今日だけじゃなくて、あしたも、あさっても、その先もずっと。
くらげコーナーのベンチの上で、黒髪に星形の髪留めを付けたギャル、ナナミは、スマートフォンの画面を、隣に座る目隠れ男子に見せた。
「見て、マーくん。麗ちゃんたち、マジカップルになったって」
「えっ?本当ですか!?」
目隠れ男子、マサトは、さらさらの髪の下に隠れた、黒真珠のような目を見開く。
思わずドキリとする、黒髪ギャルのナナミ。
ナナミは実は一年生の頃から、この目隠れ男子がいいなと思っていた。
そこに来ての、水族館デート練習。
本当は、雛子と純のための計画だった。
だけど、マサトが参加すると聞いては、ナナミも参加しない訳にはいかない。
彼の隣は誰にも譲る気は無かった。
(マーくん、きれいな目)
目隠れ男子マサトが、たまに見せる素顔が、ナナミはとても好きだった。
授業中も休み時間も、隙があれば、マサトを見ていたほど。
今だって、くらげの水槽の幻想的なライトに照らされたマサトは、妖しげな魅力を醸し出している。
マサトがナナミに問いかける。
「ナナちゃん。今日って、遠野氏と風祭さんのための計画ですよね?」
「え。そうだけど、マーくん何で知ってるの?」
「いえ、何となく、そうかなって思いまして。
みんな、遠野氏たちをくっつけたがっているように見えたので」
マサトは、細かい所に気が付く人だ。
今日も水族館の中で、暗い通路を通る時は、必ずナナミの手を取って、ゆっくりと先導してくれた。
学校でも、ナナミが何か忘れ物をすると、マサトが何も言わずに、そっと貸してくれる。
「僕も、風祭さんは辰巳君よりも、遠野氏と付き合った方がいいと思ってます。
彼氏の辰巳君は、イケメンでスポーツ万能でモテますが、風祭さんを大切にしていないので」
「だよね。マーくんもそう思うでしょ?」
「はい。遠野氏とは、まともに喋ったのは、おとといからですが、それでも風祭さんを大切にしているのが分かります」
「はぁ~。マジで今カレが邪魔なんだよね。雛子の幸せを阻害してるのはあいつだよ」
「そこは、僕たちで、こっそりとサポートしましょう」
そう言ってマサトは立ち上がり、ナナミの手を取る。
「ナナちゃん。ダイオウイカちゃんソーダ、飲みに行きません?」
「行く~」
ナナミはベンチから跳び上がると、マサトに抱き着いた。
(あ~。今日が終わらなければいいのに)
マサトとずっと、くらげコーナーの暗がりで、身を寄せ合っていたい。
でも、今日が終われば、また他人。
そう思うと、ナナミは涙が出そうになる。
(泣いちゃだめ。重い女だって思われちゃう)
たとえ、ただのクラスメイトに戻ったとしても、マサトに嫌われたくない。
だから、耐えるのだ。
「ナナちゃん」
マサトが、小声でナナミを呼ぶ。
「ナナちゃん。こっちに来てください」
マサトが、ナナミの腰に手を添えて、照明の届かない、くらげコーナーの隅へと誘導した。
「マーくん、どしたの?」
「無理なスキンシップは禁止でしたよね。
どこまでなら大丈夫ですか?」
どこまで。
本当ならば、どこまででもよかった。
それで、マサトの心を縛ることができるなら。
「ア、アタシ、今日はマーくんの彼女なんだから。
マーくんがしたいこと、すればいいよ……」
ナナミがそこまで言うと、その唇が、マサトの唇で塞がれる。
「……んっ」
恋愛経験ゼロのナナミは、初めてのキス。
少しだけ驚いたが、全てを受け入れるナナミ。
長いキスの後、唇を離すマサト。
マサトの黒真珠の目に、ナナミが映る。
「ごめんなさい。したいこと、しちゃいました。
僕、かなりナナちゃんに本気になってて」
すると、ナナミの目から、涙がぽろぽろと溢れ出る。
マサトは、顔を俯かせ、謝った。
「ごめんなさい。僕、最低ですよね」
「ちがうの」
ナナミは、マサトの手を、思い切り握る。
「マーくん。別れたくない。捨てないで」
「え?」
「もう、ただのクラスメイトになんて戻れないよ。
マーくんが他の女と付き合うのとか、想像しただけで無理」
「……ナナちゃん」
「やだ。やだ。お願い。どこにも行かないで」
マサトは、そっとナナミの身体を抱き寄せる。
「ナナちゃん。僕と一緒にいて。
今日だけじゃなくて、あしたも、あさっても、その先もずっと」
「うん。アタシがずっと、そばにいるもん」
マサトはポケットからハンカチを取り出し、ナナミの涙を拭く。
「せっかくのかわいいメイクが落ちちゃったね」
「やだ。見ないで」
ナナミは顔を伏せる。
マサトの前では、一番かわいい自分でいたいのだ。
「マーくん、アタシ、ちょっとメイク直してくるね」
「うん。いってらっしゃい」
ナナミは、マサトに顔を見られないように、手洗いへと駆け込む。
すると、一緒に水族館へ来た、ギャル四人組の一人の、茶髪のギャルの理玖とかち合った。
「えっ?ナナミ?ど、どうしたの?」
「あ、理玖。何でもないよ~」
「泣いてるのに何でもない訳ないでしょ!何かされたの?」
「されたっていうか、してもらったっていうか……」
涙を流しつつも、ニヤニヤと笑いが漏れ出している、ナナミ。
「……うん?」
「アタシにも、マジ彼氏ができちゃいました~」
数秒前とは別の意味で絶句する理玖であった。
★
化粧を直したナナミが理玖を伴って、くらげコーナーへと戻ると、偶然にも今日集まったメンバーが全員集合していた。
金髪ギャルの麗は、眼鏡男子のユータの腕に抱き着いている。
つい先ほどできたばかりのカップルだ。
そして、黒髪ギャルのナナミは、目隠れ男子のマサトの元へと駆け寄り、抱き着いた。
茶髪ギャルの理玖の相方の、短髪男子の修二は、それを見て驚愕していた。
「え?は?ど、どうなってんの?」
混乱する修二の隣に理玖が戻り、肩をすくめる。
「二組目のカップル誕生だってさ」
「えっ!マジかよ!おめでとう!」
素直に祝福する修二。
修二は、とにかくまっすぐな性格だ。
良くも悪くもド直球でおおざっぱだが、そこが好ましいと理玖は思っていた。
(さて、本命のふたりは……)
理玖が、純と雛子を見ると、指と指をからめた、恋人繋ぎで手を繋いでいた。
(お、こっちも進展した?
