なってやるよ!チャラ男に!
火曜日の放課後は、コンクールの練習は無しにしてもらった。
風祭家の都合が悪いということにして。
純と雛子は、学校の屋上で、どんよりとした曇り空を眺めていた。
「来るかなぁ。たっくん」
「来なかったら別れるって、チャットで送ったんだろ?」
「うん」
「じゃあ、来なかったら来なかったで、いいんじゃないか?」
「そっか」
雛子は今日、辰巳と付き合ってから初めて、辰巳のためのオレンジの香水をつけていなかった。
雛子の瞳は、怒りも悲しみも、虚しさも解放感も、あらゆる思いが混ざった、純粋な黒だった。
すると、錆びた音と共に、屋上のドアが開く。
そこからは、純よりもずっと格好のいい、イケメンがいた。
辰巳だ。
純は、辰巳に勝てるものなど、何も無かった。
辰巳は、スポーツ万能、成績優秀、眉目秀麗の色男。
改めて見ると、さぞかしモテるだろうな、と思う。
辰巳が、純を見ると詰問する。
「おい、チャラ男。なんでお前がここに居るんだ」
「居たいからだ」
「僕は雛子と話がある。ちょっと出てってくれないか」
「いやだ」
辰巳の目つきが鋭くなる。
「雛子は僕の彼女だ。お前は無関係だろ」
「関係大ありなんだよ」
純は、凶暴な笑みを浮かべ、辰巳に告げる。
「どっちかっていうと、お前の方が、これから無関係になるんだけどな」
「……何?」
純は、雛子を見た。
雛子は、決意する。
そして、その決意を言葉に乗せて。
「私、たっくんと別れる」
辰巳は、溜息を吐くと、雛子へと向かう。
「わかったわかった。
僕が無視してたから、拗ねてるんだろ?」
そして、雛子の腕を取ろうとする。
だが、雛子へと伸ばした辰巳の手首は、純に掴まれる。
純は、あらんかぎりの力で、辰巳の手首を握りしめた。
不快な視線を純へと送る、辰巳。
「なんなんだお前、さっきから」
「そりゃあ、こっちのセリフだ。元カレさんよぉ」
雛子が、無表情に辰巳を見つめる。
「……たっくん、私の事無視してたの、やっぱりわざとだったんだ」
「そんなことはどうでもいいだろ。ほら、帰るぞ」
「別れるって言ったでしょ?たっくんは、もう彼氏じゃない」
辰巳は、自分の手首を掴む、チャラ男を見る。
「それで、こいつに乗り換えるのか?」
「さあ」
「こいつのどこがいいんだ?
何もかも、僕の方が優れてるだろう!」
頭に血が上った辰巳は、純の手を思い切り振り払う。
腕力も、純より辰巳の方が上だった。
その勢いの強さに、よろめいて倒れる純。
雨の名残の水たまりに、尻もちをつく。
制服のズボンが、びしょ濡れになった。
「純!」
倒れた純に駆け寄る雛子。
辰巳が、倒れた純と、それを支える雛子に叫ぶ。
「こんな奴の!どこが!僕よりいいっていうんだ!」
ヒステリックに喚き散らす辰巳。
「僕の方が!成績も!スポーツも!見た目だって!上なのに!」
雛子が、悲痛な表情で、純の身体を起こそうとする。
その時、純の声が聞こえた。
「ぷっ。ふふっ」
水たまりに倒れ込んだまま、笑う純。
それを怪訝な顔で見下ろす、辰巳。
純は、辰巳に告げる。
「あのな。
元カレさんに、いいこと教えてやるよ。
きっと、アンタが知らない、雛子の顔だ」
「な、なんだ」
水たまりから、のそりと立ち上がる純。
濡れたズボンとブレザーから、雨水が滴っている。
「いいか。よく聞け」
純は、ニヤリと笑う。
「ダイオウイカちゃんソーダを飲んでる雛子、メチャメチャかわいい」
「……は?」
拍子抜けした声を上げる辰巳。
雛子も、唖然とした表情で純を見る。
純の声は止まらない。
「マスカラとアイシャドウが、すっげぇ似合う」
「な、何を言って……?」
「ピアスもな、水族館の照明に当たると、最高にきれいだぞ」
「意味が、わから……」
「私服の雛子を見た時は、天使かと思ったね。
ああ、もちろん制服の雛子も可愛すぎてヤバいけど」
「だから、意味がわかんねえんだよおっ!」
雛子が、純の腕を抱きしめる。
その目からは、涙が零れ落ちていた。
「アンタ、雛子のネイル、見てなかっただろ」
「ネイル?爪が何だって言うんだ」
「何にも知らない元カレさんに教えてやるよ。
五月は、桜の花びらの入ったピンクだ」
「そ、それがなんだ」
「六月に入ってからはなぁ。
海の青だ。初夏らしくって俺は好きだった」
雛子は、純の腕にしがみついて、ぼろぼろと泣いていた。
「それで、昨日からは!
