第1章 邂逅~ENCOUNTER 第1話 魔術師クローリーとピンクのエルフ
第1話 魔術師クローリーとピンクのエルフ
1 帝都/魔術学院/廊下
「逃げたぞー!」
黒大理石の床を走る複数の足音が響く。
硬質的なものではない。
魔術師たちの皮の靴底はあまり硬さのないものなのでスリッパか何かの様にすら聞こえるかもしれない。
その中に少し異質な硬めの音が混じる。
とはいえ打ち付けるようなものではない。
体重が軽いのかもしれない。
クローリーは魔術学院の広くはない廊下で、その喚声を耳にした。
何やら騒動が起きているようである。
興味が惹かれないではなかったが、気にしないことにした。
退学処分にこそならなかったが劣等生と見做されている彼には、たいていのことは縁がなかったからだ。
せいぜい横目にちらっと眺めるだけで済ます。
迂闊に手を出すと、ただでさえ低い評価が下がるかもしれない。
おーれしらね。
……つもりだった。
T字路の廊下を蹴り飛ばすように元気良く、ソレが曲がってくるまでは。
どん。
曲がり角で出合い頭にクローリーに突っ込んできた。
クローリーは一瞬で、6割がた事情を理解した。
気がした。
子供か?
かなり小柄だ。
いや、それよりも……
エルフ!
エルフ族と人間の違いを一目で判別できる特徴が、髪の色だった。
理由は判らないが、独特の金属光沢の様々な色をしているのだ。
それにしてもピンクとは珍しい。
かなり長い髪の毛はふわふわで、不思議な結い方をしている。
普通の人族はあのような髪質にはならない。
洗髪の頻度が低いので脂でごわついているからだ。
王侯貴族ですらなかなかいないだろう。
かつらを使うものもいるくらいだ。
彼は何人ものエルフと会ったことがあるが、ここまでの色は見たことがない。
そして、奇妙な色で素材の分からない、しかし、恐ろしいほどの縫製技術の塊のような仕立ての良い服装。
いやいや。エルフの物なら不思議はないのかもしれない。
それが現代日本の学生向け制服だと判るはずもない。
しかし。
髪の色こそエルフの特徴そのままだが、他が異なっていた。
大きな目。
鈴のように丸い。
切れ長ではなかった。
丸い耳。
やや尖った長い耳……ではない。
もちろん例外もいるが、人間とそう変わらない感じだ。
そして、なにより……。
大きかった。
胸が。
──雌だ。
痩身長躯のことが多いエルフからは考え難い。
小柄で胸が大きいというのは、人間基準でも異様だ。
一般的な感覚からすると不気味といっていい。
帝国世界の人間も胸が大きい人は滅多にない。
世界中どこでも栄養状態が悪いので、そのような脂肪のため込みがないのだ。
例外的に裕福な家庭や貴族などには栄養状態が過剰なほど良い者もいることはいる。
だが、その場合、栄養は胸にはいかない。
腹に集まる。
なので鏡餅のような体形になるのが常だ。
巨乳だが、お腹ももっと豊か。
胸もお尻も98~98~お腹の周りも98~98~、になる。
それが常識だ。
そのため、小ぶりな胸が普通だから大きな胸は不気味に見えることだろう
悪魔的な異形さだ。
クローリーは一瞬だけ、逡巡した。
秒に直すと100分の1秒くらいだろうか。
「こっちだ」
クローリーはそう声を掛けると、エルフ女の手を掴んだ。
ぎょっとした。
節くれだった様子のない、すらりと伸びた指。
なにより肌荒れがない。
労働とは無縁なのだろう。
クローリーが感じたのは、エルフはエルフでもエルフの貴族階級……もしかしたら王族、かもしれないというものだった。
とっさに女エルフを頭の上からローブで包む。
長身の部類に入るクローリーの胸ほどの背丈しかないから、すっぽりと隠れる。
魔術師のローブはこういう時は便利だ。
体形や持ち物が判別できないようにするための緩やかな、ずるずるの造りが子供くらいなら包んで隠すくらいは余裕である。
「悪いようにはしねえ。落ち着くっス」
そう小さく声をかけて歩き出そうとしたが、エルフは抵抗気味だ。
脚を突っ張らせて、手で押し出して離れようとする。
「……面倒っスな」
クローリーはローブの中でエルフ女の膝の裏の少し上を、ひょいっと抱きかかえる。
いわゆるお姫様抱っこの体勢だ。
そのまま自分の腰のあたりまで引き上げると、足早に足音と反対方向へ歩き出した。
「こらこら。暴れると見つかるっス。ちとおとなしく……」
