第1章 邂逅~ENCOUNTER 第3話 |運命の車輪《ホイール・オブ・フォーチュン》1
第1章 邂逅~ENCOUNTER
第3話 運命の車輪1
1 魔術の塔/廊下
石畳の廊下を軽やかに叩く音が響く。
沙那のローファーだ。
この世界の庶民は木沓やサンダルだから硬質な音になりやすいので少し不思議な感じかもしれない。
廊下中に響かずに済む利点はあるが、秘匿性があるほど静かでもない。
「エルフが逃げたぞー!魔法だー!魔法を使ったぞー!」
看守の叫び声だ。
これは注意を呼び掛けるものではない。
自分が逃がしてしまった責任を回避するための言い訳だ。
そもそも下級の兵士は忠誠心や任務への義務感は少ない。
とにかく、責任回避が第一なのだ。
自分勝手と言えばそれまでだが、それが小市民というものだった。
沙那は走った。
……あてはない。
ただ、上だけを目指した。
が、幾つもの階段を登り、何度となく扉を潜ったが風景があまり変わらない。
――迷宮みたい。
まるでゲームのダンジョンだった。
しかも自動マッピングはない。
記憶だけが頼りだったが、そもそもすでに出発点の地下牢を覚えていない。
「不気味なエルフが逃げたぞー!」
「捕まえろー」
叫び声と共に足音も聞こえる。
そう多くはない。
数人くらいだろうか。
「また不気味とか言ってえ~。せくしぃきゅーとな美少女でしょー!」
やや自分勝手な文句を口脚りつつ、沙那は廊下を駆けた。
正面がT字路。
右に曲がるか左に曲がるか。
……ではなかった。
沙那は迷わず左向けて、壁を蹴った!
速度を落とさ真っすぐに壁に向かっていき、駆け上がる様に蹴って急激な方向転換を行った。
――上手くいった!
行動に意味はない。
ただ、映画やアニメならやりそうな、絵的に恰好いいムーブをしてみたのだ。
夢の中ならできる!
そういう根拠のない自信だった。
なお、左を選んだのは、ゲームなどでもダンジョンは左手の法則で進むと良いというどーでもよい知識のせいだ。
壁に左手をついて進むと良いというアレだ。
正直、右手でも同じ気がするのだが。
「いたぞー!あそこだー!」
なんと反対側である右手の方から2人ほど黒ずくめが走ってきた。
――マズっ!?
沙那は走る。
全力疾走だ。
制服のスカートがはためくのも気にしない。
万事休すかと思った……が。
追手との差はどんどん離れていく。
「さっすが。夢の中ー!ボク、すごいね!」
実は、単純に沙那がやや速かっただけである。
より原始的な世界の住人なら運動能力は現代人より高そうと思われがちだが、走る跳ねるといったスポーツ能力は現代人の方が格段に上なのだ。
それは学校体育レベルでもだ。
科学的に進化したスポーツ理論が反映されているために実は優れているものだ。
ただ何となく動くより数値的にも上なのだった。
100m陸上の世界記録だって、現代と100年前では1秒以上違う。
なんと100年前の金メダリストが、現代だと予選落ちになってしまうほど。
一般庶民でもその差は確実にある。
よほどの運動音痴や怠け者ならいざ知らず、ガチ運動部ではないもののごく普通にまじめに授業を受けていた沙那なら、女子ということを割り引いてもそう見劣りしない。
なにより、基本がインドア系の魔術師たちが追い付けるものではない。
「夢だもん。チート無双してやるぅー!」
再び曲がり角。
壁を蹴ってクイックターン。
また、決まった!
ただ……。
そこには人がいた。
――避けられない!?
ドーン!
