「遠野君も弾けます!連弾でもいいですか?」(やりやがった!この女!)
あの初めての連弾の日から、一ヵ月が経ち。
放課後は、ほぼ毎日、音楽室で風祭とピアノを弾いた。
隠れオタクたちのアニソン連弾。
風祭ギャル子は、いつもオレンジの香りをさせていた。
一日だけ、オレンジの匂いがしない日があったので、聞いてみたら「今日は彼氏が友達と遊びに行くから会わない」だそうだ。
風祭は愛しい人と会う日だけ、オレンジの香りをつけるのだ。
ある日、音楽の授業中。
夏休みが終わってすぐの頃に、クラス対抗の音楽コンクールがやって来る。
そんな中、音楽担当の男性教師が、クラス全員に聞いた。
「そういえば、誰か楽器弾ける奴いないのか?」
我が校の音楽コンクールは、基本的には合唱で参加する。
しかし、楽器が弾ける生徒は、演奏をするのだ。
純は、手を上げない。
この音楽教師に、音楽室のピアノを弾かせてもらえるように許可を貰ったので、純がピアノに触れていることは、この教師も知っているはずだ。
だが、まだ始めたばかりの初心者だと思われているのだろう。
音楽教師からは、特に突っ込まれなかった。
そもそも純のピアノは、人に聴かせる類のものでもなかったし、弾ける曲は全てアニソンだ。
晒し物になるのは嫌だったので、その他大勢の中に溶け込むことにした。
だが、クラスの中で、一人、手を上げる者がいた。
風祭ギャル子さんだ。
周りの女子たちが、驚きと共に風祭に尋ねる。
「えっ?雛子、ピアノ弾けるの?」
「うひひ……、実は弾けるのです!」
照れ笑いをしながら、立ち上がる風祭。
雛子というのは、風祭の下の名前。
同じクラスの、風祭の彼氏も、怪訝な顔をしている。
しかし、立ち上がった風祭は、ピアノには向かわず。
純を見つめていた。
そして、こちらへと歩きだす。
嫌な予感がする。
(ま、まさか……)
クラスメイトの隙間を縫って、歩いてくる風祭。
まるで、死刑を執行する処刑人のよう。
純の目の前まで来ると、仁王立ちをして。
満面の笑顔でクラス中に響き渡るように、叫ぶ。
「遠野君も弾けます!連弾でもいいですか?」
(やりやがった!この女!)
純の秘密。
重度のアニメオタク。
アニメソングしか弾けないピアノ。
それが今、暴かれようとしている。
クラスメイトに知られたら、嫌だ。
誰にも知られず、ひっそりと人生を楽しんでいたいだけなのだ。
しかし、無情にも教師は純を指名する。
「なんだ、遠野、初心者じゃかったのか。じゃあ、連弾してみろ」
目の前で、ニヤニヤとしている風祭。
動けない純。
こうなったら「ピアノなんか弾けないです」と嘘をついて逃れようか。
しかし。
風祭は、座って硬直している純の手を取る。
(えっ?)
純の耳元で囁く風祭。
「遠野君。観念しなさい」
耳に付けたカラフルなピアスが、眩しい。
首元からは、オレンジの匂い。
純の心臓の鼓動が大きくなる。
「お、お前……。彼氏が見てるぞ」
風祭の彼氏が、こちらを睨んでいた。
それはそうだろう。
自分の彼女が、クラスのチャラい男子の手を握り、顔を近づけて内緒話をしているのだ。
「やきもち、焼いて欲しいから、わざとだよ」
「……俺をダシに使うなよ」
純は、逡巡する。
クラスメイトのみんなが、純に注目している。
既に、実は弾けません、と言える空気ではなくなっていた。
これ以上黙っていると、逆に変な期待感を持たせて、ハードルを上げてしまう。
(俺のピアノは、お前と違って、速いだけで大した腕じゃねえんだよ!)
ならば、もうさっさと済ませてしまおう。
オタクだとばれてしまうが、ここまで来たらもう隠し通せない。
ならば、思いっきり公言してしまおう。
「わかったよ。行くから」
「うん!」
元気に返事をする風祭。
しかし、握った手は放してくれない。
そのまま、ピアノまで引っ張って行かれる純。
純は、恋愛とはかけ離れた意味でもドキドキする。
彼氏よ、頼むから俺を恨まないでくれ。
全部、お前の彼女が悪いんだ。
純は。
ため息をひとつ。
深呼吸をひとつ。
風祭に、伺う。
「いつもの曲でいいか?」
「うん!遠野君、クラシックとか弾けないでしょ?」
「むり」
風祭が、ピアノの左側の低音の場所へと座る。
純の座る場所は、右側の高音の部分だ。
純が、小声でつぶやく。
「最高速度で弾いてやる」
「うげっ。お手柔らかに!」
純は、鍵盤の真上で、両手の指を広げて構える。
今、大ヒットしているアニメのオープニング曲。
この曲は、出だしだけはバラード調だ。
純は、ゆったりと、軽やかに鍵盤を叩く。
始まりの、バラード。
だが、最初のバラードが終わると、すぐに高速の演奏に移行する。
一気にスピードが上がる。
ここからが、純の見せどころ。
純の特技である、速弾きである。
プリモの純。
右手は主旋律を弾き。
左手は伴奏を弾く。
純の両手の全ての指が、高速で回る。
クラス全員が、固唾を飲んで見守っている。
速い。速い。
鍵盤を叩く、指の嵐。
そこに、風祭の演奏が入る。
風祭は、額から汗を流し、必死で追いつこうとしていた。
(追いつかせねえよ!)
