今日だけは、何が何でも、幸せな一日にしてやる。
「雛子が俺の彼女になってくれて、すんげえ嬉しい。
俺、雛子のこと大好きだから。
世界で一番の幸せ者だ」
純が雛子にチャラ男ムーブをかましていた時、純の内心は、荒れ狂っていた。
(うおおおいっ!
大丈夫か、俺!?
グイグイ行き過ぎじゃねえか!?
これで嫌われたりでもしたら、立ち直れねえぞ!
おふっ。緊張で吐きそう!
お腹痛い!
でもこんなチャンスは二度とないかもしれない!
がんばれ、俺!)
「あ、あう……」
「ほら、練習なんだから、雛子も」
「わ、私も、純のこと、好き……」
(ヤッバ!かわいすぎ!
えっ。なに、ちょっと期待していいの、コレ?
心臓バクバクしすぎて痛い!
ああもう風祭メッチャ好き!
こいつを泣かせた彼氏マジゆるさねえ!)
純の心の中では、様々な感情が大爆発していたのだった。
★
純と雛子は手を繋いで、巨大な水槽を見上げていた。
「エイって、人間よりもデカいんだな」
「背中に乗ったら楽しそうだね」
水槽の中には、給餌係のダイバーが、人間よりも大きな魚たちに群がられていた。
その頭上では、何百もの小さな魚が、ひとつの巨大な群れを形成している。
天井に光る照明が、水面の波に乱反射し、キラキラと輝くオーロラのよう。
純と雛子は、しばしの間、海の中へと思いを馳せる。
「あ。雛子。写真撮らなきゃ」
「そ、そうだった」
雛子が、デコレーションされたスマートフォンを鞄から取り出す。
ちゃんとデートをした証拠に、ところどころで二人が一緒に写っている写真を撮影することが、今日集まったメンバー間の約束だった。
健全な場所で遊んでいたことのアリバイにもなる。
巨大水槽を背景に、雛子はスマートフォンのカメラを起動する。
「純、撮るよ?」
「おう!」
スマートフォンの画面に写る、ピースサインをした純と雛子。
撮影アイコンをタッチすると、シャッター音が鳴る。
「撮れた?」
「うん、バッチリ!」
スマートフォンの画面の中には、頬を赤く染めた、笑顔のふたり。
雛子は、グループチャットで他のメンバーへと写真を送信する。
すると、すぐに他のメンバーの写真も返って来る。
目隠れ男子と黒髪ギャルは、くらげコーナーで顔を寄せ合って撮影した写真。
眼鏡男子と金髪ギャルは、アシカのショーを見ている最中。
短髪男子と茶髪ギャルは、ふたりでひとつのソフトクリームを食べていた。
「純、見て。みんなも上手くいってるみたい」
「おお、いい感じじゃねえか」
スマートフォンを鞄にしまう雛子。
純が広げるパンフレットを覗き見る。
「次、どこ行こっか」
「そうだな……。
あ、あれ飲まない?」
純が指差した先には、ダイオウイカちゃんソーダなるドリンクが売っている。
「え、なにあれ!まさかダイオウイカ味?」
「いや、中身は普通のソーダっぽい。
でも、ダイオウイカの触腕の形のストローが、二つ付いてて、一緒に飲めるやつ」
ドリンク売り場の写真には、カップに描かれたダイオウイカのイラストの腕から伸びたストローが、ひとつのソーダに二本刺さっている。
雛子が、イラストを眺める。
「一つのカップでストロー二つって、アニメでよく見るやつだね」
「うん。一緒に飲もうよ」
