第二 神々の系譜學
さて、先ほどのAD2030年代アフリカの辺境にあった村の市場からは数千キロ離れ、時代も260年離れた1772年のパリの酒場、まだフランス革命の起こる前、燠火の燻っていた頃、イゐユは場末の酒場の片隅にいた。見た眼は十三、四だが少なくとも四百億年前から生きている。と言うか、不生不滅なので、生起もなければ死滅もない。
もっとも、イゐユに言わせれば、
「あるものはあり、あらぬものはあらぬ。ないものを考えることはできない。この世には、あるしかない。あらぬことはあらず、あるだけがあり続けている。永遠の昔から永遠の未来へ。
存在は全部、不生不滅よ。因縁生起も諸行無常も万物流転も變遷遷移も生滅もすべて臆見に過ぎない。心が捏造する〝解釈〟に過ぎない。心は胸に在るのでも頭に在るのでもない。世界が心そのものだ。
全ては他者や部分のない全体で永劫」
それゆえ、局所性(或る場所にいるとき、同時にその他の場所にいないこと。局所にいる=そこにだけにいる。当たり前のように思うかもしれないが、そうでもない、実際)もない。
彼女がどこにでも同時にゐるのはそれゆえ。それゆえ、彼女は一個の存在とも言えるし、世界に遍満しているとも言えるし、世界そのものとも言える。
そして、それは実際、誰でも何でも何者であっても、同様なのである。それはそうだろう、例外のない全体なのだから。
そんなことは一向気にせず。
彼女は楽しんでいる。
カウンターの片隅に坐って酒を飲んでいても誰も咎めない。荒んだ貧民窟の傍、売春宿の多い辺り、……というゆえでもある。
しかし、こんな場所だからこそ、女の子一人(女の子でもないんだけれど)、揶揄う男が一人くらいいてもよさそうであったが、摩訶不思議なオーラに気圧されてが何も起こらなかった。
そのせいか、特にこの日は店が静かであった。
そして、全てがセピア色に黔んで見える。
しかし、それでもそれがいかにも場末な雰囲気ではあった。
午前二時。
イゐユが肘を突くカウンター・テーブルにはさまざまな小物が囲っていて、おもちゃの要塞じみた雰囲気。塩が入った木製の彫のある器、塩漬けの野菜が詰まった蓋つきの小壺、古くなったオリーブ油が淀む年代物のガラス小瓶、チェス駒のナイト、木片、チョークと石板、麦の藁が数本、骨牌、ナイフとフォークとスプーン、雑巾のような布、動物の骨、木のコップ、アブサンの瓶、コルク栓。
その気紛れな配置とそれぞれが勝手な方向に向いていることを楽しげに眺めていた。
イゐユにとって、これが世界だと言わんばかり。帝国や民主の小国、パシャやスルタン、皇帝や大統領、大航海時代の大西洋の下にはアトランティック大陸、ギリシャとペルシャの戦争、ナポレオンと燃え上がるモスクワ、項羽と劉邦、オシアンの詩、壮大な歴史の物語と人々の悲喜交々…
確かに彼女にとって、これと全宇宙との差はない。同程度のスケール感。
「あーら、イシュタルが来るわ〜♬ ようこそ、5000年の太古から」
皇帝イデ・ムヮンバは顰めつらしていた。ムヮンバ(岩)という名にふさわしい表情だ。欲望が滲み出た顔。人の苦しみなど快楽でしかない冷血の面。淫獣欲が物的無機質さによって冷たくなった油のように噴き出ている。利己しか考えていなかった。依怙地で自己の非を認めないタイプ、己の利益が少しでも損なわれれば憤激し、己が少しでも非難されればムキになるタイプだ。平気で人を裏切るタイプの顔。
壇上の玉座のような椅子に尊大に坐り、眼の前の呪術師フンババを睨みつけている。チグリス川とユーフラテス川に挟まれたメソポタミアのシュメール時代からの伝統を継ぐという売り込みで、雇われていた。外国人を信用しないイデには珍しいことだった。
「貴様の言った奴はどうやら凄まじい魔術師のようだな。わしの権力を脅かすとお前は言ったが、それがもし本当なら、由々しきことだ。
軍隊が吹っ飛んだのに、その場にいた民衆は無傷、いや、それ以上だったとは」
