3話 ブレイブソウルと状態異常
すっかり見た目が変わってしまった鍋の蓋もとい白く輝く盾を手にしたまま、私は驚きのあまり棒立ちになっていた。この演出は間違いない。レクシーはブレイブソウルの持ち主だ。
ゲームのタイトルにもなっている「ブレイブソウル」とは、限られた者だけが使える特別な力のことで、闇霧を吸ったものを倒す唯一の力とされている。公式ガイドブックには、『強い思いや願いをもつ者の魂が、自身の思い入れのあるものと共鳴して特別な力をもって具現化する』と書いてあった。物語に登場する主要メンバーや敵勢力などはブレイブソウルの持ち主だったが、まさか食事処NPCもそうだったとは…。
ボツになってしまったけれど、実は初期の設定ではレクシーもブレイブソウルの持ち主だった、とかだったら面白いんだけど、もしかしてそうだったのかなぁ。追加エピソードで、レクシーが食材探しの旅に出て、ブレイブソウルをガンガン使って、モンスターを料理しまくるお話とかあったら、絶対やってみたかったなぁ!いいなぁ、楽しそうだなぁ!
「まだ動くぞ!」
町の人の緊迫した声にハッと我に返る。ハイエナもどき達は、吹き飛ばされた痛みに震えながらも、こちらに向かって唸り声を上げながら突進してきた。それを認識したが早いか、私の体が自然と動き出した。
頭で考えて動く感覚とは違う。胸の辺りが温かく、熱く、それこそ魂がそうさせているような感覚だった。盾を構え直し、胸に浮かんだ言葉を紡ぐ。
「グランシールド!」
次の瞬間、私を中心として光り輝く楕円形のドームが出現した。こちらに向かって突進していたハイエナもどき達は、その勢いのままドームにぶつかり、再び弾き飛ばされた。そしてそのまま地面に倒れ、二度と起き上がることはなかった。
しん、と辺りが一瞬静まり返った後、湧き上がるように歓声が起こった。そこでやっと、ハイエナもどき達を倒したことを実感した。安堵から、いつの間にか強張っていた体から力が抜ける。大きく一つ、息を吐いた。
誰も怪我をしなかった…。ああ、よかった…。
すると、盾が再び強く光り始め、徐々に姿を変え始めた。自分の身の丈を超える大きさだったそれは、どんどん小さくなり、光が収まる頃には、もとの木製の鍋の蓋に戻っていた。その一連の光景に感動して体が震えた。
うわあぁぁ…!ゲームで見た演出そのままだ…!まさか体験できるなんて…夢みたいだ…!と、感動に打ち震えながら、鍋の蓋を凝視していると、肩に優しく手が置かれた。
「大丈夫か?体が震えている…」
振り返るより先に、推しが心配そうな顔をしてこちらを覗き込んできた。サラリとした金髪が揺れ、澄んだ青い瞳と目が合った。驚きと感動で思わず、ワーオ!!と叫びそうになったが、喉元に留めてグッと堪える。押し黙ったままの私に、推しもといウィルベルトは悲しげな表情を浮かべた。
「本当にすまない。助けるつもりが、逆に助けられた。それに、怖い思いをさせてしまった。ぼくの力が及ばないばかりに…」
ぼく!?一人称がぼく!!本編登場時のウィルベルトの一人称は『俺』だったけど、幼少期はぼくだったんだ!!ひぇ〜…なんてこと…。尊い…ありがとう…。
落ち着いたばかりの震えが再び始まろうとしたが、ウィルベルトがしょんぼりと肩を落とす姿に我に返った。感動と緊張で舌をもつれさせながら、慌てて言葉を紡ぐ。
「そっ、そんなことないよ!ウィルベルトが助けてくれたから、死なずに済んだんだよ!助けてくれて、本当にありがとう!私は全然大丈夫!」
「ああ、それならよかった…。…あれ?ぼくは君に名を告げたかな?」
その言葉にじわりと汗が浮かんだ。
(しっ…しまった!生前の知識でウィルベルトの名前を呼んじゃったけど、お互い自己紹介もまだだった…!というか、ウィルベルトは貴族だったよね。町民のレクシーがいきなり呼び捨てでタメ口はまずかったかもしれない…。いや、子ども同士ということで、ギリギリセーフかな!?いや…アウト…かな…。)
この場をなんとかしなければと、思考を巡らせながら口を開こうとして、俯いた視線をウィルベルトに戻した。その時だった。
「………え」
ウィルベルトのステータスが見えた。その途端、私は驚きのあまりヒュッと息を呑んだ。なんだこれは。なんだこの状態異常は。
ウィルベルトの体力バーの下に、おびただしい数の状態異常が付与されている。『疲労:永続』『眩暈:永続』『風邪:永続』『麻痺:小』『毒:小』……これだけじゃない。『移動速度低下』『攻撃力低下』『防御力低下』『呪文詠唱速度低下』……この辺りなんかは、もはや体質とかではなく、明らかにデバフをかけられている。というか、この状態異常そのものを、何者かがウィルベルトにかけていると思った方が自然かもしれない。どうして、こんな…。
ウィルベルトの体力バーがゆっくりとしたスピードだが減っていることに気づき、私は思わず彼の肩を掴んだ。
「ねえ、大丈夫!?体辛くない!?」