本来は連弾とは、二人で息を合わせ、協力して弾くもの。
しかし、純と風祭は、まるで競い合うかのように、両者とも激しく音を奏でる。
だが、不思議なことに、二人の息はぴったりと合っていた。
相手を蹴落とそうとするかのような演奏の合間に、ところどころ助け合いが入っている。
純が左を見ると、しなやかな指先がハイスピードで鍵盤を叩いている。
その指の爪は、この前は桜色だったが、今は深い青に塗られていた。
クラスメイトたちは、目を皿のように丸くしていた。
派手な見た目のチャラ男が、アニソンをピアノで弾いているのだ。
しかも、異常な技術と熱意を持って。
その熱に当てられて、微動だにできないクラスメイトたち。
高速の連弾が、合わさる。
二人の音が、大波のようにクラス全体を包む。
そして、最後の弾き終わり。
ラストの一音を、二人して力強く叩いた。
静まる一同。
だれも、しゃべらない。
そこに、音楽教師の一声。
「いいじゃねえかっ!」
途端、クラスの半数ほどから、音割れするような、大きな拍手が鳴る。
純は、ピアノの前で、ぐったりしていた。
「つ、疲れた……」
風祭はクラスメイトのギャル友達たちにダブルピースで舌を出している。
音楽教師は、純の間近まで歩いてきた。
「音楽コンクールの伴奏、お前らに決まり。他の奴らが歌うから」
「でも俺、アニメの曲しか知らないですよ?」
「ええ……?お前、趣味が見た目に全然合ってないのな……」
そう、外見がチャラ男な純には、ピアノにアニメと、見た目と趣味が合っていないのだ。
「でも、いいんじゃないか?今の曲なら、だいたいの奴が知ってるだろ」
「まあ、そうだと思いますけど」
「じゃあ、やれるな」
音楽教師は、強引に決めてしまった。そして、クラスのみんなへと向き直る。
「ああ、もし歌いたくない奴いたら、棄権していいぞ。その場合は、通信簿は3な」
音楽コンクールの練習は、基本は放課後だ。
すると、何人かが棄権の意思を示した。
放課後は、部活に専念したい者。
曲が気に入らない者。
人前で歌をうたうのが、どうしても嫌な者。
塾などの予定がある者。
そもそも、音楽なぞ興味が無い者。
しかし、結果として、クラスの三分の二が残った。
こんなに残るとは思っていなかったのだ。
男子の何人かが、ピアノ前でぐったりしている純に声をかける。
「と、遠野君。アニメ、好きなの?」
「うん。好きだよ。重度のアニオタです」
「その見た目じゃわかんないって!」
男子たちが、和やかに話しかけてきた。
授業中だというのにお喋りをしている純たち。
音楽教師はそれを止めもせずに、何かを考えこんでいた。
マニアックな話で、ピアノの周りは一気に盛り上がる。
純は、アニメ趣味がばれるのを、極端に恐れていた。
だが、実際に知られたところ、アニメ趣味の仲間が出来てしまった。
こんなことなら、今まで苦労して隠してきたのはなんだったのか。
もちろん、クラスの中には、アニメ趣味を気持ち悪いと思っている人間もいるだろう。
音楽コンクールを棄権したメンバーにも、純に対し、不快な目線を無遠慮に送っている者もいる。
だがそれは、そいつの心の中の問題なので、純が気にすることではない。
逆に、クラスの半分以上が、純を受け入れてくれたことに、驚く。
認められた。
受け入れられた。
こんな俺を。
ふと、目の奥が熱くなる。
目頭から、ぽろりと、一つの雫。
誰にもばれないように、こっそりと制服の袖で拭った。
だが、すぐ近くにいた風祭は、純を見てニヤついていた。
たぶん、今の涙が見られたのだろう。
その視線を振り切る。
音楽教師が、純に話しかける。
「遠野。お前、あれだけ速弾きできるなら、思いっきり速く弾かせてやる」
「え?でもそれじゃあ、みんなの音楽がついて来れないんじゃ……」
「テンポは速くしないで、密度を上げる。僕が楽譜書く」
なんだか、話が急速に進んで行く気がする。
ピアノが趣味とバレて。
アニメが趣味とバレて。
速弾きが得意技で。
まさか、人前で演奏することになるとは。
演奏を人に聴かせたことのない純は、技術面よりも精神面が心配であった。
ミスったらどうしよう。
上手く弾けなかったらどうしよう。
びくついていた純の背中を、風祭が思い切り叩いた。
「イエーイ!遠野君ひっぱり出し作戦、大成功っ!」
衝撃に、咳込む純。
こいつだ。全ての元凶がこいつだ。
後ろを振り向き、風祭をじろりと睨む純。
だが、風祭はニコニコと笑顔でいるばかり。
恨み事でも言ってやろうかと思っていたが、その笑顔に毒気を抜かれてしまった。
風祭は、彼氏の元へと駆け寄る。
「ねえねえ!どうだったぁ?私の演奏っ!」
「あ、ああ、いいと、おもう……」
「本当?うひひ……」
たぶん、風祭は彼氏に、純粋に褒めてもらいたかったのだろう。
彼氏の反応は、何だか歯切れが悪かった。
彼氏の隣で、風祭が手を振って叫ぶ。
「がんばろーねっ!遠野君っ!」
オレンジの香りが、ふわりと舞った。