4 突然の訪問
少し俯き気味な姿勢でも、今も見惚れる彼女の顔を忘れるはずもない。
雪が少し乗った艶やかで綺麗な黒髪はセミロング。目元を華やかに見せる長いまつ毛に、乾燥することを知らない綺麗な肌。通った鼻梁に併せ、吸い込まれるような瞳。
特徴となる左目元にある小さな泣き黒子も含めると大人びた印象を与えられ、優しそうな雰囲気も彼女からは醸し出されている。
ただ冬ということもあり、彼女の外見は学生服だけでは纏まらない。
マフラーに手袋、上はダッフルコートを着用していてと、着こんでいる姿は家で待ってくれているモモと同等、もしくはそれ以上の可愛さも印象付けられていた。
「転んだ人……」
唐突な彼女の言葉にぐさりと矢が突き刺されば、綾人は視線を逸らしながら苦い顔を浮かべていた。
転んだ人。そんな恥ずかしいあだ名のようなもので覚えられてしまっては、もう彼女に視線を向けたくない気持ちになってしまう。
そもそもの話、どうして彼女がここにいるのかわからない。
ただ目が合っただけで、特に話すようなこともなかったはずなのに。
「これ……」
綾人はわけもわからず視線だけは合わせないようにしていると、彼女からある物を差し出される。
それは筆箱。それも自身のであった。
目印が付いているわけではないが、片方の肩に掛けていたリュックをまさぐると筆箱がない。
いつの間に落としたのだろうと思うと同時に、あれかとなっては失礼が無いよう目を合わせ受け取った。
「ありがとう……わざわざ」
「ううん。気付くの遅くて……ごめん」
「え? いや、本当にありがとう」
申し訳なさそうな言葉から、綾人はもう一度感謝の言葉を送る。
「えっと……落とし物を届けに来てくれた感じ?」
近所で見かけたことのない人なのに、筆箱を届けに来てくれた。
そんなことから言った綾人だが、彼女は首を横に振ってから話す。
「……今日からお世話になるかと思います、宮代そよいと申します。茅島さんはいらっしゃいますか?」
「いえ、どっちも仕事ですけど……」
「……三原綾人君……で合ってるよね?」
「合っては……いる」
名前を当てられた本人は戸惑うのも無理はないが、なぜか彼女も戸惑っている。
綾人としてはどういった状況なのかと頭が混乱している。
そもそも表札には漢字で茅島とだけ。
三原とは書いていない。そして彼女は自身と会ったこともないと口にしていながらも、苗字だけでなく名前までも当てて見せている。
新手の詐欺か何かか。流石に相手が相手なだけにその発想はすぐに消え去った。
「ごめん、わかってないけど……家、入って」
そう言って綾人は、外は寒いからと家の中へと招く。
モモが待ってくれているのだが理解することを優先に。玄関にある靴箱の上へと視線を向けると、家族で共有する際に使っているメモ帳を手に取った。
もしかしてと開けたメモ帳を見てみると、そこには彼女と思わしき名前と家に来るからといった内容が綾人向けに書かれていた。
「すいません、もう一度名前訊いてもいいですか?」
靴を脱ごうとしていた彼女に訊けば、親切にも言ってくれる。
「宮代そよいです」
「ありがとうございます。その、お祖父ちゃんっていうか、茅島さんはまだ帰ってこないからこっち来てください」
メモを見たあとでも困惑した状態には変わりない。
それでも、お客様と言うことを忘れないように。スリッパを出し、礼儀正しく靴を揃えた彼女を見ては、綾人は二階の部屋へと案内した。
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「上預かります。この椅子に座っててください」
抱えていたモモを降ろし、彼女のダッフルコートを受け取る。
そして別の部屋にあるハンガーラックに掛けてから、綾人は彼女の元に戻り暖房をつけた。
案内した二階の部屋はダイニングとキッチンのみの部屋。
