第九 平俗な世界
イゐユは彼らを面白そうに眺めた。
「どう見ても、群盗風情だが、全知全能を封じると面白いことばかりだ。お前らがカールのような革命的義賊であれば良いがな」
それを傍で見るイゼヤは溜息する。
この御方はありとしあらゆる全宇宙全てを掌握されている。この群盗、というか、山賊どもが今日このときここに来ることは承知していたはずだ。それどころか、この盗人どもの生まれた日時も場所も、生い立ちも、少年時代の片想いの相手すら知り尽くしている。しかし、楽しみのために敢えてそれを封印している。意外性に出会おうとしている。何てことだ。神なのに。
そもそも、彼らが盗賊なのは彼らをそういうふうに創ったからである。神にとって、矛盾など、どうでもよいこと。倫理を超越している。
そんな批判も浮かぶが。
いや、いや、しかし、この心の嘆きを見ているやもしれない。かと言って、それをどうこう責めるような御方ではあるまい。何もかも超越以上に超越されている至上の御方なのだ。
もとい、全知全能を封印しているのだとすれば、他者の心を讀めぬのではないか。わたくしの心を見透かすこともできぬのではないか、その辺、いかがなるものか、いや、わたくしなんぞには、到底、わからぬ、これ思うも虚しいこと、甲斐ないこと。
「おい、おい、何ニヤニヤしてやがる。恐怖のあまり、頭おかしくなったか、おい」
「いや、別に」
「さ、片付けちまおうぜ、日が暮れらあ」
「ほう、日が暮れたら困るか。戻すか」
「ひゃはは、やっぱ、頭おかしくなっちまったらしい」
「ふ、造作もない」
イゐユが午後の傾きかけた太陽を指差し、その指を東に向けると、追随するように太陽が動いた。
「え、え、なん、なんだ、何だ」
「ひゃあえええ、た、太陽が」
「ばかな、おめーがやったてんじゃねーだろーな?」
「むろん、あたいだ。他に誰がいる」
「ばかなばかな、皆、騙されるな、幻術だ、魔術だ、こんなことがありっこない」
「ふむ、ふむ、そういうことにしておいてくれると、こちらも助かる、好都合、あまり騒がれたくない」
イゼヤはまたも嘆息した。太陽を動かしといて、あまり騒がれたくないって……
「そうか、幻術、幻影か、そうとなりャー怖くないぜ」
「そうだ、そうだ。やれ、やれ、やっちまえ」
「ぶっこんだれや」
「ぐちゅぬるだあ」
イゐユは満面の笑み、
「うむ、実に愉快な奴らだ、トールキンのオークみたいだ。あれ、ドワーフだったかな」
ど、どちらもさほど愉快ではない。いや、ビルボと旅したドワーフは、……今そんなこと考えてる場合じゃない。
イゐユが振り向く。
「おい、イゼヤ、何もぐもぐしてるんだ? 独り問答か? おかしな奴だ」
「いえ、わたくしは何も言っておりません。
イゐユ様、幻影ということにしておきたいのであれば、太陽をお戻しになってはいかがでしょう?」
「うん、そのとおりだ、そうするよ」
また指先だけでひょいっと動かす。
青ざめる群盗。「やっぱ、夢じゃないかも……」
「心配するな、色即是空・空即是色・受想行識亦復如是だ」
「何のことだか、さっぱり……」
「でも、実際は大丈夫、お前ら、悪人は、地獄に堕ちるために生まれてきたんだから」
「え?」
たちまち足下に巨大な亀裂ができて、盗人どもは大宇宙のように巨大な空間へ落ちていく。
「ぎょええええええええ、ああああああっあっあっあっ、ああああああ」
「ぉわっ、ぉわ、おわあああああああ」
「ぎゃあゝあゝあゝあー、堕ちるーーー!」
凄まじい絶叫をしながら、奈落の底へ落ちていく。
宙に浮いて下を覗きながら、イゐユは言う、
「五千年か、五千億年くらい経ったら、奴ら自分らが地獄に堕ちたって気がつくかな?」
イゼヤは歎息し、
「すぐ気づくと思いますよ」
「あはは、だよね?」
「あのう、イゐユ様」
「何だ、イゼヤ」
「実は」
「あゝ、わかってる。⚡️ゑえうおん⚡️が探して来いと言ったんしょ?」
「全知は封印されているのでは?」
「あゝ、そだよ、まだらにね。、まだらに封印してっからさ」
「……恐ろしい」
「ってゆーかさー、手伝ってあげよか? イリューシュとかも探してんっしょ? ♯ゐを♯とか、非(啊)とかさー、探してんしょ? 手伝うよ」
「あ、ありがとうございます」
……怖いんですけど。
「イゐユ様、その腰につけた干し柿のような、皺くちゃに萎んだものは何ですか?」
「ああ、これ? アシュタローノの遣いであたしを探してたエルロックとかいう奴の頭首よ、頭蓋骨を抜いたら、乾燥して縮んじゃった」
「早速、悪魔の大貴族を敵にしたわけですね」
「そうなの? 死は生だし、生は死よ」
「どうぞ好きにしてください。あなた方は無敵ですから」
「この無限に次元数のある空間と時間とでは、過去へはいくらでも遡れるし、異なる運命の並行(異)世界へいくらでも移行・異動できる。生も死も意味を做さない」
「神は自在無礙、融通無限ですから」
「蒼き青龍の刺青をした龍肯の神イリューシュは嵩山少林寺で禪を研究中。洞窟で壁観の坐禪してるわ。
廓然無聖(大きな空っぽで、聖なるものなどない)と不識(認識できない)について、研究中よ。淨智妙圓體自空寂、如是功德不以世求、って感じね」
浄智は妙円だがそれは空であり、現世で求められるものではない。達磨大師(菩提達磨、ボーディダルマ)の言葉だ。
「それでは」
「今彼に逢おうと想っても逢えないわ」
「未遂不收の神†ゐを†様は」
「【ゐを】は死んだわ、尸よ」
「え? 神は死にません。わたくしですらも。ましてや、五聖が死ぬなど」
「死ぬのは自由。彼に会いましょうか」
「え? そっちは逢えるんですか?」
「そんなの自由じゃん」
ゐを。は変貌していた。
「いかような結論・かたちにも収まらず、いかなる境地・見解も遂げられず、何の説明もできない、それが眞實、ただ、唐突な現実が在る。
それゆえ、その眞奥義はそれ以前であるべきであり、未遂不收とは『答えようとして、答えられていない状態』『求めているがその途上であって、得られていない状態』へとさらに一歩戻し、後退させた。
よって、名を小生は名を※いゐゑえ※と改める」
イゐユは首を傾げ、
「⚡️ゑえうおん⚡️と似た感じね」
「仕方あるまい」
「そうね」
堪り兼ねてイゼヤが訊いた、
「無謬にして、神の中の神たる奥義の中の真奥の中枢の心魂の眞の眞たる奥の奥なる中枢の神、至高神であるあなたがそんな修正じみたことをするなんて」
【ゐを】改※いゐゑえ※は笑いながら曰く、
「平俗なことを……実に素霽らしい」