アンタのための、ひまわりの黄色だ!
これからは俺のための黄色にしてやるけどな!」
「ネイルなんてどうだっていいだろうがぁ!」
「どうでもよくねえんだよ!この馬鹿野郎!」
怒りの声をぶつけあう、純と辰巳。
純の手は、雛子の手を握って離さない。
辰巳は、頭を掻いて、雛子に言葉をかける。
「わかったわかった。ほら、謝るから行くぞ、雛子」
「ア、アンタはもう、彼氏じゃない……!
気安く呼ばないで……!」
「いい加減にしないと僕も怒るぞ?」
辰巳は、別れ話が冗談の類だと、未だ思っている様だ。
純は、決意する。
(コイツを雛子から引き剥がすには、これじゃダメだ。
もっと、強力な一言じゃないと)
純は、口元だけで笑う。
(だったらよぉ。
なってやるよ!チャラ男に!
遠野純、一世一代のチャラ男ムーブだ!)
純は、乱暴に雛子の肩を抱きよせる。
そして、辰巳に宣告する。
「まだわかんねえかなぁ。
雛子はもう、とっくに俺のものだってこと」
「……は?」
「じゅ、純?何を……」
「雛子の初めての相手は俺だってことだよ!この童貞野郎!」
(初めての、アニソン連弾の相手だけどな!)
それを聞いた辰巳は、動揺を隠せない。
「……え?……は?」
畳みかける純。
「いやぁ、今でも思い出せるぜ?
放課後の第二音楽室で。
初めてなのに、雛子、積極的でさぁ。
いい音で鳴いてくれて。
アンタにも聴かせてやりたかったなあ」
そう、今でも鮮明に思い出せる。
半ば強引に、雛子が連弾に誘ってきたことも。
桜色の爪が奏でる、優しいピアノの音色も。
初めて嗅いだ、オレンジの香りも。
辰巳は、宙に手を伸ばす。
「う、うそだろ?ひなこ……」
雛子は、純の身体にしがみついたまま。
そして、今の言葉で純の意図が通じたようだ。
雛子も辰巳に、鋭い言葉をぶつける。
「……うそじゃないよ。
私の初めての相手、純。
だから、たっくんが入る隙間は、もう無いの」
顔を赤らめて、伏せる雛子。
まるで、本当に純と肉体関係があるかのように。
女はみんな、女優だと、純は思う。
純の背中は、冷や汗でびっしょりだ。
だが、ここが正念場だ。
「その後も、毎日のように演りまくってんの、俺ら。
雛子はもう、とっくに俺無しじゃダメな身体なんだよ!」
毎日のように、演奏していたアニソン連弾。
夕方の第二音楽室で。
うひひと笑う雛子の顔は、いつだって純の心の中に。
「最近だと、すげえマニアックな演奏も喜んでやるようになったんだよ!