ローブの中でじたばた暴れていたエルフの動きが止まる。
半分ほどローブの襟元に飛び出した顔というか、大きな瞳が値踏みするようにクローリーを見詰める。
そして、少し大人しくなった。
「よしよし。……さーって、どこに逃げるっスかね」
すたすた歩きながら、視線だけで左右を見回す。
魔術学院の塔は隠し扉や隠し部屋が少なからずある。
身を顰める場所は多そうだが、残念なことにクローリーはそのほとんどを知らない。
劣等生ゆえに入れない、呼ばれない部屋なども無数にある。
正直、主な動線以外の構造を良く知らないのだ。
「さてさて……」
上手く見つからなければ寄宿舎の彼の部屋にでも入り込めれば良いのだが。
こっそり持ち込んだ魔法のアイテムや怪しい装置があるのだ。
そこに声がした。
「車輪屋。こっちだ」
クローリーの右手の肘が掴まれた。
若い男の声だ。
それが知り合いのものだとすぐに判別できたので、ひっぱられるままに歩く。
「おや。優等生のあんたが良いんスか?」
驚くよりもわずかな機体と安心感。
クローリーはにやりと微笑み返した。
もしかしたら、エルフ女もこんな気持ちなのかもしれない。
「はは。エリートだからな。色んなものを知ってるし、誤魔化し方も上手いんだ」
腕をつかんだ青年が微笑む。
金髪碧眼で絵にかいたような好青年だ。
黒い魔術師のローブよりも騎士の外套に剣でも下げれば、女子の憧れる王子様姿が似合いそうだった。
ただ、クローリーは知っていた。
この青年は上手に世間を立ち回るくせに、悪戯好きで反権力主義者なことを。
彼の悪友の一人なのだ。
「ミュア。あんた、自分から面倒事に顔を突っ込んでいいんスか?」
「君と同じさ。車輪屋」
「表ではそれでお願いするッス」
「とりあえず、こっちだ」
青年ミュアが手を引っ張りながらどんどん進む。
幾つも角を曲がり、隠し扉を潜り、クローリーの全く知らない扉の前に立つ。
「こいつは何スか?ずいぶんと判り難い場所の様っスが」
「その子のスタート地点さ」
「へ?」
「異世界召喚儀式の間だよ」
ミュアは隠し持っていた魔法の鍵で扉を開けた。
2 隠し部屋/異世界召喚儀式の間
「噂には聞いていたっスが、これが異世界召喚の……っスか」
そこは隠し部屋という言葉尻のイメージと異なり、かなり大きな空間だった。
大教会の礼拝堂、といった方が良いような造りである。
絢爛豪華ではないが、不思議な意匠が壁や天井に設えらえていた。
魔術師であるクローリーには判る。
全てが魔法のものだ。
ゆらゆらと魔素を放つそれらは何かしらの魔法の産物である。
そして、元も目を引いたのは床だった。
大きな床一面に巨大な円形の魔法陣が描かれていた。
一つではない。
円とその中にクローリーが知らない魔法文字や記号が描かれたものが、数十個、渦巻き状に何かの規則性をもって並べられている。
「すげーっスな。何一つ……でもないか。ほとんどわからねーっス」
「そりゃそうだ。私もほとんどわからないよ。帝国以前からある子大魔法の術式を何重にも重ねてあるらしい。言ってしまえば系統だったものではなく、色んなものの継ぎ接ぎでできた寄せ集めの魔法陣でしかない。……と思う」
「なんか頼りねー言い方っすな」
「まあね。そして、彼女は2日前にここに呼び出されたんだ。私もその場にいたからね」
「……あーっと。……異世界召喚の儀式っスか?」
クローリーは呼ばれないが、ミュアは優秀な学生でかなりの魔術師なので、大規模な儀式には良く参加させられている。
だからこそクローリーにも秘密の儀式の話が少しは流れてくるのだった。
どれだけ厳格に機密にしても情報は少しづつ漏れるものだ。
「そうだ。君はそこまで知らないだろうが、週に一度くらいの頻度で儀式は行われている」
クローリーはそれを聞いた眉を顰めた。
異世界召喚儀式の話はぼんやりとだが、彼も聞いてはいる。
劣等生なので儀式に関係することがなかったが。
ただ、何のために行われているかは知っている。
異世界のエルフは特別なのだ。
異世界から来訪したエルフは稀に想像を絶する大魔法や超人的な身体能力、それこそ剣聖と呼ばれる伝説上の存在の多くが異世界エルフなのである。
その存在は一撃で戦場を支配、あるいは戦況をひっくり返すことが可能なほどだ。
これがどういう意味を持つのか。
戦いになれば圧倒的に有利なことだ。
それは同時にその存在自体が敵に恐怖を与えるために、恫喝で事態を収拾することすら可能なのだ。
