人間とそれ以外
三十分くらい経っても、鶴は女将を納得させられず、女将は頭痛を訴え始めていた。始めこそ新鮮味があってその様子を見ていられたが、段々と女将が可哀想になってきた。
結局僕が女将に説明し、困惑しながらもとりあえず状況を飲み込んだ女将に部屋まで案内された。
「あの、それでは……ごゆっくりと……はぁ」
去る瞬間にため息を吐いてった。人外であっても、仕事って辛いものなんだな。
気を取り直し、僕達が泊まる部屋を見渡してみた。
一言で表すなら、予約が中々取れなさそうな有名旅館。雰囲気が良く、広さもあり、窓からは中庭の様子がうかがえる。そして何より特筆すべきは、窓の傍に置いてある椅子が揺りかご式な事だ。一日中揺れながら座っていたい。
文句のつけどころも無い部屋だが、強いて文句を言うとするなら、普通過ぎる。いや、十分立派な部屋だし、この先同じくらいの部屋に泊まる機会があるかどうか怪しい。
だが、ここは人外が経営してる旅館。それなのに普通だ。普通に人間も泊まってそうな普通の部屋だ。なんというか、拍子抜けだ。
「どうしました? 部屋に入られてからずっとボーッとしていますが」
「いや。所詮、人に化ける程度なんだなって」
「それにしても、あの女将の対応をご覧になられましたか? ワタクシが丁寧に説明をしたというのに一向に理解せず、同じような質問ばかり! 期待外れもいいところですよ!」
「……え? 鶴、ここ来た事ないの?」
「ええ。ずっと昔に知り合いがここで働くとは聞いていましたが、実際来たのは今日が初めてです。しかし、先行き不安ですね。女将があれなら、ここの料理や温泉にはあまり期待出来ませんね」
初めての店でこの態度か。どんな環境でも我を貫く強さがあると言うべきか、一緒にいて恥ずかしい馬鹿と言うべきか。
「まぁ、とりあえずお茶でも飲んで一息つきましょう」
鶴はテーブルに置いてある茶葉を急須に入れ、そこにポッドから湯を入れた。なんだか着ぐるみの中身を知ってしまったような気分だ。
「はい、どうぞ。熱いのでお気をつけて」
「……ありがとう」
湯呑から湯気が立つお茶を一口飲んだ。熱いけど舌が火傷する程ではなく、濁りが濃すぎず飲みやすい。お茶も普通だ。
「……なんか、普通だね。鶴みたいな人に化ける連中がやってる旅館だから、もっと凄い感じだと思ってたんだけど」
「人に化けたが故に、ワタクシ達は人が好む物を同じく好むようになってしまいましたからね。ワタクシが知ってる所で言うと、元が鹿の方が大の肉好きになってました」
「肉を食われてた奴が肉を食う側に回ったか……」
「あぁ、そうそう! ワタクシが働いてる花屋のお婆様から聞いたんですけど。鹿肉を使ったお鍋って美味しいらしいですね!」
「この話の流れで出す話題じゃないでしょ」
「でも、そんなものなんですよ。人に化ける事が出来た始めは、自分の同族を食べる人間を憎みはするものの、何かのキッカケで自分もその同族の肉を食べ、時の流れと共に同族を食べる事に何の躊躇いも無くなる。この世で生きている限り、食事というのは避けられない事。生きる為に他の命を食べる。人間はそれを残酷と思っていながら、せめて感謝だけは忘れずに食べ続けていく」
「それはどんな生き物だって同じでしょ。食わなきゃ生きていけないのが生き物なんだから」
「そう考えると、我々は根本的な部分で同族なのですね」
そう言って、鶴はお茶を飲んだ。ホッと一息つくと、顔を窓の方へ向け、庭にある何かを見つめた。
鶴は同族と言ったが、人間からしてみれば違うと言う者は大勢いる。理由は様々あると思うが、人間とそれ以外という格差を無意識の内に覚えている。
トンボの羽をむしって遊んだ。
動物園で織の中にいる猛獣に可愛らしさを覚えた。
テレビに映る絶滅の危機に瀕している動物を可哀想だと思った。
状況も感情も違いはあれど、自分の事のように感じた人間は少ないだろう。人間同士にだって格差があるんだ。人間以外の生き物は娯楽か食料としか捉えていない。
「人を食う化け物にも、文句は言えないよな……」
「え? 何か言いましたか?」
「ううん。ただの独り言。それより、あの椅子に座ってもいいかな? さっきから座りたくてウズウズしてたんだ。揺りかご式の椅子って、産まれた瞬間から覚える憧れなんだよね」
「……あ! それでしたら!」
何かを閃いた鶴は、僕が座ろうとしていた椅子に座り、手を広げて僕が座るのを待ちわびていた。本当は一人で座りたかったが、たまには鶴の望む事をしてあげても良いと思った。
前後に揺れる椅子。後ろから鶴に抱きしめられながら、僕達は窓から見える庭を静かに眺めた。