フンババは蛇のような無表情を変えずに応えた、
「魔術師ではありません。人間ではないのです」
「人間ではない? まさか悪魔だなんて言うんじゃないだろうな。わしを馬鹿にするか」
「真実を申しただけです。
全宇宙の最高真理、五聖の一つ、狂裂の神です。
この地球や銀河系など、いや、一つの宇宙ぐらい、軽く吹っ飛んでしまうでしょう」
一瞬あ然としたが、すぐに腹を抱えて笑い出した。
「それじゃ、MANGAだ、コミックだ、アベンジャーズでも呼ぶしかない」
「呼んでも無理でしょうな」
イデでは急に表情を変えた。
「ならば、なぜだ」
「なぜ、とは」
「そのような、つまり、それが本当なら、真実なら、なぜだ。真実なら、そのような奴を相手に一個小隊でどうにかなるはずもなかろう、みすみすやられると知って派兵したか、返答次第では」
「では、一連隊出して一連隊を失いますか? 私も真偽はわからなかった。確かめる必要があったのです。そのための最小人数です」
「それで、市場全体を殺そうとしたのか。悪魔はお前だな」
「陛下に言われたくありません」
「何だと!」
フンババは笑い出した。
イデは顔色を変えた。
「何が可笑しい!」
フンババは顔を歪めた。その歪みは尋常ではなかった。口角はこめかみまで上がり、さらに吊り上がった。眦も上がり、全てが歪んでまるで腸を折り重ねたような顔となると、裂けた口はドラゴンとなり、憤怒の表情は厳つく眉を寄せる獅子のようであった。
「可笑しいさ! 私利私欲で何万も人を殺し、地獄まっしぐらの運命しかないお前が言うとはな!」
「き、貴様、いったい。ええい、世迷いごとを。わしは国の独立のため、国家存亡の危機を乗り越えるため……」
「幻想だ! 愚かな思い込み、イエス・マンしか置かないからな、いかれちまったんだ、虚しいぜ。ああ、浅ましい、愚かしい、全部何もかも保身のための言い訳! 言い訳! 言い訳! 言い訳! 言い訳! 浅ましい必死の言い訳、笑笑笑笑笑笑笑」
「おのれ、怪物め、その異様な姿、お、お前は何者だ」
「見てのとおり、フンババさ。アッカド語でフンババと呼ばれ、シュメール語では フワワと呼ばれた、レバノン杉の森を守る番人、神々ですら見ることの叶わない至高神エンリルから名を授かり、太陽神ウトゥに育てられた偉大なる大霊威、メソポタミアの『ギルガメシュ叙事詩』に詠われた巨人よ、愚か者め、知らぬか」
その叫びは恐怖を呼び覚まし、大地を震わせ、天穹を萎縮させ、人間を恐ろしさで斃す。皇帝は忽ち昏倒し、踠く。
「わはわはわははは、そうだ、お前は死んでいくのだ、今。どうだ、リアルに地獄が見えてきた感想は、お前の偽りの信仰ではお前の神はお前を救わない。
差し迫って、今までの思い上がりなど軽くぶっ飛んだろう、どんな言い訳も通用しそうもないだろう、あゝ、言い訳なんて! 言い訳なんて、何て空疎なんだ、何の現実効果もない。これがリアルだ。どうだ、リアルが見えた今の瞬間の気持ちは。
人は死の刹那にならなければ真実が見えない。人は死の瞬間にだけ現実を見る。
そうら、お前が今見ているものが事実だ。
これが想像できなかったか、愚か癡か愚か癡か愚か、生きる資格なし。地獄へ永劫堕ちろ、どんな後悔も懺悔も、もうお前を助けられない、救えない、どうにもにもならない」
死した。侍従や大臣や近衛の兵は屍を晒す。生きた者たちは泣き叫びながら逃げ出した。
「浅ましい、浅ましい、これが人間よ、自滅自裂のための私利私欲、気づきもしない。浅ましい」
最高神エンリルから与えられた七つの光輝(〝畏怖の光輝〟と呼ばれた七つのメラム(鎧))で身を包み、キリスト教的な観で言えば怪物、人には理解し難い自然神であった。「胸は荒れ狂う洪水」と喩えられたようだが、どういう比喩なのかよくわからない。
人間にとって、畏怖、脅威でしかない。彼が人に視線を向けたときは死を意味する。
不吉な神。
