第一 狂裂の神 黄枢天霽の イゐユ
糞掃衣のように汚れて頭陀襤褸の布裂を、いや、タープと彼らが呼ぶものを枯れ落ちた乾木枝を支柱にして張った…だけのテント。
服も物も人も食べ物もサンダルも砂だらけ、全てが白っぽい、埃の積もる、貧しい人々の市場。陽気だがやつれた人たちが行き交う。
人々は何万年も前から日焼けしていて皺深く、皮下脂肪なく痩せ細り、草臥れた破れ布を巻いているだけ。素朴な生活は長い内戦で滅茶苦茶にされていた。
商品と言えば、血抜きされて吊るされた痩せ野ウサギ、砂の混ざった硬いパン、綻びだらけの麻袋に入った豆類、錆びた刃物、臭いの強いヤギの乳……。
その中のテントのうちの一つ。決してそうは見えないが、カフェだ。木箱が椅子であった。
熱射、濃い影、乾燥、剥き出しの砂岩、蜃気楼の沙漠、干涸びた風。
鉄のタライの中の焼けた砂利に半ば埋もれた、表面が凸凹な金属の器。そのひしゃげた蓋を取り、小さな杓で濁った茶を掬った亭主が銭と交換で差し出す。
日差しを避けるフードに顔を隠したまま、熱い茶を啜った。ドライな世界。
昼下がりと云うのか。気怠い。喧騒の静けさだ。時間が延びて弛緩していた。遠く彼方の青い空に薄い微かな雲が速く流れている。向こうは風が強いのだろう。
笛を吹く老人がいた。物哀しい節に聴こえる。
突然、市場の喧騒とは異なる騒ぎが巻き起こった。ラクダの足音が地響きし、肩に下げた銃がガチャガチャと鳴る音がする。数十人の武装した兵士たち。そんな武器を買う金があればここの人たちを幸せにできるのに。
「動くな、貴様ら皆殺しだ。皇帝のご命令だ」
内戦の末、軍事政権と反政府勢力の抗争も収まっていないのに、将軍は躬らを皇帝を称し、王侯として振る舞った。皇帝と勝手に名乗って暴力で周囲を黙らせれば皇帝だ。クソな人間。そういう奴こそ人間動物だろう。各国の権力者ども。
民衆は混乱し、こどもは泣き喚き、女は憤り、男は激しく訴えて懇願した。
「そんな無茶な、我らに何の罪が」
「叛逆するか、下民どもが、畏れ多くも皇帝のご意思だ。だが、慈悲心をもって教えてやろう、ここに一人の危険分子がいる」
「ならば、そいつだけを殺せば」
「ならぬ、それはできぬ。時を掛けず、諸とも殺せとのご指示、勅命だ」
ゆっくり茶を啜り終えた小柄な人は立ち上がった。
「あたしがその危険分子さね」
フードを跳ね除けると、青い燦めきの双眸を持った小さな少女であった。
将校は眼を真裂くよう睜き、
「貴様、貴様か」
「あははは、皇帝ごときがあたしを殺せる? 無駄、無駄、無駄よ。百万の大軍団だって、小指で蹴散らせるわ」
「こいつ、気が狂っておるわ」
「正気でないのは、お前だ、無知蒙昧、生きる資格もない男どもよ」
「聖なる皇帝に叛う愚か者、不届き者、悪党、悪魔め」
「ふざけるな、悪魔はどっちだ。何千何万もの民を犠牲にし、己の欲望のために殺戮した皇帝どもが皆、今、地獄でどんな目に遭っているか、見せてやりたいわ。今生の歓びという一瞬のために永劫の苦しみに泣き喚く愚か者どもを。
あらゆる場所のあらゆる時代の歴代の愚かな権力者、王、皇帝、大臣、教主、枢機卿、財務長官、徴税官、首相宰相、大統領ども。
どんな言い訳も神には通用しない。国家のため民族のため大義のため主権のため神のため、あはは、浅ましい、人殺しは、ただの人殺しだ。永劫の地獄へ堕ちろ」
凄まじい光燦の炸裂。
軍隊は牽き裂かれ、粉々に吹き飛んだ。
だが、民衆は。
罪なき民人には炸裂が黄金に光る霧でしかなかった。赤や白や黄色や桃色の花びらが散り舞う爛漫、高貴な香りを漂わせ、清々しい微風に優しく撫でられるかのように吹かれるだけであった。まるで、天国に生まれ変わったかのごとき快楽であった。
「これが正しい。
悪いのは権力者。勝った国も負けた国も犠牲者は民衆、勝った国も負けた国も笑うのは権力者、金持ち。
侵略された国々は罪科のない民が虐殺されるが、権力者たちは生き延びる。前線に立たず、さっさと亡命する。
侵略した国も前線で死ぬのは民衆、駈り出され、家族から引き離され、見も知らぬ土地で土になる。何と悲しいことか。たとえ、侵略した側であっても、彼らは犠牲者だ。権力者の子息は前線で殺されない。消耗品のように扱われるのは民衆だ。攻めた方も攻められた方も犠牲は民衆、いったい、権力者の命令に弱き民衆が叛らえるだろうか。弱き者を責めるなかれ、弱き者を恨むのは理不尽。笑う者を責めよ。笑うのは強き者、権力者、権威ある者、富める者ども。生きる資格もない外道ども。一瞬の生のために罪を犯し、永劫の責めを受ける愚か者ども。
全て悪は権力者、富豪・財閥、要領よくやった者ども。強引な者ども。暴力を振るう者ども。奴らは一瞬の生のために永遠の地獄に堕ちる。
攻められて死す民衆の哀れな魂に永遠の世界での幸あれと祈ろう。しかし、攻めた方も犠牲者は民衆だ。兵卒を恨むべきではない。ましてや戦場に立たなかった民衆を。
あたしは全ありとしあらゆる宇宙世界を統べる五聖の一人、黄枢天齊の〝イゐユ〟よ、一切何もかもの宇宙世界を統べる五つの究竟真実義の一つ、〝狂裂〟。
大陸どころか世界を、この星を、太陽系を、大銀河団を、宇宙を、一切の平行宇宙すべてを、十億次元の、千兆次元の、那由多次元の、無量大数次元の、無限数の次元の全宇宙世界を溜め息だけで消すこともできる。全ての良き民衆を天国に甦らせることもできる。歴史を遡って。あたしに時間性の束縛はない。無際限の次元数を持つ空間を気ままに往来するから。
あたしは全ての存在、存在は狂裂自在ゆえに存在する。因果など関係ない自由狂奔裂。
あたしは無限の自由だから。質量ゼロの大いなる光燦ゆえ。狂裂自在・自由狂奔裂、黄枢天齊の『イゐユ』よ」