愛してくれない真面目な彼氏よりも、愛してくれるチャラ男の方が絶対にいいでしょ。
風祭雛子は、彼氏の辰巳を追いかけていた。
どんよりとした梅雨の曇り空の下を。
霧雨が降り始めた、コンクリートの上を。
傘も差さず、前髪だけ伸ばしたショートカットの黒髪と、幾つものカラフルなピアスを濡らしながら。
「たっくん!待ってよ!ねえ!」
前を行く、折り畳み傘を差した辰巳の、肩から下げた鞄の肩紐を掴む。
「たっくん、ごめんて!
昨日、遠野君と手を繋いだの、まだ気にしてるんでしょ?
やきもち焼いて欲しかっただけなんだって!
『お前は俺の彼女なんだろ』って、怒って欲しくて!
だって、たっくん、私の事、好きって言ってくれたこと、一回も無いから!
本当に私の事、彼女として見てくれてるのか、不安になっちゃったの!」
辰巳は、雛子に傘も差し出さずに、ただ告げた。
「そんな理由で、他の男と手を繋いだの?」
「そんな理由って……。
私にとっては、何よりも大事なことだよ?
たっくんが、私をどう思ってるのか」
辰巳は、鞄の肩紐を掴んだ雛子の手を振りほどいて、歩き出す。
雛子は、その場に立ったまま、問いかけた。
「たっくん!
私の事、本当に好きなの!?
私たち、付き合ってるんだよね!?
私の事、彼女だって思ってくれてるよね!?
ねえっ!」
辰巳は振り返りもせず、霧雨の中を歩き去って行った。
雛子は、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
★
自宅に帰って来た雛子は、濡れた服を着替えて、雨で落ちかけた化粧を洗い流す。
手に取ったバスタオルで頭を拭きながら、ピアノの置いてある防音室の扉を開けた。
「ただいま~」
防音室の中には、雛子の友人の女子が三人と、アニメ好きの男子が三人と、遠野純だけが残っていた。
「あ、みんな帰っちゃったんだ。
なんか、ごめんね」
すると、純が椅子から立ち上がり、雛子へと歩いて来た。
化粧を落とし、髪を濡らした雛子を、見るに見かねて。
「お前、だいじょうぶか?
傘も差さないで行ったのか?」
「うん。彼氏が差してくれると思って。
でも、ダメだった」
雛子は、へらりと笑う。
いつもの、含み笑いではない。
それはきっと、さみしいときに、する笑い方だ。
純は、そんな笑い方をさせた辰巳に、怒りを覚える。
「……何だよ、それ。
付き合ってくれてる彼女に、する仕打ちじゃねえだろ」
雛子は、目を伏せ、純と顔を合わせない。
オレンジの香りは、雨で落ちてしまった。
「昨日、授業中に、わざと遠野君と手を繋いだでしょ?
あれ、私的には、めちゃくちゃ覚悟した、最終手段だったんだよね。
彼氏には、今まで好きって言って貰ったこと、一回も無いから」
「は?お前ら、付き合ってるんだろ?」
「私はそう思ってるよ。
でも、彼氏の方は、わかんない。
実は、彼氏でも何でもなかったのかも。
付き合ったのも、私から言い出したことだし。
遠野君、巻き込んじゃって、ごめんね。
私にできること、もうあれくらいしか無くて」
そこに、金髪のギャルが、雛子に後ろから抱き着く。
「雛子~!
なんてかわいそうなの!
お部屋でちょっと女子会しよ?」
そう言って、金髪ギャルは、純にウインクをする。
後は任せて。
そう言っているかのように。
そして、ギャル三人組は、雛子を連れて、防音室から出て行く。
その際、三人組は、男子達に手を振って。
男子達も、手を振り返した。
★
雛子の部屋の床に座ったギャルたち。
雛子は、部屋の隅で膝を抱えていた。
茶髪の女子が、雛子に尋ねる。
「で、どーだったの?遠野君を使用した結果の彼氏の反応は」
黒髪に、星形の髪留めを付けた女子が言う。
「遠野君を使用って、なんかやらしい」
金髪の女子が、黒髪の女子にデコピンをした。
「あいたっ」
「アンタは黙ってなさい」
雛子は、膝を抱えたまま、前後にゆらゆらと揺れる。
雨に濡れた、長めの前髪から、雫が落ちた。
「ん~、変わんなかった。
なんかさ、せっかく子供の頃から好きな人と付き合えたと思ったのにさ、告白して一年経ってもさ、キスもしてくれないどころかさ、たっくんから手も繋いでくれないんだよ?