香柏の森を守護するため、エンリルが与えた権威だ。神々の運命を記した天命の粘土板「トゥプシマティ」を持つ主人エンリルがフンババを"人々の怖れ"と定めたのである。
シュメールやアッカドでは最高神であったエンリルという名はシュメール語で、アッカド語ではエッリルと呼ばれた。古代メソポタミアのニップルの守護神で、怪鳥アンズーを随獣としていた。
嵐の神であもあり、「荒れ狂う嵐」「野生の雄牛」という異名を持つ。身から畏怖の光輝「メラム」を発する。長い髯、角の生えた冠を被って、神々の王である荘厳な衣をまとい、神々の運命を記した天命の粘土板「トゥプシマティ」を手に持つ。
その神殿はエンリルの守護都市でもあるニップルにある。神殿エクルだ。聖塔エドゥルアンキを備える。神殿の中にはキウルという聖所があり、キウルにはウブシュウキンナと呼ばれる神々の会議室があった。
今や骸の山、墓場同然となった王宮で、フンババは独り言つ、死神のごとく冷厳の面持ちをもって、
「さて、五聖のうち一柱の神の降臨が確認できた上は、一刻の猶予もならん。早急にイルニニ(イシュタル、天の女主人ニン-アンナ)にしらせなくては」
砂漠の中に岩に囲まれて、泉の湧くオアシスがあり、棗椰子の森をなしていた。そこにイシュタルの聖所がある。
小さな石の祠(美事な彫で神々の物語が流麗繊細に描かれている)があった。人一人がやっと入ることができる小さな入り口だが、中は壮大荘厳な世界である。
巨大な都市があり、青きイシュタル門をくぐると、まっすぐ貫く中枢の大通り、まっすぐ神殿に向かい、その奥がジグラットであった。
壮麗な宮殿の謁見の間、黄金の装飾を煌びやかに輝かす砂漠の女主人は悠然とフンババの報告を聞いていた。
イシュタルは、古代メソポタミア地方において広く信仰された、愛と美の女神である。紀元前2300年頃、サルゴン1世の時代にシュメール神話における豊穣神イナンナと習合されて、同じ女神とみなされるようになった。戦・豊穣・金星・王権など、多くの神性を持つ。
神として、神々の始祖アヌ・神々の指導者エンリル・水神エアを3柱とする、シュメールにおける最上位の神々に匹敵するほどの信仰と権限を得た特異な存在であった。
ここで、アヌについて、簡単に説明しておこう。
シュメールではアンと呼ばれたアヌはメソポタミア神話における天空の神、創造神でもあり、ウルクの都市神。
父に前世代の天空の神アンシャル、母に前世代の大地の女神キシャルを持つ。配偶神は大地の女神キ。
彼女との間に多くの神を生み出した。すべての神の父である。アヌの聖地では人工的に造られた丘の上に、神殿が立てられていた。 罪を犯したものを裁く神力があり、星はアヌの兵士として創造された。
エアについて、述べよう。
バビロニア神話では、都市エリドゥの守護神で、エアの名前の語源は「泉」「生命」などだ。
エリドゥの神殿はユーフラテス川の湿地帯の中で、ペルシャ湾口に近い部分(今の地形とは異なる)に位置する都市エリドゥにあった。敷地内に18の神殿が存在し、地下には水の領域が存在していた。主神殿は「エエングラ」(深き水の王の家)。
18の神殿のうち、最も小さいものが最古のものである。その小部屋には紀元前5,000年にさかのぼる清浄な砂が置かれており、壁龕、前庭、祭壇、2つの教壇、犠牲をささげるテーブル、アブズと呼ばれる聖なる水のプール(地下の淡水の海)があり、オーブンが建物の外にあるなど、メソポタミア神殿の特徴を色濃く備えていた。
知識と魔法を司る神とされる。彼は人類に文明生活をもたらす「メー」と呼ばれる聖なる力の守護者でもある。昔、人間が野蛮で無法な生活をしていた時代に海からあらわれ、手工業、耕作、文字、法律、建築、魔術を人間に教えたとされる。
そんな神々に匹敵するイシュタルだが、アッカド語では古くはエシュタルと呼ばれた。この語は金星を意味し、明けの明星としては男神、宵の明星としては女神であったが、最終的に1つの女神として習合された。
