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稲倉鶫実①

 休み時間、廊下で稲倉鶫実とばったり会う。鶫実は僕とクラスが違う。


「あ、空井くん、おはよ」


「おはよう、鶫実」


 鶫実もメチャクチャ可愛い。睦姫に引けを取らないくらい美人だと思う。目がぱっちりしているのはもちろんのこと、眉毛とか頬、鼻筋なんかのラインが綺麗で愛らしい。髪も、真っ黒をベッタリと塗ったみたいな、荘厳な深さを湛えている。


 鶫実は辺りを窺いつつ僕に接近してきて、小声になる。「空井くん、睦姫の車に乗ったんだって?下校中に」


 なんだろう。「睦姫のっていうか、奏村さんの車ね。歩いてたら声かけられたから、乗せてもらったよ」


「奏村さん?」


「睦姫の執事さん」

 僕すら知っていることを鶫実は知らないんだろうか?


「ふうん。わたしは奏村さんっていう人のことも知らないし、睦姫の送迎の車に乗せてもらったこともないよ」と鶫実が僕の心を読んだかのように言う。


「僕だって、たまたま歩いてたから停まってもらえただけだよ」


 鶫実は少しだけ考えるようにしてから「空井くん、今、時間ある?」と訊いてくる。


「え、時間? もう次の授業が始まっちゃうけど」


「次の授業なんていいよ。次の授業のことしか頭にないんだったら、時間あるよね」鶫実が僕の手首を掴んで歩き出す。「ちょっと大事な話があるんだ。来て」


「え、え、授業は?」


「サボろ?」


「ええー?」

 鶫実はかなり真面目な女子だったので僕は耳を疑う。そして僕も真面目な方なので、授業をサボるなんて、恐ろしくてできない。


 けど、鶫実に手を引かれてしまったらもう拒絶できない。鶫実が大事だと言うなら、それは間違いなく大事な話なんだろう。鶫実も共犯ならば心強いし、あきらめよう……と僕は鶫実に自身をゆだねる。


 鶫実はまず音楽室へ向かうが、そこは次の授業で使われるみたいで、生徒が既に着席していた。それならばと鶫実は一階まで下り、家庭科室へ僕を連れ込む。ここで僕は何かの話をされるのか……。


 鶫実はすぐ本題に入る。「空井くん、あんまり睦姫と深く関わっちゃダメだよ」


「え」なに?それ。「鶫実、どうしたの?」


「わたしはどうもしないよ。どうかしてるのは睦姫と空井くん」


 僕は心臓が痛くなる。「鶫実、睦姫とケンカでもした?」


「え? ああ……違うよ」微笑む鶫実。「睦姫は友達だよ。ケンカもしないし。そういうのとは関係なく、空井くんに言っておきたいんだよ」


「なんで僕に?」

 なんでというか、何を?だ。睦姫と深く関わるな? それだけでは何が言いたいのかイマイチはっきりしない。


「なんでだと思う?」

 鶫実はイタズラっぽい微笑みを引き続き浮かべている。


「なんでかわかんない」


「答えは、空井くんがあまりにも睦姫の世界に入り込んでいこうとしてるからだよ」


「睦姫の世界? 別に入り込んでないよ」


「入り込んでるよ。睦姫の送迎車に乗ったりさ」


「いや、だからあれは乗せられたんだってば」


「うん。睦姫が乗せたんでしょ? で、空井くんは乗ったんでしょ? 睦姫は空井くんを引き込もうとしてるんだよ」


「僕を、何に……?」


「睦姫の世界に。睦姫の人生に」


「車に乗っただけなのに?」


「あはは。今にわかるよ」鶫実は笑いながらも、トーンが真剣だ。「わたし達と睦姫は、なんだかんだで住む世界が違うんだから、やっぱり深く交わることがあっちゃダメなんだと思う」


