秘境の旅館
電車に乗り。
また電車に乗り。
そしてまた電車に乗り。
時刻表が無い駅まで乗り継ぎ、木々の揺れとセミの音だけが聞こえる山へと辿り着いた。
「こんな山の中に旅館なんてあるの? あったとして、利用者ほとんどいないと思うけど……」
「ワタクシのような人に化けて人間の日常生活に溶け込む者達の憩いの場。秘境の旅館ですね」
「それって僕が行ってもいいの? 僕は人間だけど」
「ワタクシの夫だと説明すれば問題ないでしょう」
「不安だな」
「まぁまぁ。もうここまで来たんです。さぁ、貴方様。ワタクシの手を」
鶴の手を握り、僕達は茂みの入り口から山の中へと入っていった。山道を登った経験は無いけど、坂道が基本なのは分かっていた。
しかし、どれだけ歩いても坂を上ってる感覚が無い。ずっと平坦な道を歩いている気がする。道も誰かが手入れしているのか、まるでアスファルトの上を歩いているかのように、足を引っかける物が無い。
ふと、僕達が歩いてる道の外れに目を向けると、薄暗い中で何かが動いていた。虫のような小ささではなく、動物のような形ではない。ただそこに、何かがいる。
「鶴。ここって本当に僕が来ていい場所なの? なんか、現世から外れた場所みたいな雰囲気なんだけど」
「そうですね。大体合ってると思います。貴方様は神隠しをご存じですか? 人が我々の道を偶然踏んでしまう。あるいは、我々に目をつけられる。そうして人間は元の世界とは別の世界に移動してしまい、帰る事が出来なくなる。一応、帰る事は出来るんですけど、あちらとこちらの世界の違いを知らなければいけません」
「違いって?」
「例えば、夢と現実。どちらも似ていながら、夢と現実として分けられているではありませんか。それを見分けるには、眠っているかどうかではなく、違和感があるかどうか。そういう前提を抜きにした実感が何よりも大事なのです。人間は見分ける能力が年々弱くなっていますから、神隠しだけでなく、夢と現実の区別もつけられなくなるかもしれませんね」
「へぇ。なんか、あれだね。慣れたから平気でいたけど、鶴って元々怖がられる存在だね」
「フフ。ご安心を貴方様。仮に貴方様がワタクシに恐怖を覚えた時は、ワタクシはショックのあまり泣き喚きますから」
「うわぁ~地獄絵図~」
そうして話していると、歩き続けていた山道から出れた。
出た先に待ち構えていたのは、伝統の雰囲気漂わす木造旅館。建物の大きさはさることながら、年季を感じるのに新しめな建物のように思える矛盾さを持っている。
入り口の戸を開けて中に入ると、外観から見た通りの落ち着いた雰囲気のある玄関だった。
靴を脱ごうとした矢先、玄関先の左側通路から旅館の女将と思われる女性が現れた。外見だけ見れば三十後半から四十代。着ている着物のような従業服や妙な色気のある髪型は、三十代や四十代では出せない長年の雰囲気がある。
だが一番特徴的な所といえば、目が六つある事だ。左右の目の上下に一つずつ存在し、その目は黒一色だった。
「ようこそお越しくださいました。早速お部屋の方へ案内を―――」
いつも通りの接客の途中、女将の瞳が僕を捉えた。
その瞬間、プツリと糸が切れたかのように、空気が冷え切った。
「……その子、人間ではございませんか? ご案内が別々になってしまいますが、よろしいでしょうか?」
言葉を隠しているが、大体の予想はつく。鶴とは別の場所に案内された先で、僕は料理の材料にされるのだろう。昔話の妖怪あるあるだ。
まぁ、来る途中で任せろと言ってたし、鶴が上手く説明してくれるだろう。
「えぇ、お願いします。それじゃあ、貴方様。後ほどお部屋で」
「いやいや。おかしいでしょ」
「え? ……あぁ、そういう事ですか! もう、貴方様ったら! 一時たりともワタクシと離れたくないなんて!」
「そうじゃない……んだろうか?」
鶴は知り合いがここにいると言っていた。という事は、何度かここを利用しているのだろう。つまり勝手を知ってる。女将は僕を料理の材料にしようなど考えていなくて、ただ単純に案内を別にするだけなのかもしれない。
「あの、すみません。案内が別って、僕は何処に連れていかれるんですか?」
「調理場の方です」
僕は思わず鶴の尻を蹴ってしまった。鶴は嬉しそうに口元を緩めていたが、僕が睨んでいる事に気が付くと、数秒考え始めた。
「………………え、調理場?」
「はい。食材を持ち込んで晩ご飯の材料にしてくれと頼む方は少なくありません。その為に、その人間を連れてきたのですよね?」
「違います! ワタクシがこのお方を食べるだなんて! むしろ、食べられたいです!!」
「えぇ……? では、どうして人間を?」
「こちらのお方とワタクシは夫婦ですので!」
「夫婦……えぇ……?」
これは長くなるぞ。鶴の説明はド下手くそで、受け手の女将も前例の無い事でずっと困惑しっぱなし。
見た目や考えに違いはあれど、こういう迷惑客に従業員が頭を悩ませるのは人間と同じだ。ちょっと親近感が湧いてしまった。




