今日と明日の間で。
夕方になり、水族館を後にする一同。
本当は、みんな帰る方向はバラバラだったが、男子はパートナーの女子を最寄り駅まで送り届けることになった。
「じゃあ、また明日な!」
「みんな、気を付けて!あと男子!送り狼になっちゃえ!」
茶髪ギャルの理玖が、男子たちをけしかける。
隣では、短髪男子の修二が笑っていた。
それぞれの帰路に着いてゆくカップルたち。
みんな、理玖と修二に手を振って、電車の駅の中へと入って行った。
理玖の家は、電車ではなくバスによる帰路だ。
帰り道が全く違うはずの修二は、なにごとも無かったかのような顔をして、理玖の隣に並んでいる。
「じゃあ、俺たちも帰ろうぜ!」
「うん。帰ろう」
理玖と修二は、バス停まで歩く。
空では、雨雲の切れ目に、星が瞬き始めていた。
「今日、びっくりだったね~」
「ああ。まさか、ユータ氏とマサト氏が、ダブルで彼女持ちになるとは……」
「でも、本命の雛子たちがまだなんだよね~」
「あそこは、少しのきっかけで、一気に崩れると思うけどな!」
「言えてる!」
ふたりして、バカ笑いをしながら、広い国道の端を歩く。
カップル練習の時間は、もう終わり。
ふたりは、もう手を繋いでいなかった。
「なあ、理玖」
「うん?」
「俺の彼女にならない?」
「ブフッ!」
あまりにもド直球すぎる言葉に、咳込む理玖。
修二は、理玖の背中を優しく撫でる。
「お、おい。だいじょうぶか?」
「ゲホッ、アンタのせいでしょうが!」
「だって、理玖のこと、いいなって思っちまったんだから、しょうがないだろ」
正直なところ、理玖も修二を、彼氏にしても悪くないと思ってはいた。
むしろ、彼氏になって欲しいとも思っていた。
ただ、今の唐突な流れは、恋愛経験の無い理玖には、強烈過ぎるインパクトだった。
修二が、思い立つ。
「あ、もしかして理玖、もう彼氏持ち?」
「い、いや、いないけど……」
「なら、俺のことあんまり好きじゃない?正直に言って」
「す、好きじゃないことないけど……」
「よかったー!じゃあ、脈はある?」
「あ、あります……」
理玖の心臓は、破裂寸前だった。
高速で脈打つ鼓動が、修二にも聞こえてしまいそう。
顔から火が出そうなほど、身体中が熱くなっていた。
「よっしゃ!理玖は今から俺の彼女ね?」
「それがいきなり過ぎるんだってば!」
「だって、モタモタしてて他の男に取られたりしたら、最悪だし。
俺、今までの好きな人、みんなそうだったから」
理玖は、意外な事実に驚く。
この直球男が、思い悩んでいる姿が想像できない。
「俺、中学までは、けっこう優柔不断だったんだよね。
でも、それでいい事なんて何もなかったよ。
みんなの行動が早すぎて、俺だけひとり置いてかれっぱなしでさ。
一日出遅れたら、もう好きな人には別の彼氏が出来てたりしてさ。
だから、即断即決することに決めたんだ。
俺は理玖を、他の男に持って行かれたくない」
修二は、理玖の手を握る。
「理玖。俺の彼女になって」
理玖は、悩む。
修二と付き合いたいかどうかは、それはもう付き合いたいに決まっている。
だが、この場の空気に流されたまま、付き合い始めてもいいのだろうか。
もっと、お互いに関係を深めてから、付き合うべきではないのだろうか。
修二が言う。
少し、寂しそうに笑って。
「無理なら無理って言ってな。
そしたら、理玖の事は諦めるから」
その瞬間、理玖の脳内に、修二の言葉がリフレインする。
『一日出遅れたら、もう好きな人には別の彼氏が出来てたりしてさ』
理玖の心の中の、何かが叫んでいる。
この瞬間を逃したら、次は無いかもしれないと。
そして、修二はそのうち、別の女と付き合うだろう。
チャンスなんて、常に千載一遇。
二度目など、無いかもしれない。
むしろ、一度もチャンスが来ないまま終わることだって、よくあること。
修二は、理玖に手を差し伸べた。
次は、理玖がその手を取る番だ。
理玖は、覚悟を決める。
選んでもらうための、覚悟を。
そして理玖は、深く息を吸い込んだ。
修二の手を、強く握って。
「修二。アタシのこと、大切にしてね?」
★
「辰巳!ボールそっち行ったぞ!」
「OK!」
辰巳に向かって飛んでくる、サッカーボール。
かなりの高速のパスだったが、難なく右足でボールを受け止める辰巳。
梅雨の雨で湿ったグラウンドを、ドリブルで走り抜け、ゴールポストの端へとシュートを決める。
手を伸ばしたキーパーが、微かにボールに触れるが、辰巳の蹴ったボールはそのままゴールネットを揺らした。
サッカー部のマネージャーの女子が、タオルとスポーツドリンクを持って、辰巳に駆け寄る。
マネージャーの女子は、学年で一番かわいい、長い黒髪の少女だ。
辰巳は、スポーツ万能、成績優秀、おまけにイケメンというスクールカーストのトップの存在。
