、勉強机に腰を下ろした。母親は少年の顎を掴み、顔の前面を見回しながら状態を確認する。その後、ポケットから少年の白い肌に合った化粧道具を取り出し、痣のある部分を隠した。腫れた部分はカミソリで傷をつけ、溜まった血と膿を絞り出す。


 そうして十分も経てば、顔に傷一つ無い息子が出来上がる。母親にとって、自分の息子に痣や腫れがあるのは嫌なのだ。内面の修正は出来ずとも、外面はいくらでも修正出来る。

 

「痛かったよね? 怖かったよね? ごめんね。お母さん、何も出来ないから」


 修正を終えた後、母親は毎度同じ言葉を吐く。息子の痛みに同情する良き母として。 


 それに対し、息子はやはり表情を変えず、無言を貫いた。暴力を加える巨大な男とは違い、少年の目の前にいる母親擬きは未知数であり、妄想ではなく現実の自分に悪態をつく巨大な男の方が少年にとって親らしく思えていた。


 母親が部屋から出ていくと、少年は人形から人間に戻った。主に顔から感じる痛みに声を漏らし、母親を自称する女に触れられた感触を手で払い落とす。


 初めの五歳の頃は「どうして自分がこんな目に遭うのか」や「自分は恵まれていない家庭の子供」などと心を痛めていた。そんな日々が続き、少年が小学校を卒業した時には全てを妥協していた。


 キッカケは公園に住んでいた野良猫の親子。親猫が先に死に、子猫は途方に暮れていた。自分では餌を獲れず、雨風を凌げる場所を見つける事さえ出来ない。そんな子猫に少年は給食から取ってきたご飯を与え、茂みに段ボールを設置した。子猫は自分に尽くす少年を簡単に信頼し、与えられたご飯と家で来る一日を生き抜いていた。そんな子猫を見て、自分はまだ恵まれてる方だと少年は思っていた。自分が来なくなれば子猫は死に、自分は痛みと気持ち悪さを耐えれば生きていける。恵まれているという意味を少年は幼いながら、曲解していた。


 少年は鍵が掛かった勉強机の棚から一冊のノートを取り出した。そこに描かれている絵は、優しい両親を持った偽物の自分。学校の先生が語った「夢があれば苦難を乗り越えられる」を実践しているのだ。効果は無いに等しいが、絵を描く行為自体にはストレスを紛らわす効果があった。


 少年が絵を描いている時、一階では既に客人の用事は終わっていた。巨大な男だった男は弱者相手でしか強者になれない事に耐えかねて息絶え、母親は皮を剥がされてただの女として息絶えていた。


「さぁ、今度はアナタが演じる番よ」


 母親の皮を被った女が、人に化けた子猫に優しく語り掛けた。この子猫は少年を信頼する野良の子猫であり、目の前にいる母親の皮を被った女に【恩返し】とそそのかされ、彼女の遊戯に加担していた。


「これって、恩返しになるんですか……?」


「ここの家庭は調査済みよ。安心して」


「でも、母親が死ぬ瞬間を目の当たりにするのは……」


「アナタの母は自らを犠牲にしてアナタを生かした。良い母親だった。でも、悪い母親という存在もこの世には存在する。良い物は失った喪失感を乗り越えて次へ進むもの。悪い物はそれを壊し、良い物を作り出すもの。要するに、コレらは壊さないといけないの。あの子の為にね」


 何も考えずに口を動かす女の言葉に、子猫は理解出来ずにいた。


 ただ、女が最後に付け加えた「あの子の為にね」という言葉に突き動かされた。子猫にとって少年は母親に次ぐか、それ以上の恩人。そんな少年の為になる事なら、何でもする覚悟は出来ていた。


 二人は少年の部屋の前で最後の事前確認を行い、いざ演技を始めた。


「信二! あぁ、良かった!」


 少年は目を疑った。部屋に入ってきた母親が、目の前にいる自分を見ている事に。


「ねぇ、信二。お母さんと、かくれんぼしましょうか。でもお母さん見つけるのが苦手だから、そこのクローゼットに隠れてて。そうして両手で数えて、三十数えた後に、クローゼットから出ておいで。お母さんが見つけられるように」 


 説明をしながら頻りに頬を撫でる手には、いつも感じる気味の悪さが無かった。声色の優しさの中に隠し事が巧妙に隠されていた。明らかに違う母親に、少年は心の中で別人だと確信したが、それを口に出す事は無かった。


 そうして少年がクローゼットに隠されると、暗闇に包まれた外、クローゼットの扉の向こう側から音が聞こえてくる。地団駄を踏むような足音と、母親の断末魔。見えずとも、音からして母親が誰かに殺されているのは明らかだった。


 一方で、クローゼットの外側では最後の演技が終わっていた。言われた通り母親に扮する女を滅多刺しにした子猫。あまりのリアルさに手が止まりそうになったが、悲痛な断末魔とは裏腹に、表情は一変もしていなかった。


 二人の演技が終わり、少年が三十を数え終わった頃、クローゼットの外は悲劇が出来上がった。


 鮮血に彩られた部屋。壁に寄りかかりながら絶命する母親。全身には刺し傷があり、目玉は抉り取られている。少年はクローゼットから出る事が出来ず、母親だった目玉の無い人物を眺めていた。覚えた感情はどの感情とも違い、喪失感で心に穴が開いたのか、元々開いていた心の穴に気付いたのか。


 しばらく少年がクローゼットに居続けると、警察のサイレンが聞こえてきた。警察に発見された少年は事情聴取を受けるも、時折まばたきをするだけで何も話さなかった。警察は母親の死を目の当たりにしたショックで精神面に異常が生じたとして、少年を精神科へと送った。


 精神科に着くと、玄関先には一人の女医が少年を待っていた。


「待ってたよ。信二君」

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