木製のダークブラウンのテーブルに同色である木製の椅子が四つ。テレビは壁に立てかけられ、テーブルとテレビの間には小さな丸いカーペットが敷かれている。
広さとしては十畳前後と見受けられる。
ソファーを置くスペースを作ろうと思えば可能だろうが、それは厳しそうな居間の広さであった。
「リュックとかは隣の椅子に置いといて大丈夫です。手はこっちで洗ってもらえれば。これ、ひざ掛けに使ってください。あとは……飲み物どうしますか? 温かいものなら緑茶かコーヒーか紅茶かココア? か……コーンスープ? もありますけど。それか冷たいのがいいですか?」
「……ココアで……温かいのでお願い」
「わかりました」
綾人は来客用に入っている籠や戸棚を漁りながら訊くと、注文通りココアの粉末が入った紙袋を取り出しポットに水を入れては沸かす。
そもそもの話、ココアやコーンスープを来客用で出して良いのかどうか、そんなことはわからなければ、彼女が良いと言っているならと準備を続けていく。
マグカップにココアの粉末を入れ、冷蔵庫からは銀紙に包まれたボール形状のチョコをふたつ取り出す。
そして小さなお皿の上にチョコを乗せると、あとはポットが沸くのを待つだけ。
「触ってみる?」
手を洗い、椅子に座り直した彼女を見ては言った。
二階に上がるときもそうだった。彼女が興味ありそうな目でモモを見ていたことに。
ただ興味を示しているのはモモが先のようで、今では彼女の周りを歩き回っては匂いを嗅いでいるようで、時折彼女のことを見上げていた。
「今更ですけどアレルギーあったりします?」
「ううん、アレルギーはない」
「そっか。遠慮しないでいいよ、むしろ撫でてあげて」
モモの姿を見ては笑ってしまう。初対面の相手だろうと、彼女の膝元に前足を置いてはおねだりしていたから。
その姿に最初こそは躊躇いを見せているようだった彼女でも、構ってほしそうなモモを見ていると撫でてあげている。
一度手を止めようとも関係ない。もう少しと言わんばかりに降ろしていた前足を使われると、引っ込めた手をゆっくりと戻していた。
綾人からはモモの表情が見えていない。それでも、幸せそうに目を細めたりしているのだろうと目に浮かび、尻尾を振っている様子を見ればうれしいのは間違いなかった。
対する彼女は優しく撫でてはいるも、まだまだ遠慮気味。
両手でわしゃわしゃするとまでは言わないが、手のひらというよりは指先だけで背中をやさしく撫でてあげている。
表情に関しては──綾人が見すぎていたよう。
たまたま目が合ってしまい邪魔していたのだと気がつくと、モモ用の水も用意したりと綾人は誤魔化した。
少しするとポットが沸いてくれてはマグカップにお湯を入れ、スプーンでかき混ぜる。
チョコといっしょにテーブルに用意してあげれば、彼女の正面に座り彼女も手を止めこちらに向き直った。
「「……」」
さて、と言わんばかりに腰を落とした綾人だったが、視線は彼女へと向けられていなかった。
緊張している。
本当にいきなり。今日どころかつい先ほど出会ったばかりの女の子が、自身の住んでいる家に来るとは誰が想像できようか。
せめて事前に言ってくれれば、今のように慌ててもてなすようなこともなかったのにと思ってしまう。
今でも不安である。家にいらっしゃった方に対し失礼がなかったか、ちゃんと気遣えているのか。先も同様、相手が相手なだけにこれ以上失敗も許されないような気がしていた。
だからこそ、意を決したかのように彼女へと視線を向けると、水を飲んでいるモモへと視線を向けていた彼女はこちらに気づけば向き合ってくれ、自己紹介する流れに。
「初めまして、三原綾人です。で、さっきも撫でてくれてたのがトイプードルのモモです」
「宮代そよいです。急に押し掛ける形になってごめん。あと……いただきます」
「どうぞ」
「……今、中学三年生だよね?」
「そうだけど……宮代さんも?」
彼女がマグカップに口を付け、そっとテーブルに置いてから訊いてみると彼女は頷いた。
