0話 プロローグ
「クラーケンの磯辺揚げ、おまちー!」
その瞬間、パッと視界が明るくなった。
私はそれを不思議に思う。自分はさっきまで目を瞑っていたのだろうか。急に眠りから覚めたような感覚で、さっきまで何をしていたのか全く覚えていない。
状況を把握しようと視線を彷徨わせて、ふと目に留まったのは、目の前にある桶だった。
(桶…?)
桶には水が張ってあって、洗い物らしき食器が無造作に浸かっていた。ぴちょん、と水滴が落ち波紋が広がる。更に身を乗り出して桶を覗くと、自分の顔が水に映る。しかし何か違和感がある。次第に波紋が小さくなると、その違和感は確信に変わった。
(誰だ…?)
水に映る知らない顔が、訝しげに私を見つめ返していた。いや違う。知らない顔ではない。これは昔大好きだったRPGゲームに登場するキャラクターの顔だ。
次の瞬間、まるで電流が走ったかのような感覚が背中を駆け抜ける。頭の中に、たくさんの映像が一気に流れ込んできた。
そう、このキャラクターは小学生の時にどハマりしたRPG「ブレイブソウル」、通称ブレソルに登場する食事処NPCだ。最近になって、ブレソルのリメイク版が発売されることになって大喜びした私は、今月の食費とか光熱費とかの一切を忘れて、初回特典版を予約した。
その待ちに待った発売日が今日で、死ぬ気で定時退社をもぎ取って、店頭でゲームを受け取った。久しぶりに楽しくって嬉しくって、足取り軽く帰路を急いだ。
青信号を渡ろうとしたときに、耳をつんざくようなブレーキ音がして、ハッとして横を向いたが、もう目前に車が迫っていた。ぶつかる、と思った時には視界はもう真っ暗で、次いで聞いたことがないような鈍くて重い音がした。その時は、何が起きたのかよく分からなかった。
しかし、今なら分かる。私は車に轢かれたのだ。
そして恐らく、私は死んだ、のだと思う。
それで、自分が何故ゲームの食事処NPCになっているのか全然分からないし、脈絡が無さすぎて理解できないのだけれど。
(走馬灯……のようなものなのかもしれない。死んでからも見えるものなのか、詳しいことは分からないけれど……)
死ぬ直前まで、ブレソルのことで頭が一杯だったから、こんな風にまるでゲームの中にいるような走馬灯が見えているのかもしれない。
楽しみにしていたブレソルが遊べなかったことは非常に残念だが、どうせなら死後の世界に辿り着くまで、この走馬灯を楽しもう。
そう思って、目の前の桶に浸かっている食器を手に取る。張ってある水は冷たくて気持ちがいい。これが走馬灯とはとても思えないほどリアルだ。死んでからも、冷たいとか気持ちいいとか、そういう感覚を感じることってできるんだな……と妙な感動を覚えた。
「ちょっとレクシー!ゆっくりし過ぎ!これ、追加の皿だからね!」
ガチャン!という音に肩が跳ね上がる。横を向くとと、亜麻色の髪をポニーテールにした美少女が、大量の皿を流し台の近くに置き、次々と重ねて山を作っていた。
ああ、そうだ。彼女もこの食事処のNPCで、私ことレクシーの妹にあたる。名前は、アメリア。
前作のブレソルでは、店のカウンター横のテーブルを延々と拭いているだけの彼女だったが、今作のリメイク版では、新たなシステムとして、オンラインモードで他プレイヤーと共闘したり交流したりできるようになった。そしてアメリアは、そのオンラインモードの案内嬢に抜擢され、なんとCV付きのキャラに格上げされたのだ。
例え走馬灯であったとしても、こうしてアメリアの声が聞けたのは嬉しい。そして、流石リメイク版。グラフィックも抜群に綺麗だ。
しかし、違和感がある。前作のアメリアは、 二十代後半くらいの美人で艶っぽい女性だった。子どもながらにドキドキした思い出がある。しかし、今目の前にいるアメリアは、どうみても十代の女の子だ。キャラデザを変更したにしろ、これはちょっと別人過ぎないだろうか…。
「なんか、随分と小さくなって……」
「ええ?何言ってんの!レクシーの方が、わたしよりずーっと小さいじゃない!苦手だーって言って、カウカのミルクちゃんと飲まないからよ」
アメリアの言葉にハッとして、自分の体を見る。確かに、手足も体付きも、子どものそれだ。おかしい。レクシーだって、三十代くらいの肝っ玉母ちゃんみたいなキャラデザだったはずだ。
食事処『ロータス』の女主人で、凄腕の料理人。レクシーの料理にはいろいろな効果が付くから、ボス戦前にロータスで食事をするプレイスタイルを公式も推奨していた。本編終盤まで随分とお世話になって……ってそうじゃない!
いくら何でも、こんなキャラデザの大幅な変更はおかしい。これじゃあまるで、本編が始まる何年も前みたいな……。
「もう!こんな忙しい時に何やってるの!今日から一週間、第二王子様のご成婚のお祝いで、お店が忙しくなるからって父さんに言われたでしょ!?いつもよりお客さん多いんだから、お皿回してくれないと料理が出せないじゃん〜!」
早く早く!と肩を掴まれ、再び桶に向き直る。透明な水が、幼いレクシーの顔を映した。
第二王子のご成婚は、ゲーム本編開始から、約十数年前の出来事として主人公達に語られる。『暗霧発生の最初の悲劇』として。
間違いない。今の私は、子ども時代の姿なんだ。
でも、どうして?
前作は勿論、リメイク版にだって、子ども時代の追加エピソードなんて用意されていなかった。加えて、『暗霧発生の最初の悲劇』のことだって、テキストの中で語られるに留められていて、グラフィックが用意されていた訳でもなかったはずだ。
それなのに、まるで追体験しているようなこの感覚。そして、この再現度。
本当にこれは、走馬灯……なの?