……とはならなかった。
激突する瞬間に、相手が上手く受け止めたからだった。
それでも、ぼーん!くらいの衝撃はあった。
食パン咥えてたら大昔のマンガの様にひっくり返って、運命の出会いだったかもしれない。
だが、ぶつかった相手は数歩小さくステップしてバランスを取ったらしい。
沙那は相手を見上げた。
――大きい。
目測で180センチくらいはありそうな男だった。
この世界では間違いなく長身の部類ではある。
長身痩躯。
顔はイケメン……になれる可能性はあったのだろうが、微妙だった。
タレ目。
そのうえ三白眼だった。
沙那がその瞬間思ったのは……。
――あー。アニメとかで主人公チームに良くいる、モブではないけどイマイチ頼りにならないキャラ!
――しかも嫌味っぽいアレな立ち位置のやつー!
主人公にライバル心を表すもののさっぱり勝てない、そういうタイプだと直感した。
きっとこういうシーンでは軟弱者な行動をとるに違いない。
「こっちだ」
タレ目男は沙那の手を取った。
「悪いようにはしねえ。落ち着くっス」
そう言うと黒いローブを開いて、沙那の頭の上から被せた。
汗臭っ……くはなかった。
どちらかというとお祖母ちゃんの家のタンスの臭いに似ていた。
――いやーん!せくしぃキュートな美少女主人公が攫われるぅ~!
沙那は暴れた。
度々掴まりたくはない。
黒いローブだから、今までのやつらの仲間に違いない。
「……面倒っスな」
男は沙那を御姫様抱っこした。
なかなかの膂力の持主らしい。
もっとも沙那があまり重くないためでもある。
――む~~~。
ローブの中でじたばたする沙那の目の前に500円玉くらいの大きさのメダルがあった。
細いチェーンでぶら下げているらしい。
ゲームセンターのメダル?よりは少し大きい。
絵が描いてあるところが玩具っぽかった。
――どっかで見たような?
そこに描かれていたのはタロットカードにある運命の輪のようだった。
それとも船の舵輪?
いや……車輪のような。
沙那はローブの襟元の隙間から、男の顔をまじまじと見る。
――タレ目。
いやいやそこじゃない。
なんだろう。
善人には見えない。
でも極悪人にも見えない。
黒いローブは共通だったが、儀式にいた魔術師たちや、追いかけてきている黒ずくめたちとはちょっと違う気がした。
――お助けキャラかも!
根拠はない。
ただの直感だった。
夢の中のストーリーなら都合よく現れそうな気がした。
理屈などない。
論理的な思考が常に正しいのはフィクションの中だけだ。
あれ?夢の中はフィクションではないのだろうか。
――とりあえず、このタレ目についていってみよー。
タレ目が似合うのは美少女キャラだけだぞ!と沙那は思いつつ、推定お助けキャラな謎の男を御頼ることにした。
この時。
沙那がそう考えた瞬間。
確かに『運命の車輪』は回り始めたのだった。
2 魔術学院外/クローリーの部屋
魔術学院には学生寮がある。
なのにクローリーは外に下宿を借りていた。
裕福だから……ではない。
むしろ逆だった。
貴族や富裕層の多い学生寮は居心地が悪い上に、アルバイトで冒険者家業をしているクローリーにとっては色々と寮より都合が良いからだ。
冒険者仲間のたまり場……アジトにも使うのだ。
そのために用意したのは民家の納屋だった。
少し裕福な農家の納屋の一つを一軒丸ごと借りていた。
2階建ての木造の建物で、屋根が高かった。
元々が農作業用だからだろう。
嗜好品である煙草の栽培をして、葉を乾燥させるために高い天井にしてあったようだ。
「なに、ここー……?」
ローブから解放された沙那が呟いた。
沙那からすればド田舎の廃屋にしか見えない。
だいたい、窓が木の板でガラスはない。
晴れていれば開け放すだけのものだ。
雨でも降れば締め切って部屋は真っ暗になるだろう。