言ってしまえば核兵器みたいなものである。
持つ者は圧倒的に優位で、持たざる者は抵抗すらできない。
状況を一変させる兵器。
それこそ戦略兵器としての存在である。
王侯貴族はもとより交易の大商会だって喉から手が出るほど欲しい。
軍事的な圧倒的な力は政治的にも強力なツール足りえる。
砲艦外交を地で行く……核兵器に近いかもしれない。
だからこそ、商売になる。
悲しいかな。
知識と学術の集積する総本山である魔術学院はこれを売り物にした。
莫大な料金と引き換えに異世界召喚のエルフを召喚する。
ただ、問題もあった。
異世界召喚されたエルフで、そのような兵器としての力を持つ者は極めて稀なことだった。
何百という召喚があって、その中で一人いるかどうか。
週に一度の召喚でも年に50人強。
つまり。
確率的には数年に一人、『当たり』が出現するかどうかなのである。
なお、『当たり』が出なくても料金は返さない。
壮大で国家的な課金ガチャである。
それ以外の『ハズレ』のエルフはどうなるのだろうか。
クローリーが6割がた理解した、というのはそれだ。
この子は、たぶん、『ハズレ』だったのだ。
「ミュアよ。ハズレくじのエルフは普段どうなるんだ?処分されるとは聞いているっスが」
クローリーは懐のエルフ女の顔をまじまじと見詰めた。
子供、ではないが、かなり若い。
いや。若いように見える。
しかも肌も綺麗でかなりの美女……美少女だ。
人間なら10代前半といったところか。
「そりゃ廃棄だよ。廃棄。男なら奴隷商に売りとばすが、若い女なら娼館に下げ渡すか」
ミュアはこともなげに言った。
これまでも何度か見てきたのだろう。
男なら力仕事ができるので奴隷に向いてはいるが、女はそうではない。
だから奴隷としての価値は低いために値段がつかない。
娼館に払い下げると大したお金にはならない。
売れっ子娼婦なら価値は高くなるが……素人の少女などタダ同然。
処分費用と思うしかない。
「しかし、これでは……」
「そう。それでは……なんだよね」
クローリーの言葉にミュアが頷く。
抱きかかえていたエルフ少女を下した。
帝国世界の人間の成人女性とほぼ同じか少し小さいくらいの背丈。
それはまだいい。
綺麗だが幼い顔立ち。
それも、世には幼児性愛の変態金持ちが喜んで買うかもしれない。
そこではないのだ。
大きな胸。
これが大減点だった。
どの世界やどの文化圏でも美男美女というのは平均値であることだ。
目の位置や目の大きさ、花の大きさや口の大きさ。
そういったものが平均の位置にあるものほど美しいとされている。
世の美男美女の顔のパーツの位置や形状は全て平均値であることなのだった。
突出して変わっているのは醜いという扱いになりがちなのだ。
そこで巨乳。
これはいけない。
かなりの変態趣味でもなければ、この世界では間違いなく不気味な生物にしか見えないのだ。
娼館に売るにも値段はつかないだろう。
巨乳が喜ばれる現代でも、爆乳を超えて奇乳となると『それはちょっと……』となる男性諸氏も少なくないのと同じだ。
「オレはいける方だけど、これは、まーデカ過ぎっすよなー」
クローリーは巨乳の知り合いがいるから驚きはしない。
ただ、あちらは背も高いので何とか釣り合いが取れてる違いはあるが。
「背が伸びればバランスも取れたろうけどね。大人になるのを期待……かな」
「……大人になるまで育ててくれるところの心当たりがあるんスか?」
「ないね」
ミュアはにべもない。
こんな不思議生物を養ってくれる変わり者はそういるまい。
「こらー!どこ見てるんだーっ!胸ばかり見てー。すけべ!へんたい!」
エルフ少女が大声で叫ぶと、クローリーの脛を蹴飛ばした。
「うおっ……ててて……って!?言葉が!?」
「帝国標準語だな……」
クローリーとミュアは顔を見合わせた。
元々帝国領内に土着のエルフならいざ知らず、異世界から来た者が言葉が通じるとは。
異世界事情に疎いクローリーはともかく、儀式に関係ししていたミュアですら驚いた。
過去に言葉が通じた例はあるが、かなり珍しいのだ。
「変なえーご使って!キミたちはどこのガイコクジンなのさ!?あ、いや、ボクもえーご得意じゃないけど。今どきの日本人を拉致してもあんまりお金にならないよっ!不景気だから。それにうちは普通のサラリーマンだから身代金期待できないからねーっ!」