さっきだって、傘に入れてくれないどころか、心配もしてくれなくて。
……私って、何なんだろ」
雛子の目から、ぽつりと涙が一粒流れる。
金髪女子が、猛り狂った。
「そう!それがおかしいって!
大事な彼女じゃないのっ!?
ありえないでしょ!
彼氏大失格よっ!
彼氏って、もっとこう!
彼女を大事にするもんじゃないのっ!?」
黒髪女子が、激怒する金髪女子の主張に口を挟む。
「って言っても、アタシらの中で、恋愛経験あるの、雛子しかいないけどね」
「それは言いっこ無しっ!」
金髪女子が目を尖らせ、黒髪女子にビシッと指を突きつける。
ふと、茶髪女子が呟いた。
「遠野君と付き合っちゃえばいいのに」
茶髪女子以外の少女たちが、動きを止める。
それは、ギャル三人組が、心の中で思っていた事。
むしろ昨日、純にはそう言ってけしかけていたほど。
だけど、雛子の前では、決して口に出してはいけなかった事。
この言葉によって、一組のカップルが破局を迎えるかもしれないのだ。
しかし、茶髪女子は、気にせずに喋り続ける。
確固たる意志を持って。
「遠野君、さっきも雛子のことすごい心配してくれたじゃん?
今カレよりも、きっと雛子を大切にするよ?
愛してくれない真面目な彼氏よりも、愛してくれるチャラ男の方が絶対にいいでしょ」
雛子が、絞り出すように答える。
「そんなの、ダメだよ。浮気になっちゃう」
「だったら、今カレと別れればいいじゃん」
「遠野君、私の事、何とも思ってないかもしれない」
「それは、当たり前でしょ。
そんなに簡単に相手の気持ちが分かるんなら、アタシたちだってとっくに彼氏できてるし。
恋愛経験ゼロなめんな」
「……ホントのこと言うと、他の人と付き合うの、ちょっと怖いんだよ。
子供の頃から、たっくんしか目に入ってなかったから」
すると、金髪女子が、床をドンと叩く。
その目を決意に漲らせて。
「よっしゃ。アタシも腹を決めた。
雛子のために一肌脱ぐわ。
今までは言えなかったけど、雛子アンタ、ここ一ヵ月、遠野君のこと話してる時の方が、彼氏の話をしてるときよりも、楽しそうだったよ」
「えっ?そ、そうだった?」
それを聞いて、雛子の顔が熱くなる。
両手で頬を抑える。
雛子の脳裏には、アニソンをピアノで弾く、チャラ男の横顔が、勝手に浮かんで来た。
黒髪女子が、雛子の部屋に置いてあった、半魚人の王子様のぬいぐるみを抱きかかえながら、文句を言う。
「そりゃそうでしょ。
あの彼氏の話して、楽しくなるわけないし」
「ちょっと!みんな、たっくんのこと悪く言い過ぎ!」
さすがに見かねたのか、彼氏を庇う雛子。
ギャル三人組は、顔を揃えて雛子を茶化す。
「あ、雛子ちょっと元気でた」
「遠野君の話したからだよ、きっと」
「これは恋してますな」
顔を真っ赤にして、三人娘の攻撃に、涙目で抵抗する雛子。
「わ、私には、たっくんがいるから!」
「だから、そいつがダメなんだってば」
「遠野君の事を抜きにしても、今カレとは別れたほうがいいよね~」
「遠野君の事を抜くとか、なんかやらしい」
「アンタは黙ってなさい」
金髪女子が、黒髪女子にデコピンを放つ。
茶髪女子が、雛子に告げる。
「雛子。今から彼氏に電話して」
「な、なんで?」
「明日、今残ってるメンバーで、水族館に行くけど、一緒に来るかって」
「え?明日?私、聞いてないよ?」
「だって、今決めたんだもん。
そんで、遠野君も来ることは、絶対に伝えて」
「と、遠野君だって、来るかどうかまだ分かんないじゃない」
「そんなの、ハッタリよ。ハッタリ。