「オレのアジトっス。ここなら安心してイイっスよ」
「臭~~。……でも、トイレの臭いはあまりしないねー。
「薬や素材が多いからっスな。まー、こういうのもあるっスが」
クローリーは懐から何かを出して見せた。
石灰の塊のような。白灰色の土のくれのようだ。
「なにそれー?」
「蝙蝠の糞化石っス」
「きちゃなーい!!」
沙那がえんがちょした。
「これはちょっと凄い魔法の魔法構成触媒で貴重品なんスよ」
クローリーはそう言って懐に仕舞う。
黒いローブはあちこちに隠しポケットがあり、魔法の素材を隠し持っているのだ。
沙那はは部屋を見回す。
少しカビ臭い。
木製の崩れかけた本棚が7本。
棚には本がぎっしりだが、キレイに並べてるとは言い難い
サイズや材質がまちまちだからだった。
羊皮紙の物もあれば、割と整った紙製もあるし、時折、石盤まであるのだ。
様々な魔法関連の 書籍なのだが沙那には判らない。
ボロい棚にゴミのような本が雑に突っ込まれてるようにしか見えない。
「汚ねートコっすが、まー落ち着いてイイっス」
「ふーん」
とはいえ腰を下ろすところがない。
安楽椅子が一脚だけあるが、ゲームに出てくる王様の椅子みたいで気が引けた。
仕方ない。
埃を被ったボロそうなベッドに腰掛ける。
「お?」
意外とふわふわだった。
もう少し湿っているのを想像していたので、少し拍子抜けした。
「で、何を企んでるんだい。車輪屋」
ついてきたミュアが壁に寄り掛かりながら訊いた。
イケメンでないと似合わないポーズだ。
「企むとは大概っスな」
クローリーが笑う。
「言った通り、オレの実家に行くんスよ」
「理由は?」
「いやー。オレ、エルフの知識には興味あるんスよ。で、実家にも異世界のエルフが一人いるんス」
「でも、その娘は魔法も何も使えないらしいよ?」
儀式に参加して一部始終を知っていたミュアは首を傾げた。
もちろん確信はない。
少なくとも脱出のために強大な魔法を使った形跡はない。
いきなり召喚されて、協力するでもなく抵抗するでもなく……脱走はしたが……今のう状態になっていることを考えると無力なのではないかとミュアには思えていた。
「何しろ、どっちのエルフも同じ世界から来たっぽいっス。日本から来たって言ってた」
「なんだい?その日本って」
「国の名前らしいっス。首都はトウキョウ。そこも同じっス。アキハバラという繁華街があるっていうのも共通してるっス」
「それが……どうしたんだい?」
ミュアにはクローリーの考えが計りかねていた。
端正な顔にやや眉を寄せる。
「オレの実家……男爵領には上下水道があるっス。てか、最近作ったんですがね」
「上下水……帝都の一部にはまだ残っているが、千年前の失われた技術の一つだね」
上下水道は重要なインフラであるが、この帝国世界ではごく一部にか存在しない。
帝国創生最初期に帝都を中心に整備を始めたが、膨大にな資金と資財と人材を必要とするために、いつしかおざなりになってしまったものだ。
何分、インフラ整備はそれ自体が直接利益を産まないために後回しになりがちだった。
「そういったことを勧めてくれたのがそのエルフなんス。何か、いろんな知識をたくさん持っていて……まあ、ほとんどは雲を掴むような話ばかりだったんスが、役に立つようなことも知っていて……ああ、いや、それだけじゃなくて……」
「なんだい?回りくどいな?」
「説明が難しいんスが、その日本っていうのがどうも魔法?の発達した物凄い世界みたいなんス。何百人もの人間を乗せて空を飛ぶ乗り物とか……さすがに眉唾なんスが、再現可能なものもいくつかありそうで。答え合わせのためにももう一人、同郷のエルフがいると確実かなと思ったんスな」
「空を……一人二人なら飛ばす魔法はあるけど、コストがね……。そう考えるとより高効率な方法があるのか、ただのデタラメなのか……」
