2話 ハイエナもどき
店の外から聞こえた悲鳴じみた叫び声に、店内は瞬く間に大騒ぎとなった。
店の唯一の出入り口が殺到する客に塞がれる前に、私は持っていた食器を空いていたテーブルに適当に放り投げ、これまた何かの拍子に床に転がっていた木製の鍋の蓋を適当に拾い上げ、店の外に飛び出した。
店の外は、想像していた以上に大混乱だった。
荷物を運んでいたらしい荷馬車が横倒しになっており、未だ体勢を立て直せず横になって暴れている馬を御者が宥めようとしている。積まれていた荷物は散乱し、石畳にカラフルなまだら模様を作り上げていた。果物か何かのソースの木箱だったようだ。無惨に破壊されている。その果汁やソースに群がる背が複数。その姿を捉えた時、ハイエナだ、と思った。しかし、私が知っているハイエナとは、随分かけ離れた姿をしていた。
薄い毛皮に覆われている背中からは、不釣り合いな背ビレのようなものが突き出している。手足の部分だけ不自然な鱗で覆われているが、ところどころ本来の毛皮らしい部分が残っていてなんともアンバランスだ。そして、尻尾が異様に長く、それがまるで蛇の胴体のように地面に垂れ下がってウネウネと動いている。その異様な姿にゾッとした。何かの漫画で見たことがある。合成獣。そうとしか言いようがない。
しかし、このハイエナもどきはただの合成獣ではなさそうだ。周囲を濃い紫色の霧のようなものが漂っている。あれは、暗霧。このゲームに何度も出てくる、動物やモンスターを凶暴化させる謎の霧だ。あの霧を吸い込んでしまったものは、通常の攻撃では倒せない。
「誰か!早く騎士団を呼んでくれ!」
「どっ……どうしてこんな町中に……!」
「は、早くっ!女子供は建物に入れっ!」
混乱と恐怖の波が広がり、遠巻きに眺めていた人達が一斉に動き出した。その瞬間、動くものが視界に入ったハイエナもどき達は、足元に広がる果汁より、そちらの方に興味を示した。手始めに、荷馬車の近くで暴れる馬と、その御者に狙いを定めたらしい。口元から果汁とも涎とも分からないものを滴らせながら、狩りをする群れのように、ゆっくりと獲物に近づいていく。
「た、助け……っ!」
ハイエナもどきの視線に気づいた御者が、恐怖に唇を震わせたのを見て、私は思わず駆け出してしまった。何の威力もない鍋の蓋で、一番近くにいたハイエナもどきの横っ面をぶっ叩く。木製のコーン!という気持ちのいい音が響き、次いで、キャイン!という鳴き声が上がった。
「馬鹿か!あの子、何してる!」
その声に内心「ですよね!」と答えながら、私は鍋の蓋を構え直す。仲間を攻撃されたことで、ハイエナもどき達は、標的を私に変更した。
無謀だ、あまりにも無謀だ。それはよくわかっていた。しかし、例え走馬灯であったとしても、ゲームの中の出来事であったとしても、恐怖に震える人間がいて、それを助けるか否かの選択肢が表示されたら、きっと多くのプレイヤーが「助ける」選択をしたはずだ。英雄になりたいとか、そういうことではなくて、ただ助けたい、その一心で。
それに、と私はある予測を立てる。ロータスがあるこの城下町は、本来なら敵が出現しない安全地帯のはずだ。町を出てフィールドに出ない限り、敵とは出会わない。しかし、今回、町中に突然敵モンスターが現れたとなると、これは何かのイベントの可能性がある。どんなイベントなのかはさっぱりわからないが、何かの分岐点かもしれないし、これで物語が進行するかもしれない。
何はともあれ、これは私の頭の中で起こっていることに過ぎない。悪いようには、ならないはずだ。
…………ただ、負けイベントでないことを願いたい。
ハイエナもどきの一匹が、私に向かって突進してきた。女性の甲高い悲鳴と、早く助けを呼ぶよう怒鳴る声が響く。私は、ハイエナもどきの攻撃を掲げた鍋の蓋で弾き返し、何とか防ぐ。それが精一杯だった。暗霧を吸ったモンスターを私が倒すことはできない。ほんの僅かなダメージを与えることすら叶わない。
(助けが来るまで、何とか時間を稼ぐしか……っ!)