それより、ほら、電話」
茶髪女子が、床に落ちていた、キラキラにデコレーションされた、雛子のスマートフォンを手に取り、雛子に渡す。
「う、うん……」
戸惑いながらも、辰巳に電話をかける雛子。
数コールの後、辰巳が電話に出る。
「あ、たっくん?」
「なに?」
「あの、明日、コンクールのみんなと、水族館に行くんだけど、一緒に来る?」
「……」
「と、遠野君たちも一緒に来るんだけど、よかったら……」
「行かない!」
そのまま、途切れる通話。
通話終了後の電子音だけが、雛子の部屋に響く。
誰もが、沈黙していた。
雛子は、涙が込み上げてくるのを必死に我慢する。
遊びに誘っただけなのに、なぜ怒鳴られなければいけないのか。
これでは、彼女どころか、知人以下の扱いではないか。
だが、茶髪女子は、笑っていた。
「あーあ。もう知らない。
雛子の彼氏は、これが最後のチャンスだったってこと、気づいてないね」
「え?最後のチャンスって?」
「雛子も、すぐにわかるよ。いや、すぐに自覚するって言った方がいいかな?」
茶髪女子は、黒髪女子が抱いていたぬいぐるみにチョップをしながら、雛子に告げた。
「何もかも、雛子に察して欲しいんだろうね、あの構ってちゃんは。
きっと今回も、雛子の方から『やっぱり行かない』って言いだすのを待ってるよ、いまごろ。
でも、そんなことはしてあげちゃダメ。
雛子の彼氏は、雛子を選ばない事を選んじゃったんだから」
雛子は、少しだけ茫然とする。
(そっか。私は今、たっくんに選ばれなかったんだ)
今までずっと、雛子の方から、辰巳を選んできただけなのだ。
愛を注いではいたが、愛を注がれた事は無かった。
辰巳の本心は、正直に言うと、全く分からない。
もしかすると、辰巳なりに雛子を愛しているのかもしれない。
ただ、少なくとも、愛を感じる行動は、付き合ってからの一年間、一度もされたことが無かった。
金髪女子が立ち上がる。
拳を握りしめて。
その目には、決意を湛えて。
「よし!そうと決まれば善は急げだ!」
★
遠野純と、クラスメイトの男子三人は、風祭の家の防音室の中で、休憩を挟んでいた。
「遠野氏って、風祭さんと付き合ってるの?」
ぶほっと噴き出す純。
「ん、んなわけないだろ。風祭、彼氏いるじゃねえか」
「辰巳君でしょ?でも、全然彼氏っぽい感じじゃないんだよね」
「辰巳君、本当に風祭さんのこと好きなのかなって思うよね」
「そうそう。てっきり、チャラ男の遠野氏が、寝取り済みかと思ってた」
思いを打ち明ける、男子三人。
「俺はチャラ男じゃないし、彼女いたこともない、童貞だ」
「いや、チャラ男なのは間違いないでしょ……」
明るい茶色の、長めの髪に、銀のピアス。
見た目は完全にチャラ男の純。
中身は完全にアニメオタクなのだが。
わいわいと和やかに喋り合う、純を含めた四人。
そこに、雛子を含めた女子四人が、防音室の重いドアを開けて、戻って来る。
金髪の少女が、男子三人組に声をかける。
「お、まだ居てくれたね、男子!」
「さすがに、みんなを放っておいて帰らないよ」
アニオタ男子の一人の、眼鏡をかけた少年が、金髪女子に向かって、にへらと笑う。
金髪の少女は、ほんのり顔を赤くした。
「ア、アンタたち、明日ヒマ?」
「何かやるんなら、時間は取れるけど」
金髪女子が、拳を握りしめ、叫ぶ。
「よし!明日はみんなで水族館に行って、仮想カップルでデートの練習するわよ!
のちのち誤解されないように、クラスのみんなにも、グループチャットでちゃんと事前に報告した上で!
これで完璧ね!」