「そっか、だから普通に話してたんだね」
「ごめん……嫌だった……?」
「全然。そっちのほうが話しやすいし、自分も普通に話してたから」
綾人は柔らかく微笑むと、先ほどの出会いを踏まえて話を振ってみる。
「筆箱拾ってくれてありがとう。もしかして家まで追いかけてくれた?」
「……偶然だった。流石に三原君だとは思ってなかった」
「じゃあ、驚いたよね?」
彼女がこくりと頷いてみせると、綾人は苦笑する。
訪ねた家から綾人が出て来るとは思ってなかっただろうと。
「俺も驚いた、どうしたのかなって」
「……三原君は……バス、どっから乗ってきたの?」
「……えっと駅のほうから乗ってきたけど」
「……そっか」
「あー、でも元々近くのバス停から乗ろうとはしてたかな。ただ同じ中学の人だったりバスの時間もあって駅に行った感じ。寒い中突っ立ってるのもなあって。今寒くない?」
「大丈夫……」
眉を下げながら答えていた綾人は、自身の服装も差すかのように窓へと視線を向けていた。
今日の最低気温は1℃。受験日となる朝から憂鬱となる曇り空。
寒いし天気は良くないしと、受験生にプレッシャーを与えてくるような天候。雪も降るような一日ともなった。
それにしてもと綾人は思う。彼女がどうしてこの家に訪れてきたのか。
茅島さんに用事があるのはわかっている。そして茅島さんとは綾人の祖父母に当たる人物であり、彼女は祖父母に尋ねてきていてはメモ書きを見ても知り合いといった感じ。
ついでともなれば、恐らくそちら経由で自身の名前を聞いたのかもしれない。
そのことも踏まえ、ほかにも訊きたいことがないわけではない。ただ、自分はコミュ力が高いわけではなければ、質問攻めにするのもどうも違う。
それは彼女がココアを口にしては、チョコへと視線を向ける。
どうぞと言えば、包み紙から取り出し口の中に転がした。
このようにゆっくりしてもらっているにも関わらず、話し掛けすぎるのもなと綾人は一度歯止めをかけておく。
彼女へ対する今の印象、物静かな人といったこともあって。
(もうそろそろ……ちょっと遅いか?)
「あの、話聞いてると思うけど」
「は、はい」
今の時間を待て余すかのように太腿へ乗せたモモと戯れていると、不意に彼女から話し掛けられる。
それも話しているときはあまり目を合わさなかった彼女だが、今はこちらの様子を伺うように視線を向けてきていた。
「…………」
「……いいよ、全然。なんでも聞いてもらって」
「……うん。その、今日──」
『ただいまー!』
綾人が聞き入る体勢に入っていると、彼女の声を遮るようにして玄関からドアの開閉音に加え、元気な声が耳に入ってくる。
それと同時にモモが綾人へ視線を向けると降ろしてもらい、廊下へとつながるドアの前で待機し始めた。
『モモー!』
「ごめん、妹が帰ってきたみたい」
モモが帰りを待ちわびたかのように吠え始めると、元気な声と共に階段を駆け上がって来る音を耳にし、綾人は廊下に繋がるドアを開けてと迎え入れる。
ひとりの人物が先に顔を出すと、元気な声とは対照的に気怠そうな声を発する人物が居間へと現れた。
「ただまー」
「かえり。掃除当番かなんか?」
「違う、歩奈が雪の上踏んだりして遊んでたの。ほんと寒かったから勘弁してほしかった……。あれ? 歩奈……歩奈ー、モモより先にこっち。さっき言ったでしょー」
「はーい」
居間へと顔を出した女の子が廊下でモモと戯れているであろう子に声を掛けると、呼ばれた子はモモを連れながら顔を出した。
先に綾人と話していた子はリュックを椅子の上に降ろせば、上のジャージを脱いでと紺色のセーラー服を覗かせる。
モモを連れてきた元気そうな子は通学帽に赤色のランドセルを背負ったまま現れた。
帰ってきたふたりはそよいへと視線を向け、お姉ちゃんだろう子が妹を自身の横に立たせる。
その前にだろうか。彼女は席を立っていてはふたりに向かい合いお辞儀をした。
「初めまして、宮代そよいです」