ミュアにはにわかに信じがたかった。
優秀な魔術師である彼だからこそ可能不可能がはっきりしている。
結論として『ありえない』のだ。
「ま、オレ的には、そんな大掛かりな魔法よりも、詠唱無しですぐに火をつける魔法の方が驚きだったっスな」
「着火の魔法かい?初級呪文だから魔術師なら駆け出しでもできそうだけど……詠唱無しにか?」
「そうっス。ちなみにコレっス」
そう言うとクローリーは小さな金属の小箱を織り出して見せた。
掌に収まる程度の大きさの滑らかな銀色のものだ。
それを親指で弾くようにすると全体の半分くらいが開いた。
蓋になっているようだった。
そこでクローリーがもう1アクション……親指を動かすと……。
ボッ。
火が点いた。
蝋燭の灯りほどの炎だが、しばらく燃え続ける。
「な……なんだって!?」
ミュアはのけ反りそうになった。
「判るっスか?こいつがあれば、魔術師でない庶民も簡単に使えるわけで、火の番もしなくて良いし。竈に火をつけるのも楽チンってことっス」
クローリーが自慢げに笑う。
実はこれ、件のエルフから貰い受けたジッポー・ライターだった。
現代人から見れば古臭い造りのなんて事のないオイル・ライターでしかないが、クローリーたちからすれば魔法の品だ。
「日本では子供が雑貨屋で買うことができるようなモノらしいんスが、これがあるだけでも生活は楽になると思うんス」
「凄いな……」
ミュアがクローリーに近付いてライターを凝視する。
「使ってみると良いっス。その歯車を一気に擦るだけっス」
ミュアはクローリーからライターを手渡されると、一瞬戸惑い、そして試してみた。
魔術師なので不思議な品への興味は尽きない。
がしゅっ……がしゅっと……。
慣れないために一度目で点かずに、だが、二度目で着火した。
「わっ……。本当に詠唱無しか……凄いな」
驚いて火を見詰めるミュアをクロ-リーは満足そうに見た。
「そういった、小さなものから何から得られるものが色々ありそうって思ったんス。大魔法よりも面白そうとは思わないっスか?」
クロ―リーは笑った。
彼は野心を成就させるための大魔法などより、こういった生活に役立つ魔法などの方に興味があるタイプだった。
魔術師としてはかなり稀有な方だろう。
「オレは大きな何かより、自分と周囲の人たちが楽になる魔法の方が世のため人のためになると思うんス。ま、とりあえず自分の故郷だけでもいいんスがね」
……やはり、変わった男だ。
ミュアは思った。
前々からクローリーの奇妙な行動や研究には気を惹かれていた。
ならず者ばかりの冒険者などというアルバイトをしていることも不思議だった。
みんなが血道を上げて研究する召喚魔法や大魔法の研鑽よりも、簡単な作業を行うことが可能な自動人形の研究に夢中な変わり者だった。
あんなもの……大量に作って兵士にしようにも、材料が高価なものばかりで実用性が低い。
いつも、何をしたいのか捉えどころのない男がクローリーだった。
だからこそ、つい関わり合いになりたくなってしまうのではあるが。
「ただのジッポーじゃない」
沙那が飽きれたように言った。
彼女からすれば、オジサンがカッコつけに持ちたがる古臭いアイテムでしかない。
煙草などには縁のない女子中学生からすれば、バーベキューやお線香に火を点けるためならチャッカマンの方が便利だなとしか思わないのだ。
「おお。やっぱり知ってたっスか」
「ショーワのおっさんくらいだよ。そんなの使うのはー」
クローリーはショックを受けた。
ショーワのおっさんがどういう意味か判らない。
だが、なにか蔑んだような響きであることだけは判った。
どんどん。
その時、ドアを叩く音が響いた。
トントンというノック音ではない。
文字通り、どんどん、なのだ。
何か硬く重い物で叩いたような音だ。
「よぉ。来たぜ」
低い、男の声だった。