また突進してきたハイエナもどきを鍋の蓋で押し返した時、アメリアの声が聞こえた。
「レクシー!!後ろ!!」
振り返った時には、もう遅かった。いつの間にか私の背後に回っていた他のハイエナもどきが、私に飛びかかる瞬間だった。不自然なほどゆっくりと、大きく開かれた口と鋭い牙が近づいてくるのが見えた。
(ああ……また死ぬのか……)
一日に二回も死ぬ経験をするなんて、ついてないなぁ。
そんなことを考えながら、ハイエナもどきの生温かい息を肌で感じた、その時だった。
一陣の風が、私の横を通り過ぎる。その風は、光を纏って真っ直ぐハイエナもどきに伸びていった。
白と黄色の温かい光。春の日差しにも似たそれが、光り輝く剣の切っ先だと気づいた時には、ハイエナもどきは真っ二つになって、地面に伏していた。
「怪我はないか」
背後から聞こえるその声に、私はすぐ反応ができなかった。
このエフェクト、見覚えがある。ドット絵でも、それがいかに綺麗で眩しい光か、よくわかった。私はこの光が大好きだった。
振り返ると、そこには…………推しがいた。
ウィルベルト・ロード。やはり今の彼の容姿は幼く、ゲーム本編の凛々しい男性になるには、まだ十数年かかることだろう。しかしやはり、面影がある。金髪碧眼の美少年。この頃から顔面が大変整っており、顔にも光のエフェクトがかかっているのではないかと思う程に眩しい。声は幼少期用のCVなのだろうか。青年の時の彼とは随分違って、幼く可愛らしい声だが、その中にも凛とした気品のようなものが感じられる。うーん、素晴らしい。
「だ、大丈夫か。本当に怪我はないか……?」
全くの無反応で推しを穴が開くほど見つめる私を心配して、ウィルベルトがもう一度声をかけてくる。その背後に、残りのハイエナもどきが迫ってくるのが見えた。
駄目だ、絶対駄目だ。推しに怪我なんかさせたくない。絶対に、守らなくては……!
「やめろーーーーっ!!!!」
持っていた鍋の蓋をぐんと突き出し、彼を庇うように前に出た。その時、胸の辺りがドクンと脈打ち、血液がすごい速さで身体中を巡るような感覚を覚えた。
次の瞬間、持っていた鍋の蓋が白く輝き出した。青みを帯びた白い光は次第に大きく広がり、鍋の蓋を構える私ごと包み込むように光り輝く。さほど重くもない鍋の蓋の重さがまるで感じられなくなったと思ったら、蓋の形状がぐにゃりと歪んで、全く別の形になった。光がより一層強くなったのを感じながら、無意識にそれを前に、さらに突き出す。次の瞬間、光が四方に飛び散りハイエナもどきを激しく突き飛ばした。ハイエナもどきは、先程とは違い、明らかにダメージを受けて、のたうち回っている。
木製の鍋の蓋は、白く輝く大きな盾に変化し、石畳に大きな亀裂を残して出現した。
あ、あれ……?と私は混乱した頭で考える。この演出、どこかで見た覚えがあるのだけれど……。
「ぶ、ブレイブソウルだ……!」
「あの子、ブレイブソウルの持ち主だったのか!?」
観衆の声がざわざわと広がる。信じられない気持ちで後ろを振り返ると、目を大きく見開いた推しがそこにいた。
「君も……?」
彼の手にある剣が陽を受けて白く輝いた。ウィルベルトは、間違いなくブレイブソウルの持ち主だ。
そう。暗霧に対抗する唯一の手段は、ブレイブソウルを使って攻撃すること。ただ……。
「食事処NPCがブレイブソウル持ちだなんて、聞いてない……」