『プリモ』も『セカンド』も開発済みだ!」
雛子は、辰巳を、涙の跡の残った、上目遣いで見る。
それは、とても色っぽく。
「もうわかったでしょ?
私、もう純の相方なの」
顔面を蒼白にしている辰巳。
「そ、そんな……。
嘘だ……。
嘘だって言えよ!」
雛子は、ただひとこと、辰巳に告げる。
「アンタはもう、私の彼氏でも何でもない」
蒼白になっていた辰巳の顔面が、今度は怒りで真っ赤に燃え上がる。
「お、おまえ……!
よくもっ!
よくも雛子をっ!」
サッカー部で鍛えられた俊足で、一瞬で純へと肉迫する辰巳。
そして、純の顔面を拳で撃ち抜いた。
鼻血を噴き出し、再び屋上の水たまりへと倒れ込む純。
「がふっ!」
「純っ!」
倒れた純へと駆け寄ろうとする雛子。
だが、辰巳が雛子の腕を掴む。
「痛いっ!離して!」
「い、いやだ!
あんなチャラ男に汚されたなんて、認めない!」
そして、雛子を乱暴に押し倒す辰巳。
水たまりで濡れた雛子のシャツが透けて、黄色い下着が見える。
「い、今からでも遅くない!
僕の!僕のものになれっ!」
「いやあっ!」
ベルトを外して、ズボンを膝まで脱ぐ辰巳。
雛子は、辰巳の身体を蹴り飛ばして抵抗する。
その時、辰巳の胴体を掴む腕があった。
鼻血を出した純だ。
「雛子から……!
離れろおおおっ!」
そのまま、雛子から辰巳を、引きはがす純。
一旦、雛子との距離を取らせたが、辰巳の鍛え抜かれた肉体は、純の腕力程度では倒れない。
脱ぎかけたズボンを再び上げて、笑う辰巳。
「はははっ!弱いな!
こんな奴に初めてを捧げたとか、ふざけんなよ!」
雛子の前で、辰巳に立ちはだかる純
純は振り向いて、雛子に笑いかける。
「心配すんな。絶対に助けるから」
純は、辰巳と対峙する。
「雑魚が!僕に適うと思ってんのか!」
辰巳は、純の腹を思い切り蹴り上げる。
「ぐぼぇっ!」
そのまま、純の頬を何度も殴った。
「お前が!雛子を!
雛子は僕のものだったのに!よくもっ!」
純は、殴られ続け、ふらつく頭で、何とか意識を保つ。
ここで絶対に倒れる訳には行かないのだ。
命を懸けても、雛子を守るのだ。
「ひ、なこ……。だいじょうぶ、だから……」
腫れあがった顔面で、辰巳を睨みつける純。
雛子は、辰巳の左右からどうにか逃げ出せないかと隙を伺ってはいるものの、辰巳が機敏に動き、雛子の行く手を阻む。
そして、さらに一撃、ボディブローが純の腹へと入った。
「がはぁっ!」
それでも、純は倒れない。
顔も身体も、どこもかしこも、打撲による内出血で青くなっていた。
「ひなこ……。おれが、いるから……」
血の混じった唾が、口元から垂れる。
辰巳が、純へ告げた。
「これで終わりだ!
