甘い臭い漂う車内にて(清水視点)
やられた。まさか泥のような血に硫酸の効果があるなんて。木田君以外で我慢してたから見逃してたけど、やはり変異化の兆しがあった時点で殺すべきだった。
あの女は木田君を何処へ連れて行ったんだ。この吹雪の中じゃ、木田君の気配が薄い。でも感じられないわけじゃない。生きている。あの女の変異化が始まる午後五時までには見つけないと。
「ッ!?」
衝突された!? この吹雪の中、車を走らせてる馬鹿な人間がいるの?
まずい。硫酸で負った傷が癒えないままだったから、今の衝突で体に力が入らない。加えてこの寒さで、手足の感覚が……体が、縮んでいく。
「あら? 何を轢いたかと思えば、子猫ちゃんじゃない」
「グッ……!? お前か……!?」
車から降りてきたのは、木田君の保護者を気取る蛇女だった。この蛇女の事だ。偶然轢いてしまったわけない。私を殺すつもりで轢いたんだ。
「そのままだと寒いでしょ? 車に乗せてあげるわ」
通常の猫のサイズにまで退化した私は蛇女に抵抗出来ず、助手席へ乗せられてしまった。暖房が効いた車内は外とは別世界のように温かいが、蛇女の甘ったるい臭いの所為で息がしづらい。
蛇女が運転席に戻ると、流れているクラシックの曲の音量を上げてから車を走らせた。
「……木田君が危ないの」
「知ってる」
「そう……やっぱり、お前はそういう奴なんだ」
「そういう奴ってどういう意味よ?」
「お前は木田君を物扱いしてる。退屈しのぎの玩具としか思ってない」
「失礼ね。ちゃんと愛してるわよ。だから生かしておいてるじゃない。不自由な思いはさせてないし、なるべくあの子がやりたい事をやらせてあげてる」
「よく言いますね。木田君の両親を殺して不幸にさせたくせに」
「アナタはあの子のナイトのつもり? それとも他人の番を横取りする泥棒猫?」
分かってはいたが、この蛇女には罪悪感なんてものが無い。罪悪感が無い人間に他者を愛する資格なんて無い。もっとも、コイツは人間でもなければ、蛇なんて可愛い生き物でもない醜悪な生物。自分主義の欲望で形作られた人間擬き。
コイツさえ、コイツさえいなければ、木田君は幸せだった。普通の両親に育てられ、普通に生きて、普通に死ぬはずだった。それなのに、コイツが木田君の人生を狂わせ、空っぽな人生に失楽させた。車輪の無い歯車を永遠に回し続ける人生に、何の意味があるの?
「人間の姿では愛想を尽かされ、次は猫に。まるでカメレオンね。猫の姿で愛想を尽かされたら、次は何になるつもり?」
「私は、お前のように化けの皮は被らない……」
「化けの皮? アナタだって人間に化けてるじゃない」
「……」
「それに、心配する事ないよ。あの子は優しい子よ。どれだけ人格が崩れても、根の優しさは変わらない。今頃、あの化け物を慰めてるんじゃないかしら?」
「……どうして人間が、私達のように化けられる能力を」
「人間にもあるのよ。人間の姿とは別の形に変異する個体が稀に存在する。あのハーフの子のように、肉体も精神も変異するのは特に珍しいけど。あの娘、悪魔に取り憑かれちゃったのよ」
「そんな与太話―――」
「信じられない? でも、私達のような人間に化ける力を持った生き物がいるよ。なら、悪魔や天使だっている。非現実的とされるものは全て創作物にされる。実際に見た事の無い、現実にいるはずないと決めつける人間の常識が生んだ防衛本能。私達の存在だって、子供に読み聞かせる絵本にされてるくらいよ。まぁ、私のようなアダルティな存在は、もうちょっと年齢が上の人間が嗜んでいるようだけど」
コイツの話を信じたくない気持ちと、的を得ていると思う気持ちがある。確かに私達のような人間に化ける動物がいるのは事実であり、人間にとっては十分非現実的だ。それを分かっていて疑ってしまうのは、コイツが噓八百で生き続けているからだ。私が知らぬ間にも、何人もの人間を嘘で殺してきたに違いない。
「とにかく。アナタはもう少しあの子を自立させてあげなさい。何でもかんでもやってあげる事が必ずしも良い事じゃない。酸いも甘いも、自分自身で知らなければ、生きているとは言えないじゃない」
「それが出来ないようにしたのは、お前の仕業だ」
「何でもかんでも私の所為ね。まぁ、間違っていないけど。でも、もし私があの子の親を殺さなければ、今頃あの子はどうなってたでしょうね? あの子の親がどんな人間だったか、知りたい?」
「……いない人間の話を聞いても意味はありません。それより今聞きたいのは、私を何処へ連れていくかです」
「う~ん……話すのは今じゃないかな。その時が来るまでは、一時の休息に身を委ねてなさい」
意識が遠のいていく。傷の所為じゃない。車内に漂う甘い臭いの所為か。
木田君。必ず私が、アナタを守って……あげる、から……