「えっ?は、恥ずかしいよ」
「いいじゃん。今しかチャンス無いんだし」
今しかチャンスが無い。
その言葉に、ドキリとする雛子。
きっと、彼氏の辰巳は、ソーダを一緒に飲んでくれないどころか、水族館に来てすらくれないだろう。
純が、雛子の手を、そっと引く。
海をイメージした青いネイルの、やわらかい手を。
「今だけは俺の彼女でしょ?」
「そ、そうだけど……」
「無理強いはしないけど、せっかくだから一緒に飲みたい」
「ん~、もう!このチャラ男!」
「へへっ」
純がドリンク売り場へと向かうと、雛子も一緒に付いて来てくれた。
レジカウンターの隣には、人間大のサイズの、ダイオウイカちゃんソーダのパネルが置いてある。
女性店員が、純に挨拶をする。
「いらっしゃいませー」
「ダイオウイカちゃんソーダひとつください」
「ストローは二本でよろしいですか?」
「もちろん!」
照れた雛子が、純の肩に軽くパンチをする。
女性店員も、それを見て、くすりと笑う。
ダイオウイカちゃんソーダを持って、小さなテーブルを挟んで、向かい合わせに席に座る、純と雛子。
「飲もう飲もう」
「ちょっと恥ずかしいね」
「俺、今、心臓バクバク」
カップから伸びている二つのストローを、それぞれ咥える純と雛子。
すると、鼻先が触れ合いそうなほど、顔が近づく。
傍から見ていると、キスをしていると勘違いされかねないほど。
純は、雛子の顔を、じっと見つめていた。
マスカラでぱっちりと整えられた雛子の大きな目が、照明が反射して煌めいている。
純が、咥えたストローから口を離し、呟いた。
「……雛子」
「なぁに?」
「雛子が、かわいすぎてヤバい」
「チャラい!」
雛子が、純の肩を、またしても軽く殴る。
当然、痛くもなんともない。
その仕草がまた愛しくて、ニヤニヤと笑いが止まらない純。
頬を赤く染めた雛子は、ストローを咥え直し、ダイオウイカちゃんソーダを飲む。
すると、ダイオウイカちゃんソーダの爽やかな味が、口の中に広がった。
「え、なにこれ!美味しい!」
「ん?どれどれ」
純も、改めてダイオウイカちゃんソーダを飲む。
「うおっ!うめえ!」
「でしょっ!?」
「これ、全国展開してもいいくらいじゃないか?」
「コンビニで売って欲しいよね!
これ、みんなに教えてあげよ」
「雛子、写真撮ろうよ」
「うひひ。メッチャ恥ずかしい」
ふたり一緒にストローを咥え、スマートフォンで自撮りをする。
雛子が、『ダイオウイカちゃんソーダ、激うま!』とメッセージを添えて、グループチャットに送信した。
すると、まっさきに黒髪女子からのチャットが返って来る。
黒髪女子と、目隠れ男子が、顔を寄せ合った写真が添付されて。
『まだ、くらげコーナーでお喋り中なう。
ダイオウイカちゃんソーダ、後で絶対飲む』
次に、茶髪女子からの返信。
マンボウの隣に立った短髪男子の写真付きだ。
長身の短髪男子が両手を上げているが、マンボウはさらにそれよりも、一回り大きい。
『雛子たちもいい感じだね!
こっちは、マンボウのデカさにビビってるよ!
マンボウヤバい!』
雛子は、それを見て笑う。
「うひひ。純、見て。マンボウ超大きい」
「え、マンボウってこんなデカいのか?