「……は?」
「えーっと……言葉が通じるなら助かる。君は?」
聞き取りも、話すこともできるようだ。
たどたどしいが、通訳魔法を使わないで済むのは助かるのだ。
高価な魔法構成触媒が必要な魔法はお財布に厳しい。
「お?あ?じこしょーかい?うん。こほん」
少女はぐいっと仁王立ちすると、組んだ上の上に胸を載せた。
「帝邦学園中等部2年、花厳沙那!ぴっちぴちの美少女JCだよーっ!」
自分で美少女と言うのはさすがに厚かましい。
「……解析不能の言葉がいっぱい出てきたっスな」
「いや。学園と言ったな。学生っていうことは庶民じゃないんだね。貴族か豪商の子弟か……」
だから言葉がそこそこ通じるのだろうか。
いや。異世界ならそもそもの文化が違うはずだ。
「ちょ。まだ覚えてない単語はNG-っ!高校まで待って!」
余計に判らなくなった。
帝国世界には中学や高校などはない。
学校と言えば、いわゆる大学である。
帝国教会の神学校か、ここ魔術学院くらいしかない。
学校に所属すること自体が特殊なのだ。
エルフの世界も同様であれば、やはりかなりの高位階級の娘なのだろう。
「……意味不明の単語が混じっているから、完全に帝国共通語を理解しているわけではなさそうだね」
「胸がデカすぎるとこの世界じゃ大変かもしれねーっスな。珍獣かUMA扱いっスから」
「なんだとー!?」
沙那が眉を逆立てて睨む。
「日本じゃロリで巨乳はステータスなんだぞー!アイドルなら人気爆発!……ボクはあんまりモテてないけど……」
多分には性格のせいだろう。
「ん。今、なんて……?」
クローリーはまた眉を顰めた。
聞き覚えのある単語が耳に入ったからだ。
「日本って言ったっスな?」
「だよー。日本!ジパング!ヤーパン!ジャポン!」
「トーキョーは判るっスか?」
「うん。東京在住」
沙那は自分を指さした。
「アキハバラは?」
「オタクの町」
それを聞いてクローリーは方針が決まった。
「なら、移動するっス」
「おい。どこに?」
「先ずは宿舎のオレの部屋っス。持ってくものがあるっス」
「いやいや。その先はどうするんだい?」
ミュアの疑問は尤もだ。
「オレの実家っス」
「遠いね」
「オレの綽名忘れたっスか?車輪屋っすよ」
「なるほど」
「おーい!キミたちボクを無視すんなーっ!」
「すまんスな。方針を検討してたっス」
「そーじゃなーい!ボクは名乗ったんだよ!キミたちはー?ガイコクでも先ずは自分の名前を名乗るんじゃないのー!?」
「お。そーだった。オレはクローリー。そっちの色男がミュアっス」
クローリーが指さした。
「二人とも魔術師っス」
「魔術師―!?」
沙那が丸い目を更に丸くした。
「これは……本当に……異世界……キタ━━━━。゜+.ヽ(´∀`*)ノ ゜+.゜━━━━!」
「こら、あんまり大声出すなっス。聞こえたらまずい」
クローリーが沙那にデコピンした。
「で、君の実家ってだいぶ辺境じゃないか?」
「実はオレの実家にもエルフがいるんス。日本から来たと言ってたっス。だから……会わせてみようかと。同じ世界のエルフ同士かもしれねーっすから」
「なんだって!?」
「しかも、異世界召喚儀式と関係ないっぽいんスよ。いろいろ気になってきたっス」
これにはミュアが驚いた。
「君の実家の近くにエルフの村とかがあるのかい?」
「村っつーか小さい集落はあるっスな。でも、そこのエルフとも違うらしいんスよ」
「これは……興味出てきたね。私も行こうかな。君の冒険者仲間を呼んでおいた方が良くないかい?」
「そのつもりっス。だからオレの部屋が先なんス」
「そうか。行こう!」
「ってことで、さにゃはオレの懐の中に入るっス。門番の目を誤魔化すためにも」
クローリーがばさりと、沙那の頭からローブを掛けた。
「わー!?なにするのー!?これ、薬臭いー!」
「魔法構成触媒がいっぱい入ってるスからねー。ちと我慢するっス」
「何か尖ったものとか硬いものがあるー」
「宝石とか金属もあるからっス」
「汗臭ーい」
「それも我慢ス。香水や香木入れると変質しちゃうモノもあるんス」
「うええええーっ」
その様子を見てミュアが微笑んだ。
「そうしてると、仲の良い兄妹みたいにも見えるな」
「どこがーっ!?」
腕を振り上げて沙那が激昂する。
ぼよん。
なるほど。大きい。
胸って揺れるモノなんだな、とクローリーは感慨深かった。