雛子も、今カレを捨てられるくらいまで行ってるといいけど、どうかな)
理想を言えば、完全にくっついて貰えるのがベストだったが、ある程度の進展具合であれば、良しとしよう。
一旦、お互いを意識さえしてしまえば、もう止められないはずだ。
そこに、金髪ギャルの麗が、彼氏となった眼鏡男子のユータに声をかける。
「あ、ちょうどあと一時間くらいだね!
次、どこ行こっか?」
「ダイオウイカちゃんソーダ飲まない?」
「いいね!賛成!」
黒髪ギャルのナナミと、目隠れ男子のマサトも、その後に続く。
「僕たちも、ダイオウイカちゃんソーダ飲もう」
「うん。行こ~」
短髪男子の修二は、茶髪ギャルの理玖の手を取り、トンネル型水槽へと歩き出す。
「サメ見ようぜ、サメ!」
「あ、見たい見たい!」
そして残された、純と雛子。
「くらげコーナーで、少し休むか?」
「うん。ちょうどベンチもあるし」
ちょうど今は、くらげコーナーの一画。
目の前にはベンチが設置されてあった。
ベンチに座る二人。
手は、恋人繋ぎのままで。
雛子が、ぽつりと呟く。
「今日、楽しかったね」
「ああ。最高にかわいい彼女と一緒だったしな」
「チャラい!」
雛子が、純の胴体をぺしんと叩く。
純は思う。
こんなに幸せな時間が、かつてあっただろうかと。
でも、今日の残りは、あと一時間を切ってしまった。
純は、意を決する。
これから話すことは、いったん口に出せば、後には引き返せない、言葉。
今までの愛の言葉は全て、デートの練習だからと言い訳ができた。
だけれど、ここから先に進むには、決して避けては通れない、本音の部分。
「な、なあ、雛子」
「なぁに?」
純は、心臓が口から飛び出そうなほど、激しく脈打つ胸を抑える。
緊張しすぎて、吐きそうだ。
お腹も痛くなってきた。
しかし、もう一歩を踏み出さなければ、いけないのだ。
純のために。
そして、きっと雛子のために。
「俺、雛子が好きだ。練習とかじゃなくて、本気で」
雛子が、純を見つめる。
マスカラとアイシャドウで彩られた、美しい目で。
「純。だめ。私、彼氏いるから……」
「本当に彼氏のこと、好きなの?付き合ってて、幸せ?」
「……」
「俺なら、雛子のこと、絶対に幸せにする。絶対に」
「……い、今はまだ、だめ。二股になっちゃう」
しかし雛子は、恋人繋ぎをした手を離さない。
「私も、どうすればいいか、わからないの。
純の気持ちはすっごく嬉しいけど、付き合えるかどうかは、まだわかんない」
「それでもいいよ。俺の気持ちは変わらないから。
今日だけじゃなくて、あしたも、あさっても、その先もずっと」
雛子は、純の目を、じっと見つめる。
「純、すき」
その言葉に、ドキリと心臓が跳ねる。
純が、真っ赤な顔で、雛子の耳元で囁いた。
「それは、練習?本気?」
「うひひ。ないしょ」
雛子は、困ったような顔で、笑う。
きっと、雛子の心の中では、様々な種類の葛藤があるのだろう。
彼氏の辰巳とは、人生の大半を一緒に過ごしてきた間柄だ。
もし仮に、愛が消えていたとしても、情は残っているのかもしれない。
純と雛子は、その後の残りの時間、ベンチに座ってお喋りして過ごした。
明日からは、ただのクラスメイトに戻る。
その先があるのかは、今はまだ、だれも分からない。
だから純は、山ほどの愛の言葉を贈った。
今日が終わっても、雛子の心の中には、ずっと残り続けるように。
まるで、雛子の心に、消えない傷跡を、わざと残すかのように。