イシュタル(イナンナ)はニン-アンナから「天の女主人」の意であると言われる。 支配都市ウルクを始め、キシュ、アッカド、バビロン、ニネヴェ、アルベラなど多くの崇拝地を持ち、メソポタミアで広く崇拝された。
イナンナのシンボルはライオンと八芒星である。また、彼女のスッカル(従者)は女神ニンシュブルである。
イゐユが振り向きもせずに言う、
「何のようなの? イシュタルーナ」
黄金に輝く古代の鎧兜、メソポタミアの女神イシュタルの燦然たる光輝はバルを照らし、眩くて眼が開けられない。人々が悲鳴を上げた。
美しき愛と豊穣の神は微笑し、
「五聖のうちの一人が来たので、挨拶に来たまで。
無限無数にある世界の中の一つの世界それぞれに、無限無数の大宇宙がある。大宇宙の中では銀河も砂粒以下よ。銀河の群れが作る銀河団も、銀河団の群れが作る大銀河団も、宇宙の中では小さな小さなもの。
その中でも極小の太陽系、そのさらに極小のこの地球に、全ありとしあらゆる世界一切何もかもをすめらぐあなたが来た理由は何?」
イゐユは笑った。
「あたしはどこにでもいるわ」
「それは知ってる。あなたは全体だから。でも、〝あなた〟が来たことはないわ」
「自由よ。何だって、そうだわ。そうら、床に転がってるチキンの脚の骨だって、そうよ」
自由。それは超無空絶空だ。
それは神に由来する。
真究竟神なる啊素羅神群。
この最古神群を統べる、天の真究竟神の皇帝神たる神々のさらなる上の究竟皇帝神。
彝ヰ啊ゑえ烏乎甕。
全てはその究極最高神が起こした狂奔裂である。
自らに拠って在る、自在狂裂の神、因果や法則に縛られぬ自由狂奔裂なる神、一切が意に随って互わず、異叛があり得ず、全てを網羅し、一切を肯定して万事万象各々そのものたる神である。
狂奔裂によって、全一切世界が同時に、唐突に開闢した刹那、インフレーションによってあらゆる意味で限りなく分裂し、さらに派生的に無数の異世界が生じ、多次元世界を構成した。
それから、それぞれの世界のなかに無数無際限に並行(平行)宇宙や、異宇宙が生まれ、その一つひとつが膨張して大宇宙となった。
一つの宇宙は無限の重層を成している。
一次元空間の中には二次元空間が折りたたまれ、二次元空間の中には三次元空間が折りたたまれ、三次元空間の中には四次元が折りたたまれ、四次元の中には五次元が折りたたまれ、十次元の中には十一次元が折りたたまれ、千兆次元の中には千兆一次元が折りたたまれ、無量大数次元の中には無量大数+0.05次元が折りたたまれ………マイナス1次元もあれば、√ー1/2次元もある。無際限に自在な運動が可能だ。
そして、それは時間についても同じで、我らの世界は三次元空間に一次元(直線)の時間だが、そこには無量大数次元以上の時間が折りたたまれている。
過去も未来もない。自由自在。狂裂自在。自由狂奔裂。
最高神は、その魂の精髓を分御霊し、それぞれの世界に分御霊神を配し、その分御霊神を世界聖齊天帝皇神と命名して統治させた。
世界聖齊天帝皇神もまた分御霊し、それぞれの宇宙に宇宙聖齊天帝皇神を配し、宇宙聖齊天帝皇神はさらに分御霊して各管轄を統治させた。
なお、世界や宇宙のかたち・あり方のバリエーションは無限無際限だ。したがって、かたち・あり方が想像もできないような世界や宇宙があって、それを統治する神についても、到底、一概一様には語り尽くせない。
ただし、基本的には次のとおりである。
たとえば、イデア(ιδέα)世界に無数に在るうちの一つの宇宙を例にすれば、
超銀河団を統治する聖齊天帝皇神。
銀河団を統治する聖天帝皇神。
銀河系には聖皇帝皇神。
太陽系に聖皇帝神。
地球に聖齊天神。
大陸に聖帝王神。
広域地方に聖齊王神。
国に聖王神。
地方に聖族長神。
地域に聖神が置かれている。
さらには齊神、清神、天神、地神、風神、雷神、青龍神、朱雀神、白虎神、玄武神などが配された。