「でも、友達だよ?」と僕は言い、あれ?こんな会話、以前にもあったなと思う。悠花と二人で喋ったときだ。悠花は睦姫を友達だと言いきったが、でもきっかけがなかったら友達ではなかったと言ったんだった。まあ当たり前の主張だ。


「友達だよ」と鶫実も認める。「でも、わたし達は睦姫の世界には住めないし、睦姫もわたし達の世界には住めない。友達は友達だけど、どちらかの世界へ引き込もうとするのはダメだと思うんだ」


「僕は引き込まれてないよ。僕なんて、睦姫の世界じゃ生きてけないよ。姿勢も悪いし」


「その気持ちはずっと頭に置いといてね?空井くん」


「…………」


「睦姫の人生の内側にまでわたし達は入っていけないんだから」


「うん……」

 でも、友達であることが既に相手の人生に食い込んでいるとは言えないだろうか。あるいは鶫実はもっと別のことが言いたいんだろうか? もっとディープな部分の話? でも、送迎車ぐらいなら問題なくない?


「睦姫の人生にわたし達は寄り添って歩けないから」


「うん」


「睦姫の価値観とか睦姫の生活スタイルをわたし達が共有することはできない」


「うん」


「いい?」


「わかってるよ」


「残念?」


「え?」


「睦姫といっしょに生きたい?」


「え、それは友達だし……できるだけ仲良くしてたいよ」


「仲良くはできると思うよ、ずっと。でも」


「人生を分かち合うことまではできないんだね?」


 僕が先回りすると、鶫実は頷く。「そだよ。入り込みすぎないでね。心配だから」


「心配?僕のこと」


「心配だよ。空井くんは真っ白なキャンバスみたいに綺麗なんだから」


「え」

 なんか褒められた? 褒められたのかな? ちょっと微妙で判定しにくいけど、悪く言われたわけじゃないもんね? だったらプラスに受け取っていいのかな。「ありがとう……」


「みんな空井くんのこと大好きだからね」


「え、それって……」僕は少し固まってから「睦姫もってこと?」と確認する。「みんなって?」


「みんなはわたし達だよ」と鶫実は笑う。「まあ当たり前だよね。六人しかいない中で、空井くんだけが男の子なんだから。特に睦姫は勘違いしちゃうよね。箱入りお嬢様だし、男の子なんて空井くんしか知らないし」


「ええ……なに?」


「わたしのお願い、聞いてね?空井くん」

 鶫実が自然な雰囲気で歩み寄ってきて、そのまま止まらず、僕にぶつかってきた……かと思いきや、キスをされてしまう。僕は男子としては背が低い方だし、鶫実は女子としては背が低くない方なので、身長差に影響されることなくすんなりキスができてしまう。一瞬すぎて何かを感じる余裕もなく、鶫実の顔が眼前に広がったから、あ、キスだ、とわかったけれど、体は反応できなかった。


 でもキスをされた!という認識だけは明確なので、僕は呆然となってしまう。「鶫実……?」


「約束の印のキスだよ」


「約束で、キス……?」


「指切りげんまんみたいなもんかな」


「…………」


「初めてだった?」


「そ、そんな当たり前だよ」


「わたしもだよ」と、でも鶫実は平淡だ。「気にしなくてもいいよ。約束のキスだから」


「…………」


「じゃあ、教室に戻ろっか」


「え、今さら戻れないよ」

 いつの間にかチャイムも鳴ってしまっているし、授業中の教室へはとてもじゃないが戻れない。だったらこのまま欠席でいい。


「それじゃあ隠れてようか」

 鶫実は家庭科室の床に屈む。僕も少し迷ってから同じように腰を下ろし、お尻は床に着かないようにする。鶫実と意識的に距離を空けて屈んだのに、鶫実は少しだけ僕の方へ移動し、屈みなおす。


 そのあとはほとんど会話がなかったけれど、僕はドキドキしっぱなしだった。唇のひときわ熱い部分は、鶫実が唇で触れてきた箇所なんだろうか。

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