「えっ」
突然勢いよく喋り出した私に驚いた様子で、ウィルベルトは目をぱちくりさせた。私の心は複雑だった。こんな小さな子が、自分の体の辛さを隠して、同じ年頃の子を気遣っていた。怪我はしていないか、怖い思いをさせたか、と。……何か私に、できることはないだろうか。
「うう…ええっと…何か…アイテム…」
せめて少しずつ削れていく彼の体力をどうにかできないかと、呻きながらポケットを探る。右ポケットに手応えを感じ、勢いよく取り出した。目に留めた瞬間、アイテムのステータスが表示された。
『ロータスのクッキー(特製):体力を全回復・全状態異常の解除・呪い解除』
あーーー!このクッキー、中盤からロータスの店で買えるようになるやつだ!安いし便利だしで、大量買いして終盤までお世話になってたやつーーー!と、心の中で叫びながら、私はウィルベルトにこのクッキーの袋を差し出した。
「あのね、これ食べて!少しは具合良くなると思うから!」
「えっ!?でも…」
「あ、そっか。あのね、変なものは入ってないよ。これ、あの店で売れてるクッキーなんだ。私の家、あそこで……えーと、食事処なんだけど、冒険者に役立つ料理とかも提供してて……。とにかく、安全なものだから安心して食べてほしいの!」
戸惑うウィルベルトに無理やりクッキーの袋を握らせ、その手を両手でぎゅっと握った。
「大丈夫。きっと良くなるから」
「……」
その時、私もウィルベルトも背後から抱え込むようにぎゅっと抱きつかれ、自然と手が離れた。
「ウィルベルト様…!!よくぞご無事で…!!」
「く、クロード!」
「レクシー!!ああっ…良かった…っ!!」
「…おっ、お母、さん…?」
ウィルベルトはクロードと呼ばれる燕尾服を着た男性に、私はレクシーと同じ瞳をした女性に、2人とも目に涙を浮かべ安堵した様子で、ぎゅうぎゅうと私たちを抱きしめてくる。クロードは、おそらくウィルベルトに仕える執事なんだろう。おじいちゃんと呼ぶには、まだ若く、傍から見れば、親子のような雰囲気があった。そしてこの女性は、レクシーの母親だ。ステータスを見た時に『ヘリア(母)』と書いてあったから間違いない。そして、こうしてレクシーの無事を喜んでくれる姿。仮にステータスが見れなくても、間違いなく母だと感じることができる。
レクシーもウィルベルトも愛されているのだな、と嬉しく思った。
その後は、王国騎士団が到着し、今度は別の慌ただしさに見舞われた。騎士団は、周囲の被害の状況やハイエナもどきの処理を始めつつ、次第に野次馬と化してきた観衆を誘導・整備するなど、事態はかなり大事になっていった。
また、ブレイブソウルを発動させた私とウィルベルトには、聞きたいことがあると言われ、部隊長のところまで案内されることになった。
私たちは2人だけにされ、騎士団が乗ってきた馬が繋がれた少し開けた場所で待機するように言われた。少しの沈黙の後、ウィルベルトが口を開いた。
「ねぇ、君の名前は?」
「わ、私はレクシー。レクシー•ロータス」
「そう、レクシーか。ぼくはウィルベルト•ロード。もう知ってると思うけど」
そう言って、お互い少し笑った。すると、ウィルベルトは先程手渡したクッキーの袋から、1枚取り出し、私に差し出した。
「一緒に食べよう」
「いや、それはウィルベルトにあげたものだから、私はいいよ!」
「ぼくはレクシーと一緒に食べたい。だから、はい」
グイッと差し出されたクッキーをおずおずと受け取る。ウィルベルトはもう1枚クッキーを取り出し、パクリと食べた。
「んん!ナッツが入ってて美味しい!」
年相応の笑顔を浮かべるウィルベルトにホッとして、私もクッキーを齧る。ウィルベルトの状態異常のマークが一斉に消えていくのを見て、今度こそ本当に安堵した。よかった…これで…。
その時、大きな鎧をガッションガッションと鳴らしながら、1人の大男がこちらに近づいて来るのが見えた。騎士団の鎧を着ているが、その振る舞いは随分粗暴に見えた。大股でのしのしと歩いてくる姿に私が目を点にしていると、ウィルベルトがスッと半歩前に出て、大男の騎士団員が私の視界に入らないようにした。どうやら、私を怖がらせまいと気を利かせたらしかった。
ひっ…ヒョエエエエエ…!この頃からすでにこうした気遣いができる人だったんだ…!?なっ…なんてジェントルマンなの…。
そんなウィルベルトの気遣いに打ち震えている間に、大男の騎士団員はあっという間に目の前に来ていた。私たちに目線を合わせるようにその場にしゃがみ込むと、ベンテールをクイッと持ち上げた。現れたその綺麗な瞳は、楽しそうに弧を描いていた。
「よっ!俺は王国騎士団第5部隊長、レノス・ストラトスだ。じゃ、お前ら、今日から騎士団員な!」
カション、と音を立てて甲冑に包まれた手が私たちの頭の上に置かれる。
ポカンとする私たちを見て、部隊長はとても楽しそうに瞳を輝かせるのであった。