幼馴染の彼女は一応いるが、関係なくモテるのだ。
彼女の風祭雛子は、最近、なにやら怪しげなチャラ男と親しくしている様だが、少し突き放してやれば、どうせ辰巳に泣いて縋り付いてくるだろう。
子供の頃からそうだった。
雛子は、辰巳から離れられないのだ。
しかし今回は、あのチャラ男との距離が必要以上に近い気がする。
今日、水族館でのデート練習とやらで、一杯のソーダを二本のストローでふたり一緒に飲んでいた写真が、グループチャットで出回っているのを見た。
それを思い出し、苛立つ辰巳。
(他の男とべったりしやがって)
これは、おしおきが必要かもしれない。
しばらくの間、雛子から話しかけられても無視しよう。
そうすれば雛子は、誰が本当に大事なのか、思い知ることになるのだ。
頃合いを見計らって、また反応してやれば、涙を流して喜ぶに違いない。
なにせ、雛子は辰巳の事を、子供の頃からずっと愛しているのだから。
★
翌日の月曜日の朝は、クラスの話題は、新しくできたカップルの話題で持ちきりだった。
しかも、二組とも、ギャルとオタク男子という異色の組み合わせ。
金髪ギャルの麗と、眼鏡男子のユータ。
黒髪ギャルのナナミと、目隠れ男子のマサト。
二組のカップルは今、クラスメイトの集団の中心となっていた。
「この組み合わせは、マジで意外だったわー」
「一番付き合いそうな遠野君と風祭さんは、何も無かったんでしょ?」
「ほら、雛子、彼氏いるから。一応」
「ああ、一応ね」
「あ、噂をすれば」
そこに、鞄を持った純が登校してきた。
純が、集団へと声をかける。
「お、やっぱりお前ら、囲まれてるな。
そんな気はしてたけど」
「おはよう、遠野氏」
「おう、おはよう」
ユータとマサトが、手を上げて純と挨拶を交わす。
純も、手を上げて応えた。
クラスのオタク女子たちが、純に詰めかける。
「ちょっと、遠野君。風祭さんと、ホントに何もなかったの?」
その質問に、ドキリとする純。
彼氏持ちの女子に本気の告白をしたなど、言えるわけがない。
なので、純は嘘をついて誤魔化す。
「あるわけないだろ。彼氏持ちと何かあったら問題だぞ」
「えー、チャラ男のくせにー」
「チャラ男って言ったら、寝取りでしょ!」
「寝・取・れ!寝・取・れ!」
「お前ら……!」
本来ならば軽蔑されるはずの行為を、なぜかやたら盛り上がって推奨してくるクラスメイトたち。
こいつらの思考回路はどうなっているのだろうか。
とは言えど、雛子にあれだけ愛を囁いた、純も純だが。
すると、純の背後で物音がした。
雛子の彼氏の辰巳が、登校してきたのだ。
辰巳は、純を一睨みすると、自席へと歩いてゆく。
(あれ?雛子は?)
辰巳は、いつも雛子と一緒に登校してくるはずなのだ。
雛子が辰巳の手を取って。
そして、少しの間を空けて、雛子がひとりで教室に入って来た。
その顔は、涙を流さずに泣いているようだった。
雛子の顔を見た純は、焦燥感に駆られる。
ただごとではない。
何かが起きていると確信する。
純は、雛子へと駆け寄った。
「雛子、どうした?あいつと何かあったのか?」
「……なんでもないよ」
「雛子、こっちきて」
純は、雛子の腕を掴み、教室から連れ出す。
オタク女子たちがそれを見て、黄色い声援を上げる。
辰巳も、何を考えているのかわからない視線で純を睨んでいた。
廊下の端の、柱の陰に雛子を連れてくると、純は雛子の手に触れる。
ふわりと、オレンジの香りがした。
「なんでもないわけないだろ。
いつも彼氏と登校してくるのに」
「うひひ。純には誤魔化せないね」
そう笑う雛子の顔は、苦悶の表情にも見えた。
「なんかね、今日の朝、一緒に登校しようと思って、家まで迎えに行ったけど、無視されちゃった。
登校中でも、何言っても、私がいないみたいに、応えてくれなくて。
だから今日は、ひとりで学校にきたの」
「……は?」
それを聞いた純は、一瞬、頭が真っ白になり、さらに一瞬後、怒りが込み上げてきた。
純が、何を引き換えにしても手に入れたい、雛子の気持ち。
それを無下にする、雛子の彼氏が許せなかった。
純は、雛子の手を取る。
ビクッと反応する、雛子の手。
「純。だめ。今日は、デートの練習でも何でもないよ。浮気になっちゃう」
「じゃあ、今からデートの練習」
雛子の手を、そっと握る純。
やさしく、けれども、逃がさないように。
「雛子、好き」
「……もう、このチャラ男」
赤い頬をして、純を見上げる雛子。
その目には、涙が浮かんでいた。
純は、雛子に顔を近づけて、囁く。
「何度でも言うよ。
俺なら、雛子のこと、絶対に幸せにする」
「うひひ。うれしい。
でもダメ。
私の彼氏は、たっくんだから」
それだけ告げて、雛子は純の脇をすり抜けていく。
教室に戻る雛子の後ろ姿を見て、純はかける言葉が見つからなかった。