これ飲んだら見に行こうよ」
「うん、行こう!」
ふたりで一緒に、ストローを咥える純と雛子。
「顔、近くなるよね、これ」
「うん。そう思って買った」
「このチャラ男さんめ。確信犯だ」
しかし、雛子は嫌がっている様子は無い。
純の顔のすぐ目の前には、雛子の顔。
もし、本当に雛子が彼女だったならば、どんなに嬉しいだろうか。
なぜ、自分は雛子の幼馴染に生まれなかったのだろうか。
そう思うと、いつも以上に、雛子の彼氏の辰巳に憎しみが積もる。
ダイオウイカちゃんソーダを半分ほど飲んだころ、純は雛子に、意を決して告げた。
「雛子」
「ん?なぁに?」
「今日だけは、何が何でも、幸せな一日にしてやる」
「うひひ。それじゃ、私がいつも幸せじゃ……。
ない、みたい……。
じゃん……」
目を伏せる雛子。
純は、雛子の手を、そっと握る。
それを、強く握り返してくる雛子。
雛子は、顔を上げると、まっすぐに純を見つめる。
少しだけ涙を浮かべた目で。
「……お願い。今日だけでいいから、幸せに、して?」
「もちろんだ。雛子は世界一かわいい、俺の彼女なんだから」
純は、腹をくくる。
チャラ男と呼ばれても構わない。
勘違い野郎と呼ばれても構わない。
間男と呼ばれても構わない。
今日だけは、全身全霊を持って、雛子を愛するのだ。
「かわいいよ、雛子」
「うひひ。うれしい」
「雛子、だいすき」
「純、私も」
「一生、大切にする」
「私のこと、離さないでね?」
純と雛子は、しばらくの間、手を繋いで、愛を囁き合った。
ぽろりと、雛子の目から涙が落ちる。
今だけの、時間制限ありの、恋。
だが、ふたりの気持ちは繋がってしまった。
明日になれば、また元通りにしなければいけないのに。
明日からは、またただのクラスメイトに戻る。
明日からは、また雛子の彼氏は辰巳なのだ。
雛子は、そうじゃなければいいのにと、思ってしまった。
そう、思ってしまったのだ。
昨日、辰巳に電話口で怒鳴られた時に、茶髪女子から言われたひとことが、脳裏によみがえる。
『あーあ。もう知らない。
雛子の彼氏は、これが最後のチャンスだったってこと、気づいてないね。
雛子も、すぐにわかるよ。いや、すぐに自覚するって言った方がいいかな?』
ああ。
これか。
このことか。
自覚、しちゃったよ。
雛子は、自覚してしまった。
彼氏に抱いている思いは、愛ではないと。
いや、かつては、愛だったのだろう。
しかしそんなものは、とうに枯れ果ててしまったのだ。
現在、辰巳と付き合っている理由は、愛と勘違いしていた、ただの惰性だ。
付き合っているのだから、愛さねばならないと、思い込んでいただけ。
そして今、新たな恋が芽生えてしまった。
もしかしたら、今気が付いただけで、この気持ちは、とっくに育っていたのかもしれない。
純と付き合えれば、きっと幸せな人生を歩めるだろう。
だが、辰巳と別れるのが怖い。
幼馴染だけあって、親同士も知り合いだ。
外堀なんて、最初から埋まっている。
そして、新たな恋愛に踏み込むのが、怖い。
もしかしたら純の愛の言葉も、本当に今だけのつもりなのかもしれない。
辰巳と別れたとしても、純に振られるかもしれないと思うと、胸が苦しくなった。
環境を変化させる、あらゆる要素が、怖い。
人生は、あまりにも不確定。
ハッピーエンドは、確約されてなど、いないのだ。
雛子は、自分の気持ちを振り切るように、スマートフォンの画面を見つめた。
少なくとも、今日だけは夢を見よう。
たとえ純が本気じゃなかったとしても、今日の純からの愛を、この腕いっぱいに受け止めよう。
そして、明日からの現実を生きる糧にするのだ。
雛子は、グループチャットの画面を開く。
最後の一組である、金髪女子たちからのチャットが、一向に来ない。
「返信、こないね」
「何かあったのか?」
すると、金髪女子から、ひとことだけのチャットが送られてきた。
『あの』
そして、一つの写真が送られてきた。
蕩けた笑顔の金髪女子の頬に、眼鏡男子が口づけをしている写真が。
『アタシたち、ガチで付き合うことになりました!』
それを見た純と雛子は、目を丸くする。
そして、二人同時に声を上げた。
「ええええっ!?」