第四 時間性について
イリューシュの顔の左側を蔽う青龍の刺青。
それは青と銀色とが、玉蟲の鞘翅の前翅(又は鞘翅)の霓色の艶のように移ろい、蜥蜴の背の移ろいにも似る。蜥蜴の蜴という漢字は易に通ずる。易という漢字は移ろいという意味を含むが、それは蜥蜴の背の移ろいに由来するという説もある。
青龍の刺青は螺鈿のようでもあり、精緻な緻密さで、非常に細かい細線、こまやかな色遣い、グラデーションをなす。
そのデザインは鯱鉾のように尾を上げて逆立つ姿で、その長い尾は眉を切り、額を這い、うねりながら後頭部にも及ぶ。
牙を剥く赤い口は、イリューシュの顎の部分で大きく裂き開き、口唇の傍で両眼はかっと睜き、腕や脚、胴体が頬や眼窩を蛇行しながら占領し、右手の龍爪がイリューシュの鼻梁をつかんでゐる。
そして、青と銀とが主体の色彩の中で、金泥のように濃厚な金が細かな部分に眼につかぬよう、ほんの僅か、繊細に使われている。
鬣の尖端に一ミリ、鱗の輪郭線の小さな一部分に細く、両眼の周囲の毛の尖っぽに一ミリの半分など。
藝術であった。
彼自身、おのれの変貌に驚いたが、記憶を取り戻すにつれ、自らが躬らを封印していたことも想い出した。
肉体は二メートルを越え、筋骨隆々で、着ていた服を破った。その身体は聖なる神々のオリハルコンの鎧兜で荘儼される。
「剣を」
そう言うと、空中に星屑の渦が生じ、青く燦然と燃え裂く、碧い烈火の太陽のごとく、赫奕たる蒼の光輪を持つ、龍肯の聖なる剣が現象する。
鞘には聖なる言葉が浮彫され、柄には聖なる象徴が刻まれ、鍔は聖なる紋のかたちをし、刃には聖文字が象嵌されていた。
「一切を肯んずる全肯定、大なる龍のごとき肯定、窮究極なる眞の眞なる眞奥の燠火を做す超絶なる全超越の眞究竟眞實義。
眞に聖なる、眞の眞だ」
アシュタローノ・ミケーネスは悪魔と呼ばれる種族の、古い古い貴族だ。その由来は地球よりも古く、大銀河団の遥か彼方から降臨したと言う。
無限の力と無際限な富により、豪奢と贅沢と怠惰とに慣れ、常に飽き尽くし倦み尽くし、懶惰に美を愛し、美酒と美食と芸術と哲学とを愛好した。
その配下である眷属のイマヌエルは元は人間であったが、甚深な哲学の奥義に気がつき、言語や論理によらぬ思考で哲学を行い、神秘の核心に触れられるようになって、不滅の女神ディケから真理正義の鍵を授かり、真理の扉の閂を開けて人間を超えた。
アシュタローノは物憂い冷厳な眼差しで、イマヌエルに命ずる。
「イリューシュがなぜ来たかを探れ」
「しかし、彼はどこにいるのでしょう」
「まずはそれを探れ」
どのように、とは問わなかった。それは定言命令のようなものだ。無条件に命ずる絶対的な命令だ。それを成し遂げること自体が目的である命令。
彼は様々な聖なる者の彫像や聖なる獣の紋章や聖なるヒエログリフが彫られた大理石に囲まれた自分の部屋に戻ると、古い羊皮紙の大きな本を広げて思考した。
燭台に火を灯して深い瞑想に耽る。
弟子のゲオルク、ヴィルヘルム、フリードリヒの三人を呼び、真理の鑑と呼ばれる水盤を運ばせた。
聖なる清流から汲んだ水を注ぐ。
聖なる真咒を唱えた。
「これで現在・過去・未来のあらゆる場所を同時に見ることができる。
その情報量に耐える脳と心と魂とがあればな」
「とてもできそうにありません」
「しかし、実際には、それは普通のことなのだ。
制限がかかっているからできないだけで、そのリミッターを外せば良い」
「どのように」
「知ればよい。知れば悟る」
「何を知れば」
「お前たちは時間というものを知っているか」
「はい」
「時間は一次元だ。
それは面積のない直線だ。だが、ただの一次元ではない。時間は不可逆だ。逆方向には進めない。常に直線的で一方向にしか逝かない、すなわち過去から未来へだ。一直線で脇道はない。
なぜだろう。理由はない。ただ、そのように定言命令されているからだ。そうあること自体が目的だからだ。
だが、二次元や三次元の時間があって悪い理由もない。
実際それは在る。二次元は厚みのない平面だ。三次元は立体だ。四次元は三次元を三本の軸による座標だとすれば四本の軸がある座標だ。
時間の二次元を考えることは、お前たちには難しかろう。
たとえば、普通に空間の三次元を考えてみよ。三次元空間が立体の世界であることは、お前たちもよく知っておろう。
では、四次元はどうだ。
三次元よりも座標軸が一本多く、運動の可能方向が三次元よりも多い。
例えば、三次元の世界では箱の中に閉じ込められた人間は箱を開けなければ出ることはできない。しかし、運動軸の一本多い四次元では箱を開けなくても、そのまま箱を裏返して外へ出ることができる。
それは運動の可能な方向が多いからだ。そういうふうに考え、五次元や六次元を考えたらどうであろうか、空想もできないであろう、お前たちには。
そういうふうに考えたとき、二次元の時間とは、どうであろう。この場合、不可逆という縛りも考える必要はない。
過去も未来も自在で、脇道もある。並行世界だ。
数学的に世界は十次元空間で一次元時間、すなわち十一次元時空だと言われるが、現実には次元数は無限にあり、マイナス次元もあれば分数の次元や小数点以下の次元もある。マイナス二千次元や〇.一二次元や五十四分の三次元やマイナス〇.三三次元などなどだ。
それが世界の実相だ。
それゆえに、局所性がないことが可能だ。同時に複数の時間と場所に〝ゐる〟ことができる」
「なぜ、私たちは不可逆一次元の時間と三次元の空間しか観ることができないのでしょうか」
「先ほども言ったが、リミッターが掛かっているからだ。
お前たちはなぜ大脳が1%か2%くらいしか使われていないかを不思議に思ったことはないか。
心が制御されているのだ。心とは世界そのものだ。仏教で世界を〝心〟と呼ぶのはそういうゆえんだ。五蘊を総じて〝こころ〟という。
真咒によって制御を解けば実相が見える。その前に脳を鍛えなければならない。それが虚空蔵菩薩求聞持法などだ」
イマヌエルは思いを澄ませ、瞑想し、水盤を見つめた。もし龍肯の神を見つければ、神も観られたことを知るであろう。そのリスクは覚悟せねばならぬ。そのことは手紙で主人アシュタローノに伝えた。中止命令がないということはやってよいということだ。
観る。
見つけた。
この章の最後に五蘊について、補足説明する。
五蘊とは色薀・受薀・想薀・行薀・識薀の五つの薀である。
色 感受作用の因子となるもの。
受 感受作用。色に拠って起こる。
想 受に拠って起こる表象作用。
行 構成作用。表象を何かに構成する。比喩で言えば、輪郭を描く。
識 認識作用。企画(名称と概念)を与える。投企・企投。