第五 眞理・眞義なんざないよ、現実生きてンだからさ
渺茫たる荒れた大地を見てゐた。
蓬髪と顎鬚とを長く伸ばして、靡かせる存在者。
無色透明な存在者。敢えて存在者である者。
干涸びて、痩せた体に粗末な布を巻き。
石の上に片膝を立てて、坐ってゐる。
風に嬲られるまま。
放射能に汚染され、急激に変異し、進化した蛇族と蠍族とゴキブリ族とムカデ族と蟻族とネズミ族と蠅族とが殺戮し合う凄絶な世界。人類は核戦争で滅んだ。
「永遠の文學も今は読む者がいない。永遠の詩も今は詠う者がいない。全ては忘れ去られ、消え逝く。全ては虚しかった」
人間の生物学的歴史が築いた言葉も概念も虚しい。結局は生物学的、もっと根源的には化学反応的、つまりは、物的な歴史の累積にしかず、全ては乾いた荒地に風や小鳥がピーチクパーチクいう囀りと同じだ。
物的現象でしかない。無機質でしかない。ドライな。
存在は、ただ、無言で、無表情。
答なぞあるはずがない。現実生きてんだからさ。
彼はそう呟く。白い巨象に騎っていた。
未遂不收の神『ゐを』。
Blues Harpを吹く。
金属のリードが震え、輪郭の強い物的な乾いた響き。
音は存在、その無言は、無限に甚深であった。神聖ですらある。
すなわち、この世の〝真理〟を表していた。
真理は〝あらぬ〟であるということを。現実しかないということを。
〝あらぬ〟はない。
考えることも、
言うこともできない。
どこにも着地しない。
ゴキブリ族の司祭が黄金(黄金は永遠だ)の法衣を纏い、荘厳に祈禱する。彼らには眼前の存在者が彼らたちと同じ姿に見えていた。
「どうか神よ、我らに勝利を与えたまえ」
【ゐを】は儼かしい面持ちで睥睨し、
「神は神の定めし法の下に裁く。生物には理解し難い」
「なぜ、そのような仕様なのでしょう」
「生物には理解できぬ。甚深微妙な法理を。それは敢えて思考ではない」
「おお、理不尽な。されば、何ゆえ、それを理不尽と思わずを得ない思考体系をこの脳に与えたもう。なぜに、かような仕様にしまたまえしか。なぜ、このような苦しみを与えんとするのか。ああ、神よ、どうか、教えたまえ、慈悲を」
「慈悲はない」
「ああ、何と、非情な…」
「いやはや、戯れを。いかなる答もない。どのような結論もない。どこにも着地しない。未遂不收。
現実しかない。現実を生きる」
「我らは生存を賭けて勝手に生きるしかないと申されるか」
「そんな結論もない、自由だ」
「道徳は、倫理は、正義は」
「ない、という着地点も存在しない。ただ、現実しかない」
「そもそも、人倫の道は生き残る術でもありました。歴史と経験がそれを社会に教えたのです。
短絡的に生き残る術は滅びの道だ。我々が民主主義を選んだ歴史もそれです。独裁専制は速やかに事態を展開し、有無を言わさず効率的だが、自由な発展こそが大きな転換を生む。
それは我らが歴史で学んだことです。力の支配には限界がある。
古来言う、『命在る者、堂々果敢せよ。生在る者、義しきと惟ふを為す善し』と。
我らその大義を貫くのみ」
神は哄笑した。
笑いは全宇宙・全世界に木魂した。