街燈
多分、あの匂いはカレイの煮つけだったんだと思う。
短い秋の……つるべ落としの夜の帳に追われて駆けてゆく道すがら……昔はきっと谷底だったのだろう細道を幼い私は機関車の様に駆け抜けていた。
街燈は線路脇の信号みたいにいくつか通り過ぎたけれど……次に見えて来た街燈は蛍光灯がチカチカとしていて、本当の信号みたいで……私はギュギュギュギュッ!と足を止め、蒸気ブレーキみたいに大きく息を吐き、酸素を取り込もうと深呼吸をした。
その瞬間に鼻を擽った懐かしく温かな夕餉の香りは、山肌から下りて来る夜気の匂いと相まって……家路へと向かう私を更に急がせた。
その街燈脇の家の事を思い返してみると……
チカチカ灯る蛍光灯が……辛うじてその存在を知らせている訳では無かった!
そこに集う家族の団欒が……その家の在処を暗い闇の中から知らせていた。
でもその翌年の正月明け……
この豪雪地帯でも何年かに一度ほどの大雪があり……
この“谷底”は雪崩に埋もれた。
雪崩のあった翌々日に現場へ辿り着いたショベルカーが何度も何度も雪を掻いて……固く締まった雪の中からようやく見えたのがあの街灯の頭だった。
人の営みを飲み込み、圧し潰してしまったのは闇では無かった!
陽の光を一面に弾き飛ばしているこの“白い悪魔”のなせる業だった!!
私は避難所に据え置かれたテレビでその光景を見て……大きくなったらこの地を離れようと心に決めた。
今の私はサラリーマンで……ちょっとした雪でもすぐに止まってしまう電車に乗って通勤している。
こんな……考えもしなかった雪害が故郷を捨てた私を見舞うけれど、身近な信号機は全てLEDライトだし、街燈だって蛍光灯の様にチカチカはしない。
もう随分と帰ってはいない故郷の信号機もLEDライトへ取って代わったらしいが……昔ならライトの熱で溶けていた雪がLEDライトではくっ付いたままとなり、信号機を見えにくくしているなんてトピックスが……風の噂で聞こえて来た。
人は大抵は「より良くなりたい」とあがいてみるのだが……
どうやら
なかなかうまくは
行かない物らしい。