雛子の身体は、僕が染め直してやる!」
辰巳は、右腕を振りかぶる。
それと同時に、純は覚悟を決めた。
辰巳の頸動脈を噛み切ってでも、雛子を助ける。
純の口が、辰巳の首筋を狙う。
すると、屋上の出入り口から、ひょっこりと顔を出した人間がいた。
眼鏡男子のユータだ。
純は、ユータに気づくと、激痛の中で声を出す。
「ユ、ユーくん……!誰か、呼んで来て……!」
ユータはそのまま、すたすたと辰巳の元へと歩いてゆく。
辰巳は、怪訝そうな顔で、眼鏡をかけたユータを見る。
「なんだ?オタク眼鏡じゃないか。とっとと消えろ」
しかし、ユータは歩みを止めない。
辰巳は、一瞬で頭に血が昇る。
「痛い目に合わないと分かんないのか!?」
辰巳はユータに、パンチを放つ。
だが、ユータはそのパンチを軽々と避けると、辰巳の顎を狙って、鋭いワンツーを食らわせた。
「あ、がっ……」
ふらりと、よろける辰巳。
ユータは、さらに一歩踏み込み、強烈なアッパーカットを辰巳の顔面に叩き込む。
「ぶふぅっ!」
そのまま気絶し、屋上の水たまりに盛大に倒れる、辰巳。
純も雛子も、唖然としていた。
「ユーくん……?」
ユータは、純に笑いかけた。
「遠野氏、遅くなってごめん」
すると、屋上の出入り口から、ばたばたと騒々しい足音がした。
ユータの彼女の麗と、二組のカップルたち。
麗が、純と雛子に叫ぶ。
「雛子!遠野君!だいじょうぶ!?」
純が、腫れた顔面で、問いかける。
「え?みんな?どうして……」
短髪男子の修二が、屋上の一画に歩いてゆくと、何かを拾い上げた。
小型の防水スマートフォンだ。
修二は、肩で息をしながら、純に説明する。
「これで、リアルタイム動画を撮ってて、みんなで見守ってたんだ。
でも、辰巳のやつ、まさかあんな強硬手段に出るなんて思わなくて……。
ユータ氏が、速攻で飛び出していったから……。
ユータ氏、足速すぎ……」
黒髪ギャルのナナミが、ジャージの上着を雛子に着せる。
「雛子、だいじょうぶ?……じゃないよね」
「ううん。だいじょうぶ。純が守ってくれたから」
純に笑いかける雛子。
純も、ボコボコになった顔面で、雛子に笑い返す。
そして、その向こう側では、麗が金髪を靡かせて、ユータに抱き着いていた。
「ユーくん!かっこよすぎ!ヤバい!」
純は、一安心すると、急に足が震えて立てなくなってしまった。
その場でしゃがみこむ純。
水たまりに倒れている辰巳を見て思う。
(こいつは一体、何がしたかったんだろうな)
雛子が好きならば、ちゃんと好きと言って大事にすれば良かっただけなのに。
(あ、そっか。
こいつは別に、雛子の事を好きじゃなかったんだ。
雛子に好かれてる自分に酔ってただけなんだ)
そして、無駄に高くなってしまったプライド。
今、雛子を襲ったのも、雛子を好きだからではなく、自分より下等なはずのチャラ男に先を越されたことがムカついただけなのだろう。
横を見ると、雛子に抱き着いて泣いているナナミ。
とりあえず、一件落着と言ったところか。
背の高い短髪男子の修二が、純に手を差し伸べる。
「遠野氏、立てるか?」
「がんばる」
純は、修二の手を借り、よろよろと立ち上がる。
修二がスマートフォンの画面を見せながら言った。
「証拠は全て撮影してあるからな。
遠野氏への暴行と、強姦未遂。
この学校どころか、この町に居られなくしてやる」
そういえば、修二は法学部志望だったと思い出す。
オタク男子三人組の中でも、ダントツで成績がいいのは修二だ。
偏差値の高い我が校でも、テスト結果は常に最上位をキープしている修二。
心強い味方がいて助かる。
すると、純の手を誰かが握った。
横を見ると、ジャージを羽織った雛子。
「帰ろ、純。
傷の手当てもしなきゃだし」
「ああ、そうだな。雛子も着替えなきゃ、風邪ひいちまう」
マサトがガムテープで、辰巳をぐるぐる巻きにして捕縛している。
それをナナミが蹴り上げたのが、純と雛子の目の端に映った。
「うひひっ」
いつもの雛子の笑い声が、屋上に響いた。




