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生きているのか死んでいたいのか

 桃姉さんが作ってくれた料理は、お粥みたいな流動食だった。味も温かさもよく分からなかったが、とりあえず全部食べた。食事が終わると、コップから湯気が出ている茶色の液体を飲まされた。かなり湯気が出ていたが、水のように飲めてしまった。味は、やはり分からない。


 風呂に連れていかれると、桃姉さんは僕の体を隅々まで洗った。なんというか、古い家を綺麗に掃除する気分だ。


 着替えが終わると、桃姉さんは僕を椅子に座らせた。


「信二君。最近、夢は見る?」


 蛇の瞳をした桃姉さんが僕に訊ねた。僕が頷くと、桃姉さんは僕の襟元を引っ張り、さらけ出た首を噛んだ。不思議と痛みは無く、食べ物や水が喉を通っていくように、噛まれた場所から何かが流れていく感覚があった。


 食事を与えられ、同じ質問を聞かれ、また食事を与えられ、また同じ質問を聞かれ、そして食事を与えられ、入浴と着替えをしてもらい、最後に質問をされた後に首を噛まれる。


 そんな繰り返しが続いていき、僕は一日に朝昼晩がある事を思い出した。頭も良い意味で重くなり、段々と舌や肌の感覚が戻ってきた。


 十二日目。桃姉さんは僕の首から顔を離すと、今度は両手で僕の顔を抑え、僕の瞳を覗き込んできた。緑色の目に縦状の瞳。カラーコンタクトを着けているのではなく、僅かに揺れている事から本物だろう。


「……信二君。最近何か大事な物を無くしたりした?」


「……無くしてはないよ」


「そう。とにかく、今の君は綿が入ってないお人形さんのような状態。このままだと、間違いなく廃人に戻っちゃうわよ。君がそうなった原因、教えてくれるかな?」


 僕は鶴の事を桃姉さんに話した。出会いから別れまでを事細かに。今まで鶴の存在を隠していたのに、鶴が人に化けた動物だという事も明かしてしまった。鶴の事を話している間、何度も【これを打ち明けてもいいのだろうか?】と思考が働いたが、僕の口は言葉を吐き続けた。


 話し終えると、桃姉さんは眉の上を掻き、数秒考えた後、また僕に訊ねてきた。


「信二君。何かしてほしい事はある? 欲しい物でもいいのよ」


「……無い」


「じゃあ、どうするの?」


「今まで通りにするよ」


「そう……分かったわ」


 桃姉さんは立ち上がると、玄関の方へと歩いて行った。


「待って!!」


 僕は桃姉さんを呼び止めた。どうして呼び止めたのかは分からない。


 でも、次に自分が言う言葉は分かっていた。 


「鶴に、会いたい」


 桃姉さんはフッと笑みをこぼすと、返事を返さずに家から出ていった。


 一人取り残され、僕は途方もない虚無感に襲われた。この虚無感こそ、僕がおかしくなった元凶。それは姿形無く、それでいて無数の手が僕を包み込む。


 何も心配しなくていい。


 何も怖がらなくていい。


 何も苦しまなくていい。


 何も、何も、何も、何も……。


 声は無くても、そんな言葉が囁かれる。女性の声とも、男性の声にも聞こえるその声は、ある意味では何者にも代え難い救いだった。現に僕は痛みも苦しみも感じず、日常も時間も忘れ、ただただ生きていた。けれど、桃姉さんのおかげでそれが間違いである事を知った。


 生きる、という事は苦しみ。


 生きる、という事は悲しみ。


 生きる、という事は痛み。


 それでも生きたいと思ってしまうのが命ある生物。そこに理由は無く、ただ生き続ける。


 いつだったか、僕は考えた事がある。生きる事と死ぬ事。どちらが正しいのか。


 死ねば楽になる。自ら命を絶つ行為は恐ろしく、勇気がいる行為だが、生き続ける上で感じる恐ろしさや必要な勇気と比べれば、一瞬のものだ。


 例えば、果物を一から育てて収穫するのと、スーパーなどで果物を買う。前者は様々な苦労があり、決して手に入る確証は無い。後者は金銭を必要とするが、食べたい時に必ず手に入れられる。これは生と死 に酷似している。この例えを生と死だと打ち明けず、どちらかを選択させれば、誰もが後者を選ぶだろう。


 だけど、単刀直入に生と死を選択させると、大抵の場合は前者の生を選ぶ。後者の死を選ぶのは、前者の生を必要としていないか、そもそも分からなくなっているかだろう。つい最近までの僕も、生がなんなのか分からなかった。


 でも、今は違う。


 僕は生きたい。


 生きていたい理由があるから。


「……そうか。理由があるからか。ハハ、なんだ、結構簡単な問題だったじゃないか」  


 壁に寄りかかりながらふらつく足で外に出た。外は暗くなっていて、少し肌寒さを感じる。夏の季節が去ろうとしていた。


 壁からマンションの廊下にある手すりに飛びつき、夜空を見上げた。キラキラと輝く満月と星に触れるどころか、手を伸ばす事さえ出来ない。この痩せ細った体では、自分の力で立つ事さえ出来ない。


 手すりに背を預け、足の力を徐々に緩めて座り込んだ。開きっ放しにした玄関から見える自分の部屋を見て、これから戻る面倒さにため息が出た。 

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